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渋谷保安官事務所物語スピンオフ~闘う看護師

1 外れ者と他所者の挑戦
 全住民を集めた、耳慣れない「民会」なるものが開かれたのは202X年の秋口のことだった。これまた見慣れない、山形吉之助という男が民会を招集したのだという。老人たちのひそひそ話が聞こえる。
 (あれは養豚やってた山形の息子だか、孫だかだったか。)
 (山に篭って豚育てて、降りても来なかったな。それが民会ってのはどういう訳だ。)
 (疫病騒ぎで気が触れたのか?)

 「今日は皆さんに諮りたいことがあって集まっていただいた。ご案内の通りだが、この檜原も20世帯、人口は30人まで減ってしまった。当面檜原には良い水もあるし、下水も機能している。この人口を食わせていける食料の蓄えも当面はある。東京の中でも、檜原は多分一番恵まれている。だが何も問題が無いという訳ではない。皆さんに今から紹介したい男がいる。南くん、こちらへ。」
 古代ローマ人を思わせる短髪、背の高い筋骨隆々とした、苦み走ったイイ男だ。茶のカーゴパンツに緑のカーゴシャツ、(傭兵か?)といった雰囲気を漂わせている。一見して年齢不詳だ。20代前半の私よりはずっと年長に見えたが、せいぜい30代前半くらいか?と私には見えた。
 「南慎介と申します。私から、今の東京都心部の様子をお伝えしたいと思います。私は荒川区に住んでおりました。先月から、浄水場が機能しなくなり、水道水が異臭を放つようになりました。警視庁も消防庁も疫病により機能を停止、医療機関もほぼ機能していません。何らかの理由でか固定電話が機能せず、携帯電話を持たない父と連絡を取ろうにも取れない状態になりました。商店という商店は略奪を受け、女性は外出するとかなりの確率で強姦されるという治安状況でした。これが今の東京都心部の画像です。私が撮影したものです。」
 南という男はプロジェクターに繋いだMACを操作して、写真を次々見せ始めた。物陰から恐る恐る撮影したように見えるその画像は、略奪を受けたスーパー、コンビニ、火の手が上がる繁華街、ここまでは治安が悪化しかけた春に都心部を離れた私には、意外でも何でもなかった。ところが次の画像は私を驚かせるに足るものだった。
 (銃?・・・バズーカ?)私は、思わず舐めていたチュッパチャップスを落としてしまった。
 「AK47アサルトライフル、そしてRPG、こんなものが今の東京都心部では大量に出回っています。銃撃戦もそこここで起こっています。何のために?コンビニやスーパーのペットボトルに入った水や、学校の受水槽に蓄えられた水、地下水、誰かが蓄えた雨水をめぐる争いです。」
 (そういうことか。)と私は得心した。
 「私は、都心部から中央道を歩き、水を求めてこの檜原までやって来ました。暴徒の略奪は三鷹市まで及び、中央道を西へ西へと進んで来ている、いつかは檜原に達する日が来るに違いない、というのが私の予想するところです。」南は話をそこで締めた。
 「皆さんにまずはこの現状について意見を言って貰いたい。」山形がまず村民に話を投げた。
 (意見て言っても、どうすりゃ良いんだ。年寄りばかりじゃこの村守れるもんじゃないだろう。)
 (この村ももう終わりか、檜原より西には山梨県、二重の有刺鉄線の向こうにフェンスを張られて銃を向けられてる。俺らはもう死ぬしか無いんじゃないか。)
 (水と食料があるってのも考えものだということか。)
 ぞよめきの中、私の3歳年上の従姉、この村最後の医者になってしまった矢吹美穂が私に耳打ちした。
 (清美、あの南って人の話は信用できるの?)
 (あの人を信用できるかどうかはともかく、情報は間違いないと思う。)と私は美穂に耳打ちした。ところが次に山形の口から出て来た言葉に、私は仰天した。

