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孤独と結婚

孤独死

・一人で死ぬことを悲観的に捉えすぎではないか、と常々思う。数十kgある肉の塊が腐るわけだから、遺体は凄まじい状態となるだろう。ミステリという勿れでも言われてたけど、後始末をシステマチックに解決できればいいよね~と思う。高齢者の見守り用に、脈が止まったときにどこかに通報できるシステムがあるのでそれを活用できればと思う。

ここで一気に引き込まれた記憶がある。

・↑う〜んすごいわかる。失礼だよね。

・誰かに看取られたいという気持ちがない。まだ若いからだろうか。一人で寂しく死ぬのもそれはそれで立派な人生の形でしょう。そんな人ごまんといるのではないか。
・私は死に救いを求めているからかもしれない。死ぬこと自体はもちろん怖いが、死に伴う苦痛が怖いのであって、死んだ後の状態になることに憧れがある。死体になることは、眠っている状態がずっと続くことだと思っている。眠っている状態ってすごく幸福じゃないですか。

結婚

・年齢的に、結婚すべきかどうか人生の岐路に立たされている。そもそも私は選択肢がないので、分岐にすら立てていない気がするが。同世代は続々と結婚し始めている。結婚について多少は検討しなくてはいけないのがストレスだ。私は好きな人もいないし子供も欲しくないので、結婚への意欲はほとんど0である。好きな人もいないのに結婚がしたいって最早狂気じゃないか、と思う。子供が欲しい場合、相手がいないことにはどうにもならないので、必然と婚活せざるを得ないのか。

・結婚や出産をすることにより何が変わるのか、しないことにより私の人生はどうなっていくのか、何をすれば私は幸福になれるのか、をずっと考えている。思考停止で結婚が幸福、独身が不幸だと決めつけず、自分の幸福を真剣に合理的に考えるように気をつけている。特に私は曲者なので、世間一般の型に収まる人間ではないということを念頭に置きつつ。(ちょっとカッコ良く言ってみた。)

・結婚はまだ?と聞いてくる身内に対して苛立つ。要は私に幸せになってほしいのだと思う。であれば定型文で喋らずに自分の言葉でそう言ってほしい。幸福を願ってくれているのに軋轢を産んでしまうのは悲しいことだ。どうかサボらずコミュニケーションをとってほしい。

・若い女性は結婚して子供を儲けてしかるべき、という前時代的が大嫌いだ。子供が嫌いな女性だっているし(私)、壊滅的に子育てに向いていない女性もいる(私)。配偶者との同居に過度にストレスを感じる人間もいるだろう(私)。今のところは一人で生活できているし、経済的にも一応は自立しているので結婚の必要性を感じていない。みんな歳をとって健康ではなくなった時のことを心配しているのかな。だとしたら中高年の人間が一人で生活できないシステムが悪いと思う。

・何かを追い求めて婚活やマッチングアプリをしている人間が幸福に見えない。不幸になりたくないから婚活をしていないのかもしれない。自分に持っていないものに価値を見出し続けていたら、自分を苦しめてしまう気がする。
・イソップ寓話で酸っぱい葡萄という話がある。狐はvv高所にある葡萄を見つけるが、あのブドウは酸っぱいに違いない、と決めつけて葡萄をとることを諦めてしまう。自分はまさにこの狐である。結婚に価値を見出さず努力していない。この寓話の言わんとすることは分かる。人生頑張り時があるのも分かるんだが、結婚に関しては諦めが肝要だと思う。運の割合が大きいから。

・改めた方がいいと自覚しているが、結婚をすることにより得られる社会的信用が欲しいという気持ちもある。なんとなく結婚をしている人は人間として上等で、自分には欠陥がある気がする。また、幸せに見られたいという邪な欲望もある。結婚や出産は万人にとってわかりやすい幸福の指標である。(実情は置いておいて。)そこのコンプレックスは自分自身の努力によって埋めた方が健全だ。結婚できてもできなくても自己研鑽は怠らず、人間的魅力を高めていけば良い。私は結婚に向けての努力はできないが、自分の人生を幸福にするための努力をしていこうと思う。とりあえずお腹が出ているのが気になるので毎日少しずつ筋トレをしている。

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