ジャッカルの冒険 2
前回の続き…
工業都市バルングでは、24時間体制であらゆる工場が稼働しているため、夜でも静けさが訪れることはない。
ジャッカルは目覚めると、眠い目をこすりながら仕事の準備を始める。
騒音の中で眠ることにも慣れ、劣悪な睡眠環境に適応していくのは、この都市に短期間でも住む者にとっては当然のことだろう。
この大陸の大半は砂漠で覆われており、基本的に夜は寒く、昼間は暑い。一応、冬と夏と呼ばれる季節が存在し、冬には寒暖差が、夏には暑さの振れ幅が特に大きくなる。
いずれの季節も、毎年死者が出るほどの過酷さであり、一部の工場では通勤者のために送迎バスを用意することもあるようだ。
「まあ、オレの職場には関係ない話だな」
窓の外を眺めながら呟く。
外と言っても、そこに広がるのはさまざまな形をした工場ばかり。無機質な灰色の壁や、錆びついた鉄板で覆われた建物が並ぶ景色だ。唯一「自然」と呼べるものがあるとすれば、漫然と輝く太陽くらいのものだろう。
もっとも、その太陽も、工業都市から立ち昇る煙によって、時折その姿を隠されてしまう。
工場で働く者にとって、昼の光を浴びることなどほとんどない。だからこそ、ジャッカルにとって、こうして朝の光を浴びる瞬間は、生き返るようなひとときだ。
【漁港都市カエサル付近の砂漠】
「おい、そろそろ代わってくれよ!」
面長の男が息を切らしながら言う。
「いやだよ。さっきオラも持っただろ?」
太った男が不満げに応じる。
面長の男は少し考え込むように過去を振り返りながらぼやいた。
「こんなに重いもんなのか、機械人形って?」
そこへ、一番背の低い男が間に入り、軽い調子で私見を述べる。
「たぶん古いタイプだからじゃないっすかね。その分、丈夫ではありそうっすけど……」
「何やってんだ、お前ら?」
合流したばかりのリーダー格の男が声をかける。
面長の男は振り返りながら答えた。
「あ、クロウのアニキ。この機械人形、めちゃくちゃ重いんですよ」
その言葉を聞き流すように、太った男が1番背の低い男に向かって声を張り上げた。
「おい、駒吉!お前も持てよ!」
「いやいや、オイラは皆より力もないし、ノロマなんで邪魔になるっすよ」
駒吉がひらひらと手を振りながら返す。
「こんな時だけ自分でノロマだなんて言いやがって。普段は俺たちにそう言われると、すぐ不貞腐れるくせによ」
太った男は呆れたように吐き捨てる。
クロウがそのやりとりを軽く一蹴した。
「とにかく、この大きな布袋に詰めておけ。カエサルも近いし、昼間は目立つからな」
面長の男が思い出したように尋ねる。
「アニキ、この機械人形、工業都市バルングに売るんですよね?商人のツテはあるんですか?」
「ああ、こういう工業用に使える機械人形や奴隷を専門に扱う業者がいるんだ。さっき伝書鷲で連絡したところだ。夜には港に船が用意されるはずだろうな」
「さっき機械人形を見つけたばかりなのに、早いですね」
「まあ、どの工業都市もいつも人手不足だからな。こういう商品はすぐに買い手がつくし、いい値段で売れるのさ」
それを聞いて、面長の男が少し野心をのぞかせるように言う。
「なら、俺たちもこういう商売を本格的にやったほうがいいんじゃないですかね?」
クロウは鼻で笑いながら返した。
「バカだな。今みたいな秩序もバラバラな都市国家が乱立するご時世じゃよぉ、誰もが信じられるのは自分だけって用心するから、1人で出歩くようなやつはいねぇんだぜ?亜人の種類によっちゃ俺たちの手に負えないし、商品を調達するのもひと苦労だろ。都市によっては警備が厳しいところもあるし、カメラで犯罪者をすぐ捕まえる仕組みもあるんだ。
リスクが高いくせに、人身売買は安定しねぇ。それに、買い手の商人だって信用できないことが多い。今回みたいに、たまたま世間知らずを見つけた時にさらうくらいが丁度いいのさ」
