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自己紹介。絵と僕。


6歳の時、周りから絵が上手いと言われて自分は絵が得意なのかなと気がついた。その年、ママと別れ、たらいましにされ、流転。痴漢されたり、身体的な折檻を加えられた。6歳では本当に多くのことが起こった、その中で一番、大きかった、絵の出会いだった。

自己紹介。絵と僕

自分が絵が得意らしい?と気がついたのは6歳の時。同級生に落書きノートの絵をたまたま見られ、褒められたことがきっかけだった。それ以来、周りからは

(Masaは絵が上手い)

ということになり、クラスメイト、隣のクラス、学年中やがては、学校中に知られることになった。


絵だけはどこに行っても認められた

小学校の時、3回転校したが、どこに行っても絵で頭角を現した。たらい回しの家庭数件、児童相談所、児童養護施設と僕の生活環境は変わっていった。だがそうした場所、学校等で、絵だけは褒められ、評判になった。また周りの大人たちが、恩師をはじめとして絵を描くことを褒めてくれ激賞してくれる人が多かった。その決定的な人がニュージーランドのホストマザーだった。



絵が好きになって当然な環境にいた

そういう状態が中学、高校、成人後と続いていた。社会人となっても職場の人が僕の絵を認めてくれてデザインなど仕事など行かす機会もあり僕にとっては認めてもらうこと、社会に貢献できること、自分を表現する手段だった。

そういうことから、きっかけ、環境、人との出会い等、絵が上達し、描くことが好きになって当然な環境にいた。感謝している。


独力ではない

絵に関しては特に人との出会い、縁、運、機会を感じる。絵を描くことが得意だと思い込めたのも6歳の時のクラスメイトたちがいてくれたからであり、成長していくことで出会った大人たち、恩師たち、そしてニュージーランドホストマザーがいたからだ。絵が好きになった、描けるようになったのは独力ではない。こういったもののおかげである。感謝して絵を描く。


大学で学んだ絵を描く姿勢

僕が大学で教わったのは、多くは絵で成功できない、絵で飯を食えない。それでも描くか?それを覚悟しろということだった。商業的に成功できなくても、または受け入れられなくても、認められなくても、自分の作品を愛して、大切にして、守り通して描いていけという生き方を教わった。

来年で50歳になる。が、まだその生き方を貫いている。絵というものは僕にとって一生、死ぬまで書くもの。人生がいい時も悪い時も、子供の時から絵がそばにいてくれたように、僕も絵を描くことのそばに一生いるだろう。自分が好きなことを書き続けるだけ。継続あるのみ。





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