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好きと推しと、生きる
突然だが、私が学生の頃(※10年くらい前?)は
『推し』という言葉がなかった、と思う。
流行をテレビで知ることが多い、流行に疎い私だからと思うけれど、
私の友達も「『推し』なんて言葉はなかったよねぇ」と話す。
好きなものは『好き』と言っていた。
私はアニメや漫画が好きで、
学生の頃は好きな漫画のキャラの誕生日をまとめて、誕生日のキャラの好きな食べ物を食べるようにしていた。
ひっそりと友達と楽しむ程度に二次創作をしたりもした。
『好き』は、まぁーー強い!!
胸がぎゅっと苦しくて、むず痒くて、楽しくて幸せでいっぱいで。
不安なとき、頑張りたいときは、勇気をくれる応援歌みたいな存在で。
嫌なこと、悲しいこと、イライラすること、マイナスで暗い気持ちになっても、『好き』は優しく甘く癒してくれて。
それに『好き』は、色んなものに出会わせてくれて、色んなことを教えてくれる。
知らないこと、知らない土地・場所、知らない文化、知らない歴史、知らない漢字などなど。
自分では思いつかなかった、ふっと楽になるような考え方も教えてくれる。
『好き』はかわいくて、かっこよくて、強い。
『好き』が無くても生きていけるけど、
『好き』が無いと生きていけない。
私にとって『好き』は、大きな存在だ。
『好き』に生かされている私だけど、ちょっと困っていることがある。
困っているというか、コンプレックスみたいなもの、というか。
私には『好き』がいっぱいある。
アニメ、漫画、映画、ドラマ、小説、本、2.5次元舞台、舞台、音楽、動物のかわいい・オモシロ動画、ネコ、パンダ、甘いお菓子、しょっぱいお菓子、梅酒、ビール、ハイボール、レモンサワー、近所のパン屋のメロンパン、塩ラーメン、餃子、お漬物、梅、色、デザイン、白米、雑貨……。
他にもいっぱいある。もーー挙げたら、キリがない。
生きていると、『好き』は増えていくばかりだ。
そこで私の困ったこと。
それは、『好き』に苦しくなること。
食べ物もアニメも、私は詳しく知らない。
全く知らない人に比べたら、知っているだろうけど、私より絶対詳しいマニアに比べると全然知らないと思う。
理由はなんとなく分かってる。
『好き』になった最初の頃は、いっぱい調べまくるし、いっぱい『好き』に触れる。
だけど、少しずつ『好き』が落ち着いてくると、触れる時間が少なくなって、だんだんと追いつけなくなる。
ネタバレ苦手派の私は、ネタバレを避けて追いかける。
ネット社会になった今となっては、それがものすんごく難しい。
ネタバレ苦手といった、こだわりを持つ自分が嫌になるくらいだ。
『好き』が消えたわけじゃない。だから苦しい。
『好き』をみんなと同じ熱で、リアルタイムで追い続けられないことも、私にとっては苦しい。
「私の『好き』って薄っぺらいなぁ」
なんて思うことも正直あるし、飽きっぽいのかなと不安になる。
『推し活』という言葉も今はよく見るし、専用のグッズがあったりする。
『推し活』に熱心な人達を見ると、圧倒されてしまったりもする。
『好き』と言うこと、『推し』と言うことのハードルが、私にはものすんごく高い。
深く知らないから、詳しくないから、他の人と同じ熱量じゃないから。
なんてわかりやすい理由は自覚してる。
『好き』は自分のペースでいいんじゃない?
そのド正論も分かっているのに、気楽に『好き』ではいられない。
なかなか面倒な自分だと思う。
それでも私は、
好きと推しと、生きることをやめられない。
やっぱり『好き』はすごい。
あなたの『好き』と『推し』は、なんですか?
あなたは『好き』と『推し』と、どう生きてますか?
あなたの明日が、幸せでありますように🍀