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ジャッカルの冒険 5
前回の続き…
【酒場にて】
昼間の酒場。
カウンターで、資料に目を通すジャッカル。
周囲を警戒するように横目でちらりと見渡すが、あまり視線を合わせないようにしている。
片腕のない戦士や、返り血を思わせる模様の染みが服に付いた者たち。
「物騒な場所だな……」
自然とため息が漏れる。
ふと、気になる視線を感じて目をやると、鼻が長く目が細いハーフゴブリンの亜人が3人。
中央の男は、とんがり帽子をかぶり、他の2人を従えるように座っている。
酒場に入った時から気になっていたテーブルだ。
ハーフゴブリン。彼らはゴブリンとは異なり、特異体質を持つ人間から生まれた者だという。
そのため、ハーフゴブリンという呼び名自体が蔑称とされている。
……まずいな
ジャッカルは、長く見すぎてしまったことに気づいた。
とんがり帽の男が立ち上がり、こちらに歩み寄る。
3メートル……
2メートル……
目をそらすべきか? いや、今目をそらすのはかえって不自然だ。
1メートル……
怖い。この人、絶対にろくなことをしていない…
男はジャッカルの横にどかりと腰を下ろした。
彼のテーブルに残ったハーフゴブリンたちは、こちらを鋭く見据えている。
「エールを一杯」と注文するやいなや、とんがり帽の男はジャッカルをじろりと一瞥。
数年間、まともに人と話していないジャッカルは、何を言えばいいのか分からない。
男の視線はジャッカルの資料に向かい、鼻で笑う。
「……あの、何か?」
おそるおそる尋ねるジャッカル。
「見かけねぇ奴だと思ったら、生き急ぎ屋か」
男が吐き捨てるように呟く。その言葉には蔑みが込められていた。
エールを一気に飲み干し、不気味な笑みを浮かべながら続ける。
「工業都市で冒険者だ?やめとけよ」
「あなたも冒険者なんですか?」とジャッカルが聞き返すと、男はふっと笑い、首を振った。
「冒険者? 命を粗末に扱うバカどもと一緒にすんな。俺は“ビジネスプレーヤー”さ。職に困ってるなら、仕事を紹介してやるぜ?」
「いや……」
「ハッ、この都市で冒険者なんか流行らねぇよ。国から見放された連中だ。満足な装備も整えられないまま、多くの新人が死んでいった。金を貸した奴まで死にやがって、国からの保証もねぇ。数年前のサンドワーム事件、知らねぇのか?」
「……見たことはあります」
「知ってて冒険者になるってのは、自殺志願者か?」
「もうやめてください!」
店員が慌てて間に割って入った。
「せっかく募集が気になって来てくれたんですから!」
ハーフゴブリンの男はふんっと鼻を鳴らし、エールのおかわりを頼む。
「……稼ぎたきゃ、いい話があるぜ。俺経由ならがっつり稼げるし、冒険者よりずっとマシだ。死ぬ確率も低い。不安なら鎮静剤だって用意してるからよ」
明らかに怪しい。
ジャッカルは工場の主任から聞いた話を思い出す。奴隷労働のような仕事が横行しているという話だ。
「いや……遠慮しておきます」
ジャッカルは苦笑いを浮かべて断った。
「…善意ってのは、受け取っておくもんだぜ?」
男は鋭い目でジャッカルを睨みつける。
……怖い。
そんな時、酒場の外から、かすかなどよめきが聞こえた。
低く響くような音に、酔客たちが反射的に耳を傾ける。
扉が開く音。
ギィ……という重い軋みが酒場の静寂を切り裂いた。
近くの酔客が音に反応して顔を向ける。それを見た他の者たちも、次々と扉の方に視線を移す。
とんがり帽の男もチラリと扉の方に目をやったが動きを止め、じっと扉を見つめている。