 「俺は、この南くんに、檜原に来てどうするつもりだったのか聞いたんだ。そうしたら彼はこう言った、『そこらの湧き水を飲んで、猪を狩ったり、シカを狩ったり、山菜を採集しながらひっそり暮らすつもりだよ』とね。実は、彼は銃を持っている。米軍から買って飛行機で落として貰ったやつだ。俺も彼に銃を買って貰って、この村を捨てるのも良いかと思ったんだ。」
 「何を言う!お前だけ許さんぞ!」という怒号が聞こえた。
 「じゃあ、あんたらもそうするか?」と山形。
 (そりゃ、無理だ・・・。)と会場が意気消沈した。無理もない、この村の生き残りは天然痘のワクチンを若い頃に接種した老人が多い。50代後半の山形はまだ若い方だ。
 私は美穂を見た。(自分一人なら何とかなりそうだけど、美穂ちゃんもとなると難しいか。)と私は思った。
 「そこで、ここからは俺の提案だ。この南くんを皆で雇わないか?ってのがそれだ。その前提として、俺をこの村に村長にして欲しい。何でも、民主的な制度で運営されている復興協議会のある自治体さえあれば、食料や燃料の補給が得られる。食料や燃料を元手にこの村の人口を増やす。余ってる農地を使って食料を増やすこともできる。人が食わせられるなら、南くんのように銃の扱える若者を増やして村を守ることも出来る。」
 民会は静まり返った。それはそうだ。見ず知らずの他所者に村の防衛を託すという話だ。簡単にはいそうですかと言える話ではない。
 南が口を開いた。
 「正直言って、私は山形さんのご提案には無理があると思ってる。ただ、蹂躙された日暮里の街を思い出す度にとても腹立たしく思うのも事実。一晩考えて、この村をあの蹂躙から守れるものなら守りたいと思うようになり、山形さんの提案に乗ることにした。もし私の提案に乗っていただけるなら、10人分までの装備については、私の懐から出そう。どうせ使い道の無い金だから。」
 そう言って、南は相棒らしき若い男に装備を持って来させた。
 「これがライフル、これが防弾チョッキ、そしてこれがハンドガン。諸々一式で70万円、10人分なら700万円というところだ。もしこの民会の中で自分も訓練を受けて私と村を守りたいという奇特な方がいるなら、初期投資は私が持つ。どうだろうか。」
 あんたが村のためにそうまでする理由が分からない!という声が聞こえた。
 (彼一人でも自分の身は守れるかも知れないが、一人で自分の身を守るより、仲間がいて、食料と水の安定供給を受けられるなら、その方が余程良いということなんだろうな。)と私はそう推測した。そして、南は全くその通りの理由を述べた。この時私は、南を信じられるかどうかはともかく、彼の考えは理解できると思った。
 「発言しても良いかな?」と私は山形に尋ねた。山形は頷いた。
 「私は看護師をやってる中島清美というもんなんだけど、私には最優先で守りたいものがある。それは、この村の唯一の医者である私の従姉、美穂なんだよね。見ての通り、この村には老人が多い。だから受けられるのは多分私ぐらいだと思う。それで交渉なんだけど、その銃と装備、出来るなら私の私物にしたい。その条件なら是非南さんの言う防衛隊だかに入っても良い。」
 会場から大爆笑が起こった。皆笑っている。南も笑っている。そして南は言った。
 「悪くない。ただ私の買った銃を丸ごと寄越せというのはちょっと痛いな。村の持ち物にするなら・・・と思っていたからね。どうだろう、7割ぐらい金を出してくれるなら考えないでも無いが。」
 「せいぜい3割が良いとこだよ。」私は粘った。
 「う~ん、厳しいな。3割は一括、2割は無利子2年ローンで飲んでくれないか?」
 「消耗品が村持ちなら・・・構わないけど。」
 「じゃあ、交渉成立だ。」南はニッコリと笑った。
 「・・・それから、中島さん、南くんはこの村の防衛隊長じゃない。俺は、彼を保安官にしたいと思っている。」と山形は言った。「村の防衛だけじゃなく、治安全般を見てもらうつもりだ。もちろん、これから2ヶ月は試用期間だ。試用期間を経て、もう一度民会に諮りたい。彼が村の保安官に相応しいかどうか。皆さん、どうだろう。」
 (まぁ、そういうことなら・・・)とざわざわする民会。
 「11月まで、俺は村長代行、南くんは保安官代行、それでよろしいか?良ければ拍手をしてくれ。」
 満場の拍手が鳴り響いた。
 檜原の外れ者の村長代行と他所者の保安官代行の試用期間が始まった。

2 闘う看護師
 民会が開かれた公民館前の道沿いにある、ほぼ廃校状態の中学校を、南と相棒の木下文太郎は保安官事務所とした。山形は校長室を使い、南と文太郎は職員室を使った。
 MACユーザーである南は、職員室に放置されていたWINDOWSのパソコンを随分と有難がった。MACで作ったドキュメントは、総務省の役人たちに送っても読めないだろうからだ。
 この種のものに疎い山形は、復興協議会名簿の作成、暫定的な住民台帳の作成等を南に丸投げして自分の稼業である養豚に精を出した。
 南と文太郎は起床から10時までを事務仕事に使い、そこから16時までを軽トラに乗ってパトロールに、夕方からはまた事務仕事に没頭、22時に終業、就寝後も何かあれば跳び起きてバイクに乗って檜原村を縦横無尽に精力的に動き回った。彼の仕事はほとんど何でも屋に近い。殺人も窃盗も、喧嘩すら珍しい檜原で、「武器を持った行政官」である南の本領発揮は随分先のことになると思われた。
 忙しい日々の合間に、私は南に呼ばれて装備のフィッティングを行なったODの上下の戦闘服を2着、コヨーテブラウンのプレートキャリア、ベージュのヘルメット、シューティンググラス、手袋、G-SHOCK、パンツベルトにガンベルト、加えて冬用のソフトシェルジャケット、トレッキングシューズ等。不思議とどれもぴったりとフィットした。一式を身に付けて外に出ると、南が大きめの空き缶に水を蓄えてタバコを吸っている。
 「どう、似合う?」と一回転する私に、「バッチリだな。」と目を細める南。
 黒字に白文字で大きくSHERIFFと書かれたパッチを旨と背中に貼っている以外は、保安官らしさは皆無だが、何事も最初はこんなものかも知れない。
 「保安官ぽい感じにはなってるけど、まだこの土地の保安官って感じには足りない気がするね。」
 「保安官には身分証明のバッジや、その土地の保安官事務所の所属であることを示すバッジパッチなんかがあるんだ。ロスの保安官事務所だと六芒星の真ん中に熊が描かれてるバッジパッチを貼ってたりするんだが。」
 「それ、私が絵描こうか?」と、私は提案した。
 「描けるのか?」
 「割と得意だよ。檜原っぽいものを描いてくるよ。色は黒地に銀とかグレーとか?」
 「そうだな、文字には決まりがあるから、後でオーダー送っておくよ。」と南は言った。
 まだ銃も貰ってないけど、何かを始めるってのはワクワクするものだ。
 「南さん、タバコちょうだい。」
 「中島さん、吸うんだ。」南が意外そうな顔をした。
 「病棟勤務だった時は夜だけ。今はタバコ買えなくなっちゃったから全然吸えてない。」
 「そりゃ気の毒に。」こんな時の南は本当に気の毒そうな顔をする。人の愚行に寛大な人なのかなと思った。
 「南さんて、都心に住んでた頃って何してたの?」
 「ライターだったよ。何でも書いたよ。バイク雑誌、B級グルメ、アウトドア、ミリタリー、エロ雑誌なんかも。」
 「エロ!?じゃあAV女優のインタビューとかも?」
 「たまにやってたね。」
 「意外と南さんて女に乾いてるって言うか、なんかサラっとしてるのって、割と女は間に合ってる感じだったからなのかな。」
 「何だよそれ。」南は笑った。「でも、年の所為もあるかな。もうすぐ50だしな。」
 「え!?嘘、30代だと思ってた!」
 「ヒゲ伸ばすと白いんだぜ、嫌になるよ。」
 「チン毛もでしょ?」
 「ああ、これだからAV女優とナースは・・・。」南は苦笑いした。
「キャハハハ!」

