ゆらりゆらりと揺蕩いながら
また3週間が空いた。
都会の喧騒が夕闇に溶け込む中、人で溢れた駅のホームで携帯に目線を落として、いつもの様に膜を張る。開いたnoteの投稿画面をみると、こう書いてる。
2021年9月11日19:31。
最後に投稿した日からもう3週間も経ったのかと思うと、濁流のように流れる月日の経つ速さが怖くなる。
始めた当初は、「最低でも週に5日は書こう!」と意気込んで始めたこのnote。でも、いつからか投稿する間隔は徐々に長くなり、今の投稿スタイルに落ち着いた。書きたい時だけ書く。それが一番自分には合ってると、続けていく内に分かった。それにフォローさせて頂いてる方々の記事を読ませて頂くだけでも、かなり満足してる自分もいる。
今日もそうだった。人の思いや人生が、日常が思い思いの表現方法で幾重にも折り重なるnoteのタイムラインを、その方達の足跡を辿るように時間をかけてゆっくり読んだ。ゆらゆらと電車に揺られながら。
まるで映画の早送りの様にさえみえる小窓から見る景色と、noteを読んでる間流れるゆったりとした心地いい時間。車内に生じた儚くも綺麗な歪みに、不思議な感覚をおぼえた。
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「時間は有限だからこそ、出来るだけ意味のあることに使いたい。」この考えが強くなったのは、去年から今年にかけての約2年間でコロナの影響で家で過ごす時間が圧倒的に増えたから。私だけじゃなく恐らく多くの人が、時間という概念を改めて考え直すきっかけになったんだと思う。
何に時間を割いて、何を切り捨てるのか。今の世の中、時間を潰そうと思えばいくらでも潰せる。音楽や本、youtubeにNetflix、または何かの趣味や勉強など空いた時間は、何にでも充てることが出来る。その中で、今私の手のひらの上にはnoteがある。人が何かを選ぶって掘り下げれば、至極単純な理由かもしれないけど、魅力を感じ続けなければ続けられない、いつか魅力を感じれなくなった瞬間、それは砂みたいに手のひらから零れ落ちてしまうだろう。
noteを始めてからもうすぐ1年が経つ。未だにnoteの魅力にとりつかれてる。タイムラインにあがる記事を読んでは、たまに『あなたへのおすすめ』に表示される記事を読む。ゆらゆらと海を漂うくらげの様に、noteという海を揺蕩いながら流れる時間を過ごしてる。静かで、心に波をうってくれる、そんな穏やで刺激的な時間が好きだ。
時間の使い方について前述したが、今日みたいにゆらゆらと電車に揺られながら、noteの世界でも海を漂い過ごす時間は、自分にとってとても有意義な時間の過ごし方だと、思ってる。
走行中、外からみれば冷たい鉄の塊で中がみえない電車だが、その中は多くの人の人生が一瞬だけ交差する場所で、人の体温や心でぬくもりがある。
同じようにnoteも外からみると、ただのありふれたSNSなのかもしれない。でも実際、中をみるとこんなに温かい空気で溢れているんだと、知らない人には教えてあげたい。
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駅から自宅への帰り道。
さっきまで時間を共有してた人達とは、徐々にばらばらになり、それぞれの帰路へとむかう。
等間隔に並べられた街灯と、家屋に灯った光だけが、静かに私の服を点滅させる。noteを読むか海外ドラマを観るか、今日は何をしようかな…とぼーっと考えながら歩く一本道。
ふと、旅行で訪れた沖縄で石垣が積まれた小道を歩いてる時を思いだした。その先の道を抜ければ、真っ白な砂浜と海がある。
あの時と同じような高揚感が、真っ暗な夜空を照らした。