“人に優しく” と”口に気をつける”を最初に教わった時の事
最初の恩師〜 サラ おばさん〜
親愛なるサラおばさんへ
お元気ですか?サラおばさんが小学生の校長先生だった事、ほんの数年前に母に聞いて知りました。
私がまだ赤ん坊の頃、仕事で忙しい両親から私をあずかってくれたサラおばさんとムンドおじさん
『うちの娘達はもう独立していてさみしいし、赤ちゃんは大歓迎よ』と、4歳半になるまで我が子同然に育ててくれて本当にありがとうございました。
太平洋に浮かぶ小さな島での思い出は、今も私の心を踊らせます。
"厳しさは愛を持ってこそ実践出来る所作"
厳しさとは愛をもっていないと意味をなさない。
そんな高貴なものであり、勇気のいる行いであることを私は貴方という素敵なレディから学びました。
私の思う"厳しい人"とは、子供の手助けをあまりせず。必要ならば”おててパチン”の刑を自らの手で処すような人。
つまりはサラおばさん、貴方の事なのですが。
これのどの部分に愛情が隠れているのかを、私は貴方と暮らさなくなってからずいぶん経ち、さらに大人になってからようやく見えてきたように思います。
なんでも自分でしなくてはならない事や手を叩かれるような事は楽しい話ではないので、子供心の強い私が厳しさから学ぶには時間が必要でした
“When you know you’ll know “
サラおばさんは口ぐせのように、わかる時がくればわかるのよと言っていたけれど。どうやら今がその時のようです。
その中でも特に記憶に残っている思い出があります。
"人に優しくする事""お口に気をつける事"を学んだ出来事
サラおばさんは覚えいるでしょうか?
お誕生日会で起きた『このおバカ!』事件
その日の私はムンドおじさんがくれたぬいぐるみのクマを相棒に、いとこのお誕生日会に参加していました。
サラおばさんの教育のおかげもあり、あいさつとお礼は厳しく躾けられたので振る舞われたケーキへのお礼もちゃんと言えてたはず。
(※母曰く『子供の頃のあなたは、私やおばあちゃんに正しい事をしている様子をちゃんと見てもらえているのか振り返って確認していた』要はおませさんだったと…)
そして事件は起きました。
親戚の誕生日会で、小さな子グループだけでおままごとをして遊んでいたときのことです。
私は『ごきげんよう、お紅茶をいっしょにいかが?』とティーカップを1人の男の子に手渡そうとしましたが受け取ってもらえず (※そもそも男の子をおままごとにまぜてしまったのが間違いですね…)
その子は、不機嫌な様子になり『イヤ!』と叫んでティーカップをはたき落とし!
私のクマを無理矢理に奪って投げ捨てたのです!
私は(※勇敢にも)『大っ嫌い!!このおバカ!』と応戦し、思いっきり男の子を押しました!(※実に女の子らしい振る舞いですね!)
『アレックスいけません!』
『なぜ、そんな強いことばをつかったの!』
『押してはいけません!』
『きちんと謝りなさい!』
サラおばさんの私を叱り飛ばす声が聞こえ驚き、更に味方をしてもらえないことに悲しみが込み上げました。
先に無礼を働いたのは彼の方なのに!
でも最後には、何があったかを説明する時間を与えてくれ理解をしてくれましたし、抱きしめてくれましたね。
(※涙と鼻水で悲惨な私のかわいいお鼻をハンカチーフでぎゅうっとちーん!させてくれたあとで)
もしやもすると私の方にも、相手を不安にさせてしまう原因があったのかもしれない。と考えさせるようなで言い方で問うて、聞かせてくれました。
大抵この言い出しでお説教が始まりましたね
“Listen carefully “よく聞いてね
“You need to Be kind“ 優しくする事
『一緒に遊ぼうとは聞いたかもしれないけど、何をして遊びたいかは聞いた?』
“You have to Watch your mouth "お口に気をつける事
『強い言葉、意地悪な言葉は、人の心を傷つけてしまうの、心の傷が治るかどうかなんでずっと誰にもわからないのよ』
また、変わったことをはじめたなとお空から笑ってくれているでしょうか?飽き性なのでどれくらい続くかは分かりません。でも初めてみました。
母がサラおばさんのかけていたようなメガネをしていて、ふと懐かしい思い出が蘇り思わず筆というか指を走らせました。
いつかまた会う時までには、立派に成長したと言われるような素敵なレディになります。
P.Sおててパチンの刑が必要な告白がいくつかあります
心を込めて アレックスより
終わりに
最後まで読んでくださった方がいたなら、お礼を申し上げます。あなたのこれからの歩みの先に沢山の喜びと幸せとの巡り合わせがありますように。 Alex