 翌日、事務所へ行くと南は文太郎を交えて聾唖者のしずさんというお婆さんと手話で話していた。
 私は南に、夜に描いてきたデザインを4種類見せた。
 「鹿、熊、鶯、猪か。俺は熊が良いな。」南は熊に目を留めた。
 「熊強そうだしね。」文太郎も熊が好きらしい。「檜原は東京で熊がいる唯一の自治体だったらしいよ。」
 「おいおい大事なことを忘れてもらっちゃ困るぞ。」と言って山形が話に加わった。「これは檜原保安官事務所のマークになるんだろ?これから売り出す檜原豚を入れないでどうする!」
 「豚っすか・・・。」文太郎がしゅんとなった。
 「きっちゃん、豚はねぇよ流石に。」南はサラッと却下した。
 「しんちゃんよ、お前これから23区の辺りまでソーセージとかベーコンとか行商に行くんだろう?だったら商品の宣伝をだな・・・。」
 「きっちゃん、行商自体が目的ってわけじゃねぇんだって、人をスカウトしに行くんだろ、忘れたのか?」
 「豚かぁ。」文太郎は心底がっかりしているようだった。
 「猪はどう?これも結構自信作だったりするんだけど。」私は逆提案した。
 「百歩譲って、猪なら・・・まぁ許せるか。」と山形は折れた。
 「まぁ、猪をシンボルにする軍隊も無いわけじゃないからな。ただ、これを採用するなら、もうちょい威厳が欲しいな。山の神みたいな。どう、中島さん、イケる?」
 「やってみる。」

 その夜は一晩中描き直しをした。何度描いても某ジ●リのアニメに出てくる、祟り神になった例の猪に良く似たものになってしまう。ごめんジ●リ、ごめんジ●リと泣きながら描いた猪はまんま乙●主だった。翌日見せると、南も文太郎も絶賛してくれた。私は複雑だった。
 この日もしず婆さんは来ていた。南が手話で色々としず婆さんに指示をすると、しず婆さんは掌を拳でとん!と叩いた。しず婆さんは学校にキャリーを持ち込んで何やら作業をし始めた。
 しず婆さんが作業をしている間に、南は職員室に設えられた頑丈なロッカーの鍵を開き、そこからガンケースを取り出した。中にはGLOCK22、後々まで私たちの愛銃となるハンドガンだった。
 SAFARILAND7377というホルスター、SUREFIRE X300Uというライト、予備マグ、ブレードテックの二連マグポーチという、アクセサリー一式を説明しながら南は見せてくれた。
 「南さん、私、今猛烈に感動してる。」
 「この鍵を渡すのは訓練が終わったらな。明日から訓練に入ろう。」
 「分かった!」私はウキウキしていた。
 しず婆さんが作業から戻ってきた。黒地にシルバーとグレーの乙●主の描かれた見事な刺繍の丸いバッジパッチには、上半分に「DEPUTY SHERIFF」とアーチを描くように書かれ、下半分には「HINOHARA VIL.」とシルバーの文字で書かれている。他に同じ乙●主が描かれた扇型の黒パッチが二つ、やはり黒地にシルバーで「A-22」と書かれた四角いパッチを2つ。
 このコールサインパッチをヘルメットに、扇型のパッチを両袖につけてくれ。マジックテープになってるから簡単だ。それとこの丸いパッチはプレートキャリアの左胸に。中島さんも俺もこれで正式に隊員だ。
 私は思わずしず婆さんを抱きしめてしまった。この時ほど手話のできない自分を呪ったことはない。こんな見事な刺繍ができる人を、他所者の南が見つけて来て仕事を与えることができる、こんな素敵なことがあるだろうか。私は翌日から南に銃と手話を習い始めた。

