文学の意味と価値

「おい地獄さ行えぐんだで!」

「これから大変な仕事が待ってるぞ!」

上記の文章はどちらも同じ小林多喜二の「蟹工船」の冒頭部分。
「蟹工船」と言えば文字通り、地獄のような過酷な労働を描いたプロレタリア文学。初めてプロレタリア文学に触れたのは高校の国語の授業で、読んだのは葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」。あまりにも衝撃的な内容でホラー小説以上にホラーだなと思ったのを憶えている。岩波文庫から葉山嘉樹の短編集(だったかな?)が出ているので、そのうち買ってまた「セメント樽の中の手紙」を再読したい。

それはさておき。

Xでもちょっと話題になってた「蟹工船」の新訳だけれど、正直、これはどうなのだろう?と少し疑問に思う。
元の「おい地獄さ行えぐんだで!」と新訳の「これから大変な仕事が待ってるぞ!」ではかなり印象が違うし、新訳の方は全文読んでないから決め付けることはできないけれど、でも全体的に「優しい表現」に訳されているとしたら「蟹工船」の持つ意味や価値が充分読み手に伝わらないのではないかと思ってしまうのだ。
「蟹工船」の新訳が子供向けとして作られたならまだ納得できる部分はあるけれど、今後元のテキストが新訳に取って変わることがあったとしたら、小林多喜二も浮かばれないような。

似たような話はこれまでも度々Xで話題になってて、「風と共に去りぬ」の黒人差別の描写の削除問題や「若草物語」の新訳(だったはず)が物語が描かれた時代の世界とそぐわない言葉使いという意見、個人的にも「この新訳はちょっと受け付けないな」というのもあったり。

近年はポリコレポリコレ言われてて、それは決して間違いではないし、大事なことだと思うけれど、それが行き過ぎててもちょっと問題だよなあと思う。特に「風と共に去りぬ」の差別表現を削除しますっていうのは。
確かに差別は絶対に許してはならないことだけど、だからって該当箇所を削除すれば良いとはならないし、「風と共に去りぬ」は文学作品だけれど、突き詰めて考えていけば「黒人差別があった時代、その歴史」を否定し、なかったことにするのと同じだと思う。
「蟹工船」の新訳も同じで、人の尊厳すらも奪われるような過酷な労働があった、本当に地獄としか言いようがない労働環境が普通にあったことが「なかった」ことにされる危うさを孕んでいると思う。

ポリコレと表現の自由の問題ってなかなか難しいし、私もどう考えていいのか判らない部分が多いけれど、過去に書かれたものを現代の価値観とそぐわないから削除する、表現を変えるというのはやっぱりあんまりやってはいけないと思うし、文学作品は大部分がフィクションであるけれども、それでしか伝えられない真実も必ず含んでいるわけで、その真実を捻じ曲げてしまうのは、駄目だと思う。
文学の意味や価値って、虚構を語りながら真実を伝えることだと私は思っているので。

それはそれとして、新訳の「蟹工船」気になるな。



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