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失敗して泣いたプラモの思い出①アッガイ(初期キット)ガンプラ。失敗し、壊し、泣いて、プラモはうまくなる。あきらめたことだってある。

今回は6歳から~12歳まで、熱中したプラモデル失敗経験の中から、思い出深いものを選んで書いてみたいと思います。


僕は母子家庭でしたので、もし、プラモで問題が発生しても、教えてくれる人、説明書を代わりに読解してくれる人はいませんでした。近所にプラモ好きなお兄さんなんていなくて、ママは仕事に忙しく、男の子の趣味に一切興味を示さない質でした。また、同級生の仲がいい子の中にプラモデルを作っている人がいなかったため、経験の共有、意見を交換したり、参考にしあうこともできませんでした。

絵は当時から大好きでしたが、手先の器用さは平凡ですし、何より、落ち着きがなく、わからないものに出くわすと、すぐ、ヤケになる性格でした。だから、説明書でもわからないと、泣きだし、悔しくムキになるため、より、失敗する可能性が増加しました。(以下の図①です)

また、当時の僕には、ゆがんでいる部品をどうやって修正し、隙間が空いていて、きちんと組まない部分をどうやって工作するか?なんていう知識、技術、および、情報は入ってきませんでした。昔の飛行機のプラモデルにはよくこれがあり、そういった場合、隙間が空いたまま、セメダインでくつけることしかできません。反り返っていれば、当然、うまく接着しないわけです。多くそういう部品がありました。(以下の図の③にあたります)

今回上げるプラモのほかに、マクロスのバルキリーとか、ダグラムとか、かなり壊しました。僕には難しく、作れなかったんです。それだけじゃなくて、細かすぎる戦艦武蔵の機銃がセメダインでべとべとになり、あらぬ方向に銃口が向いて、うまくいかず、あきらめるなんて言うこともありました。
(以下の図の①②に相当します)


失敗のパターン

難しすぎて説明書の図解を見ても、わからない。
技量が足りてない、説明書通りに作業を再現できない
キット自体に欠陥がある
(パーツの歪み、隙間が購入時からあり、修正できず、接着できない等)


一番、思い出に残っていて、悔しく、悲しいプラモ失敗経験はアッガイです。


①アッガイ(ガンプラ初代キット)作成挑戦年齢 7歳

僕のプラモ失敗でも、もっとも、悲しく、辛いものがアッガイです。アッガイはグフとともに、初代ガンダムのモビルスーツの中で、最も好きでした。

このアッガイのプラモに、小学二年生の時、挑戦しました。当時、とりあえず、組み立てて、彩色も、持ち合わせのプラカラーをべたべた塗って、遊んでいました。プラモは飾るものなんて言う認識はなく、組み立てて、色が乾いたら、手で持って、ガンダムごっこをするんです。

このアッガイは、ツメが出入りできるみたいになっていて、説明書の読解、接着が当時、7歳の僕には、困難でした。何回接着しても、脱落し、しかも、説明書が難しかった・・。何回も、セメダインをつけているので、部分が膨らみ、変な形になってしまい、泣きながら、作りました。でも、どうしても、うまくくつけることができず、最終的に、あきらめてしまいました‥悔し泣きして、八つ当たりして、できていた胴体とかを、折ってしまった・・壊してしまいました。それがまた、悪いことをしてしまった・・ごめん、アッガイ・・と、箱に入れて、プラモ箱を撫でさすり、誤りました。修理できないくらい、部品は破損しました。その箱を見るたび、胸が痛みました‥。

つまり、先に挙げた①②が原因だったわけです。



40年後のリベンジ!

実は、僕はアッガイを成人してから、作る機会があったんです。当時、7歳だった長男(僕と同い年!)がお祭りの出店のおもちゃ屋さんみたいなところで、捨て値で(500円もしなかったです)で、欲しがって買ったんです。
2年前のこと、僕は47歳になっていました。つまり、40年が経過していたんです!僕は買ってあげつつ、ドキッとしました‥。きっと、これは彼にきかれる・・でも、僕は、これに苦い思い出があり、恐怖を感じました・。当然、長男だけでは完成できません。できるところは彼に任せ、難しいところは一緒に組みました。そして、例の爪部分・・何とか、無事、説明書理解も、接着もできたんです。・・・僕が不器用で、アホだったせいもあるけど、これは7歳の僕には無理だったな‥と、納得しました。


いつか、HGのアッガイも作ってみたいです。


だから上達する。

プラモデルが組み立てられない、説明書が分からない、失敗してしまう、破損してしまう、壊してしまう・・ということは、当時はつらいものです。何個も、壊しましたし、難しくて仕上げられませんでした。しかし、こういうことを経験して、プラモデルも上達していくのだと思います。気が付くと、小学2,3年程度で、5,6年生、上級生に呼ばれて、組み立ててくれよ、手伝ってくれよ等、頼まれるまでになっていたのです。

僕は絵に関しては、小中、高校と、学校中で知られていました。しかし、プラモデルに関しても、小学校の頃、多少なりとも、そんなことを経験したことは、自分に自信を与えてくれ、その後の人生にも、好影響を残すことになりました。困難や、挑戦することを最後まで、やり抜くんだ、という自信をくれたのです。


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