3 試供品
 昼は山梨方面から自衛隊のトラックがやって来て、薬品や医療資機材、小麦、牛乳、バター、大豆、食用油、ガソリン等が届くようになった。
 県境に空地を設け、そこにフェンスで囲いをし、荷物を置いて防護服を着た自衛隊が荷物を置いていく。彼らが去った後に私たちが荷物を運び出すという手順で荷物の受け渡しが行われた。
 これは南と文太郎による総務省との交渉が実った形だった。こうした資材の選定には、私の従姉である美穂のアドバイスが大きく影響していた。南は専門家の話を良く聞く人で、彼女の意見には熱心に耳を傾け、良い案はスピーディーに実行に移した。
 南は、私のトレーニングの合間に、私からも心停止の際の蘇生方法、応急処置のキモ、メディックポーチ内容物の選定等、幅広く意見を聞いて実行に移して行った。時間がいくらあっても足りないとばかりに精力的に動く彼を見ながら、この人はいつ寝ているんだろうかと訝しんだものだった。
 彼と文太郎の働きの甲斐あって、民会は、村長に山形吉之助を、保安官に南慎介を、満場一致で選ぶことになった。
 私はと言えば、新たに愛銃となったGLOCK22にライトを取り付け、腰のホルスターに差して行動するようになっている。村内の老人への往診は、私の運転する軽トラで回り、同時に3人足らずの保安官事務所の一員として、様々な御用聞きを私は行った。
 私からの御用聞きメモを受け取った南は、いつも感心してくれた。
 「文太郎、中島さんのメモってすごくないか?やっぱ元病棟看護師の情報共有の仕方ってのは練れてるよなぁ。」
 「このメモはしんさんのやつより大分分かりやすいっすよ。」
 文太郎も頷く。この二人は結構な学があることが最近分かった。文太郎は某医大のスポーツ科学部の学生だし、南は経済学で修士号を持っている。二人揃って気質は近く、どちらも知的好奇心旺盛で垣根の無いオープンな人柄だ。私が気に入らないことがあるとしたら、この二人が文太郎、しんさんと呼び合う間柄なのに、私だけ「中島さん」だってことくらいだ。
 「差別だと思う。同じ喫煙所仲間なのに、私もしんさん文太郎って呼びたい、ついでに村長もきっちゃんて呼びたい。私のことも清美でいいよ。」
 三人の男たちは、互いに目を見合わせ、「セクハラで訴えないって約束できる?」と南は恐る恐る言った。なるほど、都心で働く男の感覚ってのはこうだったな、そう言えば。
 というわけで、これから私は南を「しんさん」村長を「きっちゃん」と呼ぶことにする。
 しんさんが自分のライフルと米軍の「友人」から送られてきた試供品のライフルを見せてくれたのは、それから数日のことだった。
 「SIG SAUER MCXというライフルだ。この会社の銃はとても頑丈で、米軍でも一部で使用されている優れた銃なんだけど、重いのが玉に瑕なんだ。ちょっと撃ち比べてみてくれるか。意見を聞きたい。」
 私はしんさんのライフルで何度も練習させてもらったことがあるので勝手は分かっている。しんさんのライフルは銃身長10.25インチ、特殊部隊で使われている近距離用のAR-15でM-LOKスロットが側面に4つ。軽いのは良いんだが銃身の跳ね上がりが少しキツい。しんさんも文太郎も親指を上のレールに掛けて握り込むようにして銃身を上から押さえて撃っている。しんさんはコスタ撃ちとか言っていた。
 バレル長は11.5インチ、しんさんのライフルより3センチほど長く、ハンドガード側面のM-LOKスロットは5つ。撃ってみると、ハンドガードの形状から想像した通り、フロントヘビーで銃身の跳ね上がりは随分小さい。私にはこっちの方がしっくり来た。
 「しんさん、これ高いの?」と私は恐る恐る聞いてみた。
 「SIGからの試供品だから一応無料ではあるけど。」
 「私断然これが良い。じっくり狙って撃てる気がするし、このくらいの重さなら使えるよ。」
 「まぁ、清美がそう言うなら・・・とすると、清美の借金はこれでチャラだな。」としんさんは言った。こうして私は、この素敵なMCXをお迎えすることになった。