「なるほど、そういうことですかぁ。でも、たまには稼いでパーッと飲み食いしたいっすよね」
機械人形を布袋に詰めた盗賊たちは、漁港都市カエサルの正門を避け、港に隣接するゴミ処理場に向かう。
入り口に立つ警備員にいくらかの賄賂を渡し、都市内に忍び込む。裏路地へ進むと、自分たちの根城としている一軒家へ到着した。
薄汚れた建物の中は昼間でも暗く、蝋燭を灯さなければ何も見えない。盗賊たちは機械人形を詰めた袋を部屋の中央に置くと、散らばった木箱や机の上に腰を下ろした。
「いずれ俺のところに手紙が来る。それまで交代で休んでろ」
クロウの一言で、皆は思い思いの姿勢で休息をとり始めた。
日が暮れ始める。
漁港都市カエサルは、昼間の商業的な賑わいから一転、夕暮れとともに静けさを取り戻していく。この時間帯、港の静寂を打ち破るのは、富裕層が大きな船で催す海上パーティの音楽くらいだ。漁師や住民たちは、それぞれの家や酒場でその日に獲った魚を自慢し合いながら、静かなひとときを過ごしている。
クロウが扉を開け、根城の室内に入る。
「今晩2時間後、港でこの商品を引き渡すことになった」
「アニキ、こいつ、いくらで売れるんですか?」
太った男[ブッチャー]が、運ぶのに苦労した記憶を思い出しながら尋ねる。
クロウはニヤリと指を4本立ててみせる。その金額を想像するだけで、自然と頬が緩む。
面長の男[ヒャルコ]が口笛を鳴らした。
「あとは夜に港で金と交換するだけだ」
そして2時間が経つ。
「おい、時間だ。お前ら、行くぞ」
クロウの一声で、3人は準備を始める。
一番背が高く、痩せている割に筋肉質な体つきをした面長の男[ヒャルコ]は、細身の棍棒を腰の後ろに隠し、長いとんがり帽子を深くかぶり立ち上がる。
身長は低めだが、それ以上に目立つのは突き出た大きなお腹の持ち主[ブッチャー]
「今度は俺が運ぶ番かよ」と文句をこぼしながらも、丸太のような腕で機械人形を詰めた布袋を持ち上げる。
一番小柄で肩幅も狭い[駒吉]は、蝋燭の火を慎重に吹き消し、「準備完了っすよ」と小さく呟きながら、皆が出ていけるように扉を開ける。
3人は、カエサルの住民と見分けがつかないように、Vネックの布の服と長ズボンを身にまとい、皮のブーツを履いている。
静まり返った港では、ひときわ大きな船が煌びやかな音楽を流し、甲板から溢れる明かりで夜の海を照らしている。
富裕層が催す海上パーティのための豪華船だ。
船には、客人が馬車ごと乗り込めるよう、大きな架け橋が陸にかけられている。
その反対側、船員用の小さな階段状の架け橋が、港にひっそりと隠れるように架かっている。
その階段状の架け橋の影、誰の目にも留まりにくい場所に、1人の男が立っていた。
男は、角度によって輝きが変わる良質な生地で仕立てられたスーツを身にまとい、片手には懐中時計を持っている。もう片方の手には、今朝届いた一通の手紙が握られていた。
手紙には、古くからのビジネスパートナーから、「良質な商品が入荷する」という内容が記されている。その内容を思い返しながら、男は約束の時間を今か今かと待ち続けていた。
そろそろか、と男は路地のほうへ視線を向ける。
暗い影から、約束通り4人の男たちが姿を現す。そのうち1人の太った男が、大きな布袋を担いでいる。
あれが例の機械人形ですか。人並みの大きさですね。と男は心の中で呟く。
先頭を歩く男は、この街の住民と変わらぬ身なりをしているが、どこか近寄りがたい雰囲気をまとっている。
鋭い視線や自信に満ちた歩き方は、よくいる三十路過ぎのたくましい漁師を彷彿とさせる。だが、この暗い業界に身を置いてきた者なら、一目で気づくだろう。どこか異質な違和感を感じさせる男だ。
