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外国人コミュニティで見えたもの<人生を背負うということ>
外国人コミュニティに参加した。
それは単なる交流ではなく、私自身の仕事、そして人生と深く関わる場だった。
私は行政書士として国際業務を手がけ、そこから経営の道へと進んできた。だからこそ、こうした場に自然と足を運ぶことになるのだが、今回は特別な機会だった。関係者の家族の誕生日祝い。異国の文化に触れながら、自分の立場について考えさせられる時間になった。
祝われる「家族」――日本との違い
その日はネパールのコミュニティでの誕生会だった。驚いたのは、主役の娘さん自身が「初めて会う人がたくさんいる」と笑っていたことだ。
両親が娘のために開いたパーティーに、親族だけでなく、友人、知人、同胞たちが大勢集まる。料理がふるまわれ、賑やかに語らい、笑いが絶えない。
日本ではどうだろうか?
自分の娘の誕生日といえば、家族でケーキを囲むくらいのものだ。もちろん、それが悪いわけではない。ただ、ここには「家族」というものの捉え方の違いがある。
フィリピンのコミュニティでも似た光景を見たことがある。彼らにとって家族は、血縁だけではなく、同じ国や文化を共有する人々すべてを指すのかもしれない。
「在留許可」という人生の重み
今回、私はこの家族の「在留許可」の申請を担当した立場でパーティーに招かれた。
これまで、日本で働く外国人のために在留資格を取得する支援をしてきたが、その許可は単なる「ビザ」ではない。彼らが日本で生きるための「権利」であり、「未来」そのものだ。
彼らは必死だ。
自国に幼い子供や妻を残し、日本で懸命に働く。家族を日本に呼び寄せ、一緒に暮らしたい。そう願いながら、日々を戦っている。
私にとっては業務の一環であっても、彼らにとっては「人生を任せる」行為なのだ。距離が近くなればなるほど、その期待の重みを感じる。そして今回、彼らが心から娘の誕生日を祝う姿を見たとき、ふと胸に刺さるものがあった。
経営者もまた、人生を背負う
これは、外国人支援の仕事だけの話ではない。
私は行政書士であり、経営者でもある。経営者の現実もまた、他人の人生を背負うことの連続だ。
会社を作ったからといって、勝手にお金が湧いてくるわけではない。ビジネスを回し、従業員を雇い、赤字でも給料は支払わなければならない。時には金融機関に頭を下げ、融資を受けてでも人を守る。そんな経営者を私は数多く見てきたし、今、自分もその立場にいる。
世の中には、大企業ですら莫大な負債を抱え、突然倒産する時代だ。
いま流れているお金が「預金」からなのか、「借金」からなのか、それすらもわからない。
経営者は、それでも前に進まなければならない。
だからこそ、全力で生きる
今回、外国人コミュニティの一員として過ごした時間は、改めて「人が生きる」ということを考えさせてくれた。
それぞれに人生があり、懸命に生きている。
誰もが家族を守るために必死で働き、時に自分を犠牲にしながらも、より良い未来を目指している。
私もまた、その一人だ。
だからこそ、今この瞬間を全力で生きる。
今できる最善のことに尽力する。
そうすれば、きっと自分にも最高の人生が待っている。
そう信じて、今日もまた歩みを進める。
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