4 マグニファイヤー
 「クッソ!何度やっても倒される、ムカつく!」
 私は文太郎から学校の校庭を使っての合気道の特訓を受け始めたが、何度やっても一本どころか、付け入る隙すら無い。文太郎にとって私は合気道の相手にすらならない。
 合気道の世界で文太郎は、相当な有名人なのだというのを私は最近知った。しんさんすら一本も取ったことが無いのだそうだ。
 「しんさんは最近ちょっと怖くなって来たよ。一本となるとまだまだ全然無理だろうけど・・・」と言う文太郎は、筋骨隆々のしんさんをことも無げに倒す。嫌味・・・と思っていたが、確かにしんさん相手だと、文太郎はそこそこ真剣にやっている。
 この閉塞感よ。
 この閉塞感を忘れさせてくれるのが射撃だ。GLOCK22に我が愛するMCX。40口径を2本のマガジンに5.56ミリNATO弾を4本のマガジンに詰め、私は射撃に没頭して合気道の憂さを晴らした。
 もう一つ私の閉塞感を忘れさせてくれたのが250CCのオフロードバイクだ。これで風邪を切って遠くの村民の家に一人で御用聞きに行ったりするのは爽快だった。季節が冬でなければもっと快適だっただろう。
 ある日しんさんが遠出をして、車に二人の男を乗せて戻って来た。一人は文京区の白山でパン屋をやっていた男、もう一人は上野でメガネ屋をやっていた男だ。
 実を言えば、村民は、配給の小麦粉を与えられて持て余していた。なぜ米じゃないんだという苦情が村長に寄せられた。私も不思議に思ったが、いつまで経っても国からの支援物資に米は入って来なかった。そこでうどん作りの得意な主婦にうどんを作らせたり試みたが、これにも村民は飽きてしまった。そこでパン職人を招聘することになった。
 パン屋の三井の作るパンはとても好評で、年金を電子マネーに変えた老人たちがこぞって買い求め、朝には彼の焼くパンの匂いに誘われて長蛇の列が出来た。廃校はパン屋の成功で、パン屋を中心に、鶏肉、卵、野菜などの売買が盛んな市場と化した。もちろん、きっちゃんの檜原豚ベーコンや檜原豚のフランクフルト等も人気商品だ。村は売上の5%を使用料として徴収した。微々たる歳入だが、これでいくばくかの金が村に入った。
 メガネ屋の今田は、どうやら普通のメガネ屋ではなく、しんさんや私たちが愛用するWILEY-Xのようなシューティンググラスやサングラス専門の店を構えていて、ミルスペックの眼鏡フレームのために、強化ポリマー素材で作った近視用のレンズや遠近両用のレンズを作るサービスで結構な儲けを出していた。大した商売だ。私は当面必要無いが、しんさんは愛用するタブレットを読むたびにシューティンググラスを老眼鏡に掛け替えていたので、遠近両用のWILEY-Xを手に入れてご機嫌だった。
 こうして、しんさんの人攫いは続いた。時には文太郎を連れ、時には私を連れ、人材を求めて東へ東へと車やバイクを走らせた。決まって彼は言った。
 「迷ってるなら西へ行こうぜ、水も綺麗、食い物もたっぷり、治安も良い、檜原サイコーだぜ!」と。
 続々と檜原へやって来る様々な職業人、その中から保安官事務所隊員に志願する者が現れ始めた。パン屋の三井、メガネ屋の今田をはじめ、車の整備士をしていたという柳田、チェーンの居酒屋の店長だったという成田など、新天地での自分の商売が軌道に乗り始めると、暴徒に住んでいた場所を追われた人間特有の危機意識から、進んで郷土防衛に加わろうとするようになって行った。
 「俺は失う物が無い奴に銃は持たせない。」とは、しんさんが良く言っていたことだ。
 兵隊になりたくてやって来る若者は少なくなかった。人は喉から手が出るほど欲しかったが、しんさんも文太郎も決して彼らを保安官事務所に加えようとはせず、丁重に断った。
 一度、そんな若者が二人掛かりで私から銃を奪おうとしたことがある。ホルスターのロック機構のお陰で、力づくで引っ張ろうとしても抜けないハンドガン、私は一人の顎に掌底を食らわせて倒し、もう一人は合気道の技で腕を捻り上げて後ろ手に手錠を掛けた。後で美穂ちゃんが診察したところによると、肩を脱臼していたらしい。
 「22アダムより各局、暴漢に襲われた、応援求む!」と無線で呼びかけると、同僚の男たちがぞろぞろと集まって来た。
 「あ~姐さん、エグいなぁ、やれやれ。」とため息をついてハンドガンをホルスターに納めるパン屋の三井。
 「何があったかと思いましたよ。」とニヤニヤする文太郎。「こっちは脳震盪起こしてるなぁ。」
 「女だからって舐めやがって、モツ煮込みにしてやんぞ、コラ!」と、起きてる方に蹴りを入れる私。
 事務所に連れて行くと「逮捕者出ちまったかぁ。」と頭を掻くしんさん。
 とりあえず診療所で治療をして、翌朝、村長、保安官、保安官補たちで囲み、説諭をして釈放となったが、その時のしんさんの言葉にはとても考えさせられた。
 「この村にはまだ裁判所が無い。良かったな、裁判所があればお前らは重罪人だ。だが、それも困ったもんで、そうすると俺らに許されるのは剥き出しの正当防衛と、自傷他害の恐れを根拠とする実力行使ってことになっちまう。俺は、部下たちには、襲われたら遠慮なく銃を使えって言ってある。襲ったのが清美で良かったな。清美は強いから銃を使わないで済んだ。でも他の隊員ならこうは行かないぜ。次は撃たれると思っておけ。」
 「はい。」脱臼した方の若者が頭を下げた。
 「それでな、左官の喜三郎さんが人足探してるってんだが働く気は無いか?」
 「それは強制労働とかですか?」若者は恐る恐る目を上げた。
 「いや、バイトだよ。」
 「やらせていただきます!」翌日から彼らは、喜三郎さんの手伝いで、あきる野市の境、秋川渓谷の辺りに設置する検問所のフェンス作りに行った。あきる野市側に少しはみ出す形で基礎を埋める場所を掘り、柱を設置、フェンスを設置。フェンスは無線とキーカードで解錠できるようにした。
 その作業が終了すると土嚢積みが始まる。
 「しんさんの言うには、バズーカを3発ぐらいまで耐えられるもんにしてくれってことでな。あんまり良いもんはできんかも知れんが、やれるだけのことはやらんとな。」と喜三郎。
 「親方は保安官さんを信頼してるんですね。」と前日まで倒れていた方の若者が言った。
 「わしら老人は大なり小なり、自分を丸ごと預けられる絶対的な信頼ってのはとっくに卒業しとるよ。」喜三郎老人は笑った。「ただ、あの男の言うことならはわしらには分かる、必要なんだと理解できる、それが大事なんだよ。」
 「必要って、何に必要なんですか?」
 「そら、わしらが商売をして生きて行くための、平和だな。」
 「商売のため。」
 「ああ、商売のためさ。」そう喜三郎老人は言った。