一見自然に振る舞っているようでいて、その内側には闇が潜んでいる。その闇を巧妙に薄いベールで覆い隠し、業界特有の微妙な所作を忍ばせている。
そんな男が、スーツの男に向かって話しかけた。
「今日は良い月だな」
「潮目は悪いですがね」とスーツの男は軽く肩をすくめながら返す。
「潮目?」
後ろについてきた太った男が、首を傾げてつぶやく。
「なあ、アングルの旦那。こういう秘密の挨拶って、本当に必要か?」
先頭の男、クロウが軽い調子で問いかける。
「こらこら、せっかくの雰囲気が台無しじゃないですか」
スーツの男[アングル]は呆れたように首を振る。
「雰囲気ねぇ。俺たちの荒仕事に雰囲気もへったくれもねぇからな」
クロウは鼻で笑いながら返す。
アングルは両手を広げて語り出す。
「雰囲気は大切ですよ。こういった雰囲気を作ることが“今を生きる”ということに繋がるんです。この時代、この場所、そしてここにいる私たちという連なりは唯一無二なんですから。一番豪華に!盛大に!そして空気に見合った雰囲気を作らなければ、勿体ないじゃありませんか」
クロウは肩をすくめながら答えた。
「へぇ、そうかい。旦那が商人として色んな顔を持ってるから、そう思うんだろうけどな。俺たちみたいに下層のクズみたいな生き方してきた人間には、尊すぎて理解できない話だね」
否定するでもなく、持論を曲げるでもない調子で言葉を選ぶ。
「ふん、まあ言わんとしていることは分かりますがね。ただ最近、私たちのような業者に成りすまして犯罪者を一網打尽にしようとする“義勇軍”気取りの偽善者どもが増えているそうで。用心のためにも合言葉は必要ですよ」
「マジかよ、それじゃあ商売がやりづらくなるなぁ」
「聞いた話では隣のウッド大陸でのことらしいので、こちらではどうか分かりませんがね。それよりも、その汚い布袋の中身が、例の手紙に書かれていた商品ですか?」
「そうだ。おい、旦那に中身を見せてやれ」
「はい!」と、ブッチャーは布袋を下ろし、縛り口を緩めると中身を見せた。
アングルは袋の中を覗き込み、想像以上の品物だと認識すると、満足げに口元を緩めた。
「これはいいですね。2世紀前のサポートロボットですか。ビンテージ品としても価値がありますが、頑丈さからして工業用、あるいは地下の重労働用にも使えそうです。よくこんな骨董品を見つけましたね。動いても動かなくても、販売先には困らないでしょう」
クロウはニヤリと笑いながら問いかける。
「で、旦那。この商品、いくらで買い取ってくれるんだ?手紙に書いてあった額より少しは上乗せしてくれるんだろ?」
「そうですね。クロウとの長い付き合いですし、特別にこのくらい上乗せしましょう」
アングルは指を2本立てる。
後ろにいた男たちは、小さな声で「おぉ」と感嘆の声を上げる。
「よし、売った!商談成立だ!」
クロウは満足げに言い放つ。
「で、この機械人形、どこへ運べばいいんだ?」
「いえいえ、ここでこのままで結構です。部下が運びますので」
アングルは軽く片手を上げて答える。その言葉に、クロウは周囲を見渡した。商船や荷車が見当たらないことに気づく。
アングルはクロウの視線を読み取り、後ろの特大の豪華船を指し示した。
「この船が、この商品を運びます」
盗賊一行は船を見上げ、駒吉などは口をぽかんと開けている。
「この船は、私の会社が提供する富裕層向けのエンターテイメント船ですので」
「マジかよ、旦那。すげぇな……」
クロウはそれ以上言葉を出せなかった。貧富の差が天と地ほどに隔たったこの世界で、富裕層という存在は一介の住民では到底なれない隔絶された人種だからだ。
数百年前の戦争後、世界の復興のために財を投資した各財団の子孫たちらしいが、それを確かめる術はない。