ジャッカルもつられるように視線をそちらに向けたがその瞬間、その方向に視線が釘付けになった。
酒場の扉を開けて立っていたのは、一体の機械人形だった。
その場にいる全員が、視線をその機械人形に釘付けにされた。
機械人形自体は、この工業都市では珍しくない。街角では、荷物運びや工場の作業員として頻繁に目にする存在だ。
だが、ここは酒場だ。酒場に機械人形が入り込む光景は誰も予想していなかった。
扉のそばで寝ていた酔客さえ、気配に目を覚まして顔を上げた。
「……何でこんなところに?」
ジャッカルの疑問が口から漏れてしまう。
機械人形は全身を薄汚れた青い装甲に覆われている。
その表面には小さな傷が無数に刻まれ、関節部分からは古びた配線が覗いている。
一目見ただけで、それが旧型であることは明らかだった。
この都市で稼働している機械人形のほとんどは、「第一世代万能サポートロボット」と呼ばれる家庭用ロボットだ。
かつては家事や子育てのサポートを目的に設計され、多くの家庭に普及したが、意思疎通の不具合が多発し、生産は中止された。
今では廃棄されるはずだったそれらが労働用に転用され、工場や鉱山で酷使されている。
しかし、今ジャッカルが目にしている機械人形は、そうした労働用とも異なる異質な雰囲気をまとっていた。
どこか人間らしさを感じさせる佇まい。酒場の入り口に立ち尽くすその姿には、妙な存在感があった。
機械人形はカウンターに視線を定めると、ガチャガチャと音を立てながら一歩を踏み出した。
その動きは重々しく、酒場の床板が「ギシリ」と悲鳴を上げる。
とんがり帽の男が険しい目つきで機械人形を睨む。
視線は鋭く、まるで一瞬でも気を抜けば襲いかかる準備をしているかのようだ。
男の手は腰の後ろに回されている。
ジャッカルの位置からは見えないが、短剣か何かを握っているのは間違いない。
機械人形は我関せずといった様子で進み続ける。
周囲の酔客たちはじりじりと距離を取りながらも、その動きを固唾を飲んで見守っていた。
やがて機械人形は、とんがり帽の男の前で立ち止まる。
その瞬間、酒場の空気がさらに張り詰めた。
「な、なんだよ?」
男が低い声で威圧するように言う。
周囲では、囁き声が飛び交い始めた。
「喧嘩か?」「いや、ロボットだろ」「何かの配達じゃねえのか?」
興味津々といった様子で、笑いながら見守る者たちもいた。
男の席にいた2人のハーフゴブリンも立ち上がり、警戒するように機械人形の背後に回り込む。
そして、機械人形が初めて音を発した。
「……マルポルキヤ?」
低く電子的な声が響く。
しかし、その意味不明な言葉に、とんがり帽の男も酔客たちも、一様に眉をひそめた。
機械人形は反応を察したのか、顔の横に付いているダイヤルを回し始めた。
「カチ、カチ……」
ラジオのチューニングを合わせるような機械音が続き、声が徐々に変化していく。
「サッキの高圧デンリュウのセイカ、言語回路に不具合ガアル……モシモシ、目の前の方、聞き取れますか?」
その途端、酒場にざわつきが戻った。
「スイマセン……言葉はツウジマスか?」
機械人形が改めて問いかける。
「なんだオメェ……」
ようやく内容を聞き取れるようになったとんがり帽の男が、低い声で問い返した。
背後の2人のハーフゴブリンも、その言葉を聞きながらさらに警戒を強める。
「ソチラをどいていただけませんか?」
思いもよらない言葉に、3人のハーフゴブリンは目を丸くした。
それから顔を見合わせ、声を押し殺すように笑い始める。
「……モルサの連中が寄越したのかと思ったぜ」
とんがり帽の男がボソリと呟く。
「ワタシはPH50、ソチラのカウンターに用ガアルノデス」