 しんさんは、あきる野市、八王子市といった近隣と檜原を盛んに行き来して、人探しに精を出したが、治安の悪化は八王子の東半分まで覆い始めていた。八王子ではいくつかのギャングが拠点を作り、都心部よりも良好な環境を得て勢力を四方に伸ばそうとしていた。
 しんさんは20人に膨れ上がった兼業保安官補たちに、アサルトライフル用のマグ二ファイヤーを支給した。檜原保安官事務所のライフルは私のMCXと今田の14インチライフルを除けば、皆近距離用の仕様だったが、隊員たちの射撃が上達するに従い、中距離射撃の精度を上げる方向に舵を切ることにしたのだ。
 「暴徒には、リーチと正確さで対抗しよう。」という新しい方針は、隊員たちを苦戦させたが、私の銃にはとても良い結果をもたらすことになった。

5 ツインテールの日
 フル装備をしたり、バイクに乗ったりと、ヘルメットをかぶることが多くなってからの私は、少しQOLが下がっている。長いカールした髪をツインテールにするのが私の本来の姿だ。これでも看護師なので、キラキラネイルしたりカラコン入れたりという習慣は無いが、長い髪を手入れの行き届いたツインテールにすることだけは絶対に譲らなかった。
 檜原保安官事務所制式、TANカラーのオプスコア・ファスト・バリスティックヘルメット。何度かツインテールのままかぶろうと試みたが、無理だった。
 「ここに穴空けちゃダメ?」とヘルメットの側面を指差す私。
 「切るか?もちろん髪の方だが。」と言ってメディックポーチからシザーを取り出すしんさん。
 こうして私は、ヘルメットをかぶる時だけは髪を、低く後ろで一つにまとめることを余儀なくされた。
 そんなある日、隣のあきる野市から、大勢の避難民が秋川渓谷に集まってきた。
 しんさんは、私を含む非番の保安官補たちに召集をかけた。美穂ちゃんもしんさんの要請で呼ばれた。ざっと200人強、子供も多く混ざっている。保安官事務所の体育館を急造の避難所にして炊き出しが行われた。こういう時、檜原の老人たちは積極的にボランティアに加わってくれる。身分証明書の確認、避難民台帳の作成、メディカルチェック等が一通り終わると、タブレットが配布される。
 これはしんさんが考案し、総務省に作らせたシステムだ。アカウントを作り、配給券や入浴券を受け取ったり、手持ちの預金等を電子マネー化する機能の入ったグループウエアだ。金融機関が機能しておらず、東京外との通行が遮断されたこの世界では、「金」と言えばローカルな電子マネーのことだった。このタブレットのお陰で、檜原の老人たちは東京一早く年金を受け取れるようになった。

 さて本題。あきるの市民はなぜ避難してきたのか。簡単である。八王子ギャングの手が伸びてきたからだ。あきる野市は、五日市の辺りは開けた市街地である。しんさんに、なぜ檜原まで逃げてきたのか、あきる野辺りの方が快適じゃないか?と質問した時、彼の答えは、「開け過ぎで、銃を持ってたら目立って仕方ないからな。」ということだった。もちろんそれは、しんさんが人から隠れて生きようと思っていたからで、ギャングは堂々と武装して人を殺し、財産を奪い、食い物が無くなると場所を移動する。イナゴのような奴らだ。
 しんさんは、きっちゃんと話し合い、村の防衛線をあきる野市戸倉の辺りまで張り出すことにした。無人のカフェを拠点に、バイクで部下を連れて偵察を行い、自分の携帯電話で写真を撮り、持ち帰って戦力分析をした。
 この頃になると隊員の射撃訓練は、先任の私が教官となって行うようになっていた。発足以来のメンバーである私と文太郎、私たちは二人でしんさんの任務を支え、しんさん不在の時には交代で留守を守った。
 隊員たちがマグ二ファイヤーの扱いにも慣れてきた頃、しんさんの米軍の友人たちから、空のデリバリーがあった。隊員20人分のナイトビジョンとサプレッサーだ。しんさんの指示で、ナイトビジョンを装着しての夜間射撃の訓練も開始されることになり、檜原の緊張は一気に高まった。私を含め、訓練が始まるまで誰一人として知らなかったことだが、私たちのダットサイトは最初からナイトビジョン対応のものだった。しんさんはかなり前から夜戦を想定していたようだ。
 防衛線を監視するため、夜は無人となる拠点のカフェから、道沿いに多くの監視カメラと広範囲に音声を届ける拡声器を設置した。こんなご時世でなければ色々と問題になったに違いない。何れにせよ私たちは、着々と郷土防衛のための手を打ってきた。
 