「では、クロウ。こちらが最初にお伝えした買付金です。残りの上乗せ分は後日使いを送ります」
「あぁ、また頼むぜ」
クロウは金を受け取り、盗賊一行に合図を送ってその場を後にする。
盗賊たちが完全にいなくなったのを確認すると、アングルはスーツのポケットから電子端末を取り出し、船内の部下に指示を送る。
現れたのは、黒いスーツを着た2人の屈強な男。どちらも2mはあるハーフウルフの亜人だ。そのうちの1人が布袋を軽々と持ち上げると、船内への階段状の架け橋を上っていった。
アングルは商品を手に入れた満足感と、これからのビジネスの利益を思い描きながら、恍惚の表情で夜空を見上げた。
「素晴らしい」
【工業都市にて】
就業アラームが鳴り、ジャッカルは賃金を受け取ると工場から外に出る。今日も空気が冷たい。
いつもと同じ作業、いつもと同じご飯を食べ、いつもと同じ道を通り、いつもと同じように安居酒屋に寄って帰る。そんな日々を半ば自動的に繰り返すジャッカルだったが、この日は店の前でふと立ち止まった。
「あれ?今日休み?」
安居酒屋の明かりは消え、入り口はシャッターが閉められている。シャッターには貼り紙が貼られていた。
『店主体調不良のためお休みします。2〜3日後には営業再開します。』
「珍しいなぁ。ほぼ毎日通ってるけど、店が閉まってるのなんて初めてだな」
いつもと違う出来事に戸惑いながら、ジャッカルは貼り紙をぼんやりと眺める。そのまま数十秒が過ぎ、小さく呟いた。
「帰ろ」
いつもより早い時間に帰路についたため、見慣れた道も少し違う表情を見せる。ちらほらと歩いている人々の姿、街灯が細々と照らす光景に、新鮮さを覚えるジャッカル。
10年も歩き続けていた道に今さら新たな一面を見つけた自分に、思わず苦笑する。
前方には、ふらつきながら歩く酔っ払ったタヌキの亜人が、何やら訳のわからないことを呟いている。その様子に軽く目をやりつつ、自宅のアパートに到着した。
自室の前に立つと、同じフロアの部屋から怒鳴り声が聞こえてくる。同居人同士の喧嘩らしい。ジャッカルは肩をすくめながら自分の部屋に入り、少しだけ新鮮な気持ちになっている自分に気づいた。
「なんか、いいな」
ふと、腹が減っていることに気づく。「食べ物あったっけ?」と冷蔵庫を開けるが、中には飲み物しか入っていない。冷凍庫を開けると、数ヶ月前に酔っぱらった帰りに冷凍食品自動販売機で買った「バク虫餃子15個入り」を見つけた。それを取り出してレンジで温めることにする。
解凍中、ジャッカルは散らかった部屋を見渡し、足元のゴミをポリ袋に入れ始める。
「そうだ、せっかくだし掃除でもするか」
そう呟き、思い立ったように部屋を片付け始めた。
散らばった雑誌や汚れたままの衣類をポリ袋へ詰める。乱雑に押し込まれていた棚を整理する。押入れを開けると、埃が舞い上がり、思わず咳き込んだ。
「げほっ。ひどいな、ここ」
押入れの中の物を一旦出し、埃を拭きながら、ダンボールを収納箱代わりにして整理する。
そのとき、レンジが解凍終了を知らせる音を鳴らした。
「ま、先に片付けるか」
そう言いながら片付けを続ける。押入れの奥から、丸められたポスターを見つけた。
「なんだっけ、これ?」
半身を押入れに入れてポスターを引っ張り出し、広げてみる。
「懐かしい……」
鳥肌が立つような感覚が走る。そこには、「Let’s NEW World!」というポップな文字とともに、忍者の格好をしたカエルがこちらに向かってグッドサインをしているイラストが描かれていた。
「ああ……これがあったな」
このポスターの存在を忘れていたが、間違いない。忍者カエル――それこそが、ジャッカルが村を出ようと思い至ったきっかけだったのだ。
To be continued…