「カウンターに用だと? ロボットがエールでも飲むのか?」
とんがり帽の男は小馬鹿にしたように言うと、背後の2人もクスクスと笑い出した。
張り詰めていた空気が和らぎ、酒場の他の客たちもつられるように笑い声を上げ始めた。
「いえ、ワタシはロボットデスので、純度の高いオイルが欲しいデスネ! 特にラットウィル社のオイルは格別デス!」
機械人形のPH50は、淡々とした口調でとんがり帽の男に答えた。
その冷静な返答に、とんがり帽の男の表情がわずかに歪む。
からかわれた、と感じたのだろう。
ジャッカルはそんな二人のやり取りを横目で見ながら、胃が締め付けられるような気まずさを感じていた。
頼むから早く、誰か止めてくれ……
そう必死に願いながら、店員に視線を送る。
しかし店員は、口元をパクパクさせるばかりで、何かを言いかけては黙るのを繰り返している。
「ここは酒場だ、オイルを飲みに来るところじゃねぇんだぜ」
とんがり帽の男が低い声で睨みつけるように言う。
「勘違いがアルようデス。カウンターへは冒険者にトウロクする為に来たノデス」
PH50の言葉に、酒場全体が一瞬静まり返る。
「冒険者ですか!?」
その静寂を破ったのは店員だった。
予想外の大声に、ハーフゴブリンの3人組もジャッカルも驚き、目を丸くする。
店員は、これが好機とばかりに話を続けた。
「ロボットでも宇宙人でも大丈夫です! 人が足りていませんので、猫の手も借りたいくらいですよ!」
とんがり帽の男は明らかに不服そうな顔をしているが、周囲の客たちは興味を失い始めていた。
「なんだ、冒険者の申請かよ」と呟きながら、各々先ほどまでしていた話の続きに戻っている。
「申し訳ありませんが、冒険者用の資料は一つしかありませんので、こちらの方と一緒に目を通してください」
そう言って、店員はジャッカルを指さした。
突然注目を集める形になり、ジャッカルは驚きと戸惑いで固まった。
な、なんで俺が……
一方、とんがり帽の男は苛立ちを隠せない様子だ。
「こんな鉄屑志願者には、スクラップ場がお似合いだぜ」と、毒づくように言い放つ。
PH50は、店員の言葉に従ってジャッカルの方を向き、興味深そうに首を傾げた。
その動きが気に入らなかったのか、とんがり帽の男は「無視するんじゃねぇ!」と叫びながら、PH50を押そうとする。
しかし、見た目以上にPH50は重かった。
男は逆にふらつき、バランスを崩して後ろによろめく。
その様子に、酒場のあちこちから小さな笑い声が漏れる。
「……っ!」
顔を真っ赤にしたとんがり帽の男は、激怒したようにPH50を睨みつけた。
その目には、今にも手を出しそうな危うさが宿っている。
さすがに事態の深刻さを悟ったのか、店員はオドオドしながら状況を見守る。
しかし、口を開く勇気はない。
そんな緊迫した空気の中、店員の背後から低く重い声が響いた。
「争いごとなら、よそでやんな!」
その声は、酒場の空気を一瞬で凍りつかせた。
カウンターの背面にある暖簾が揺れ、そこから現れたのは、2メートルはあろうかという巨体の男だった。
長い白髪を後ろで束ね、鋭い目つき、薄緑色の肌、そして頭にある2本の頑強そうな角。
男の姿は、ハーフオーク特有の強靭な体格をさらに際立たせていた。
おそらく、この酒場の店主だろう。
店内は一気に静まり返り、誰もが息を潜める。
ハーフゴブリンの3人組でさえ、オロオロとし始めた。
「さっきから騒がしいと思って来てみりゃ……カウンターの前で堂々と喧嘩か?」
低い声で言い放ちながら、店主は3人組を鋭い目で見据えた。
その視線は、まるで鋭利な刃物のようだった。
To be continued…