 日中は商売と訓練、そして情報共有。兼業者ばかりの保安官事務所は、それぞれのシフトを商売の都合で組む。ノリは田舎の消防団に近いが、自分たちの商売を自分たちの腕で守ろうとする心意気は、砂漠の隊商か、はたまた地中海都市国家の商人のようだった。
 とうとう二百人規模のギャングが武器を携え、あきる野市戸倉の第一防衛線を越えて来た。すぐさま文太郎に叩き起こされるしんさん、きっちゃんにも連絡が入り、軽トラを飛ばして事務所にやって来た。20名の隊員全員に召集が掛かり、全員が職員室の大型モニターが写し出す監視カメラの画像に見入った。
 そこかしこの木に設置されたLEDライトが一気に点灯され、武器が確認された。 
 「こちらは檜原保安官事務所だ。全員武器をその場に置きなさい。さもなければ射殺する。繰り返す、武器を置くことなくそれ以上檜原村に向かって進むようなら、全員射殺する。」
 しんさんはアナウンスの後、中国語で予め作っておいた同内容のアナウンスを流した。ギャングたちは空に向かってAKを連射した。鳴り響く警報とともに敵襲が村中に伝わった。保安官事務所に続々と集まる老人たち。体育館の避難民たちの中でも動ける者はボランティアの老人たちを手伝った。
 檜原街道を急行する20人の隊員たち、私と今田は高所へ移動。ナイトビジョンをセットして配置についた。
 「22アダム、セット!」私が報告すると、「21アダム、コピー!22エドワード、そちらは配置に着いたか?」としんさんからの声。
 「22エドワード、セット!」と今田の声がした。
 「20エドワードより各局、ローカスト(イナゴ)、レッドラインまで200メートル。」文太郎から無線だ。全員鼓動が高鳴る。
 「21アダムより各局、光学機器のナイトビジョンモード確認、ナイトビジョン装着!」
 
 戦力差は10倍強、しかし一方的な戦いになった。先方の死者はきっと何が起こったか分からなかったろう。音も無い襲撃でバタバタと倒れて行く仲間たち、私と今田が高所からの狙撃でRPGを持ったギャングを丁寧に間引く、削ぐように左右から倒れていくギャングの大群。不思議と私のMCXは全く外すことが無かった。マグニファイヤーとはすごいものだなと私は実感した。
 それでも後ろの方にいる連中は、前へ前へ押して行こうとする。それはそうだ、彼らは素人ギャング同士の乱戦しか経験が無い。こちらの戦力を知ろうともせず、闇雲に銃の優位を信じて突っ込んで来たのだから。
 損害が3割を超えても戦意が衰える様子が無いイナゴたち。全員予備のマガジンをたっぷりバックパックに積んで来た私たちは、じっくりと腰を据えてお付き合いすることにした。驚いたことに、先方様は、戦力差が逆転するまで戦い続けた。どういう心理だったのか私には測りかねたが、200名いたギャングは5人になるまで凄惨にも戦い続けた。
 2人を捕縛、3人を逃し、戦闘は終了した。
 午前4時までに死体の袋詰めを終え、トラックに乗せて檜原へ帰投。もっともこちらの死者はゼロだ。シフトを確認しながら校庭で軽い食事、警戒態勢は続いていたが、私は職員室のロッカーにライフルとハンドガンを置いて、仮眠を取った。
 翌朝、警戒態勢解除のアナウンスがあり、私たちは帰宅を許可された。というわけで、ヘルメットから解放された私は、髪をツインテールに直して、診療所へ。
 日付変わって12月23日。「おはよううさぎー!」とツインテールを立てながら美穂ちゃんのいる診察室に入って行く私は、寝不足で変なテンションだった。
 「ああ、清美、おはよう。」
 「化粧したまま寝落ちだね、美穂ちゃん。」
 「これ誕プレだよ、清美。」
 お洒落なラッピングを開くと、赤いベレー帽が入っていた。
 「清美が装備を着た時の、ツインテールに似合う気がしたから。」
 「ああ、これ、・・・最高かもしんない、うわ~テンション上がる!」
 かぶるとこのベレー帽はいい感じに前髪を隠してツンテールを際立たせてくれた。茶とグリーンの装備との相性もすごく良い。
 とりあえず、その日は午前いっぱい休診にして、私たちは寝ることにした。

