マダガスカル98日目
日曜日は特にゆっくりと時間が流れるのがこの村の特徴かな。
教会から流れる音楽で目覚めてそのままベットの横の机に座って落ち着きます。
さあ今日も始まったな、コーヒーを飲みに外に出て村の人におはようの挨拶をします、うんいつもの日曜日だ。空を眺めて村を見下ろせる丘まで散歩が日曜日のモーニングルーティーン。英語にすればそれっぽく聞こえるかと思いましたがなんか違いますねw。
ふと思いました、この村で生活して2ヶ月経ったけど、この村に住んでる感覚、馴染んでいる感覚を感じれない時があります。なんでだろう考えてみました。
逆に村に住んでいる感覚、馴染んでる感覚になる時は仕事している時と、子どもや大人と遊んだり、お話している時です。話すことで新しい価値観の発見や自分とは異なる考え方に触れている瞬間です。
纏めると、他者と関わっているときです。
昔から周りに馴染むことは割と得意と思っていました。
僕の馴染むの定義はみんなと少し違います。僕が馴染めたと思うときは自分のテリトリーを確立できたなと思う時です。無理に人に合わせることもなければ、人と自分が同じだと感じる必要もありません。逆に人と違うことが自分の存在意義になっていると思って生きてきました。会話や人の行動をよく観察して徐々にテリトリーを構築します。そのスピードは割と早い方だと思っています。
周りから見れば浮いている状態でも僕は馴染めたなとその瞬間に感じます。
だけどその感覚をこの村で感じる事は少し難しいです。
何故なら最初から人種も言葉も家もアイデンティティも何もかもが同じじゃない状態からスタートしているからです。と言うことは僕の考える馴染むための過程が必要ないということです。自分のテリトリーが最初から用意されている状態でした。これは僕の考える馴染むとは少しずれます。
今までの僕の馴染み方では本当の意味でこの村の住人になる事は難しいということ。馴染むことがこの村に住んでいることを実感する唯一の手段ではないけど、大切な要因の一つです。事実、他者との関わりを実感できるときは住人になることができています。
ではどのように馴染んでいけばいいのでしょうか考えました。
それは今までの僕の考え方の逆をいくことかも、自分と同じ考え方や、同じマインドを見つけ出すことかもしれません。
「違い探し」では無く、「同じ探し」です。
新しい自分を見ることができそうです。
感覚ベースの話になるとまとまりのある文章を作るのがいつもより難しくなります。昨日もそうでした。
だけど感覚を可視化できると頭が整理されていくので続けていきたいです。継続が質を生み出してくれるので2年後はもっとまともな文章を書ける様になります。