6 五日市防衛線
 死体の山を築いた戸倉の戦闘は総務省の知るところとなった。いや、その前から派手に射撃訓練をする檜原保安官事務所の様子は衛星によって監視されていたのだが。
 総務省の戸波課長補佐とのZOOM会議は陰鬱なものとなった。きっちゃんにしても、しんさんにしても、「武装した檜原に総務省がどこまで耐えられるのか」という課題は、いつかは表面化することだと思っていた。案の定、総務省は食料とガソリンの支援を一時凍結したいと言ってきた。
 「そもそもが、あきる野からの避難民受け入れが発端であり、重武装した暴徒に対応するに銃を持つこと自体は、国として難色を示すものではない、だから檜原が武器を持っていても総務省は今まで支援を凍結しなかった。そうだよね?」と言うきっちゃん。
 「しかし、檜原から出て武装勢力に対抗するとなると話は別ですよ。」と言う戸波。
 「檜原を守るってことは、檜原を戦場にしないってことでもあると私たちは理解しているんですがね。都道33号線まで張り出して、敵がどこまで出て来ているのか把握できなければ迎え撃つこともできない。大体、あきる野は緩慢な無政府状態で、我々の友軍はいないんだ。」としんさんは主張する。
 「何だか、南さんの主張は、満州は日本の生命線だって言ってた関東軍の主張とそっくりに聞こえますがね。」と冷ややかに言う戸波。
 「戸波さん、あんたの立場は分かってるよ。いち早く復興した檜原を持ち上げといて、イモ引くような格好悪い感じになっちまった立場にも同情するよ。でもさ、そんな冷ややかな言い方しないでくれよ。あんただって、別に俺らと喧嘩したいわけじゃあるめい?そのうち風向きも変わるわな。その時になったらまた仲良くやれるように、この話はここいらで終いにしようぜ。な?」
 「ええ、でもしかし・・・」
 「分かってるよ、支援は凍結。それは了解したから。またな。」ときっちゃんは戸波の顔を立てた。

 きっちゃんは緊急の民会を召集した。1000人には満たないものの、膨れ上がった人口を抱えるに至った檜原、じきに民会で民意を問うレベルを超える人口になるだろうと、村民は思い始めていた。
 「戸倉の戦闘ではみんな本当に良くやってくれた。ただ、あの戦闘のおかげで、俺たちは一武装勢力と見られるようになっちまった。俺の不徳の致すところだ、申し訳ない。」
 頭を下げるきっちゃんだったが、ボランティアや小規模の公共事業等、何らかの形で戦闘に関わった村民たちは、(国もだらしねえなぁ)と、どこか余裕がある。
 「風向きもその内変わるだろう。でもそれまでは、自力で何とかせにゃならん。それで次の我々の方針だが、今まで内政と防衛に力を尽くして来たが、今後は善隣関係の構築に精を出すことにする。うちの保安官を方々に派遣して、相互不可侵、相互援助の協定を結んで行く考えだ。まずは奥多摩町から行こうと思う。善隣関係さえ結べれば、俺たちのスタンスが侵略じゃないってメッセージが出せるだろうと思う。頼りない村長で申しわけないが、もう暫く、俺にやらせてくれ。」そう言ってきっちゃんは深々と頭を下げた。

 元より他になり手がいない檜原村長だ。誰も彼を下ろそうなどとは思わなかった。

 翌日、この民会での模様のダイジェストときっちゃんのメッセージを収めた動画を、私たちはネット上に上げた。
 「一時的だが、国は我々に食料等の支援をしてくれた。これにはとても感謝している。お陰で12世帯、30人弱まで減った檜原の人口も、東京他地域から集まってきた住民を吸収して現在は1000人近くになっている。厄災前、檜原の人口は2000人弱だったが、将来的にはその人口を超えそうだ。それも檜原が水に恵まれ、ジャガイモ、豚肉、卵、大根、栗のような農産物も僅かにあり、これを取引できる地域経済が動いていて、平和のうちに真っ当に生きることができる唯一の土地だからだ。東京で檜原以外の土地は、どこぞの国が密かに持ち込んだか知らんが、この AKアサルトライフルに、このRPGで武装したギャングが闊歩し、縄張り争いと食い物の奪い合い、放火、強盗、強姦で滅茶苦茶だ。これが数ヶ月前の荒川区の映像だ。」
 ここでしんさんが撮影した荒川区の映像が戦場さながらの臨場感で映し出される。
 「これがあの東京の現実だ。これをわしらは政府の棄民政策だとは言わない。皆さんのことも恨まない。わしらはこれからも戦うつもりでいる。村の防衛はわしらで何とかするつもりでいる。ただ、それでもわしらにどうしようもないことが増えてきている。避難民のことだ。あきる野、八王子、日の出町から人が避難してくる、喜ばしいことに、その中には子供も含まれている。心ある皆さんにお願いしたい。今土地を開墾して小麦畑を作っているが、収穫はまだまだ先になる。それまでに、増えた人口を賄うために1日50キロの小麦粉が必要だとわしらは計算した。そして牛乳、ガソリン、医薬品が必要だ。それぞれ必要量を記載したリストを挙げた。どうか檜原にご支援をお願いしたい。」
 きっちゃんの顔出し演説には、散々な批判コメントがついた。しんさんは、これも村長の役目だからと慰めた。しかし、この動画の公開は多くの議論を巻き起こした。謎の疫病封じ込めのためのロックダウン政策の結果を、ある程度リアルに自分のこととして受け止める層が現れてきた。動いたのは自治体だった。境を接する神奈川県相模原市が山梨県小菅村と協議を行って、必要物資をまとめて送ってくれた。
 相模原市長と小菅村長は、檜原を封鎖している自衛隊を通じて、檜原の様子をある程度知らされていた。もちろん近接地だけあって、檜原と縁のある人脈が功を奏したことでもあるだろう。
 「今は何もお返し出来ないが、東京封鎖が解除されたら必ず村長が自ら表敬訪問しお礼をしたい。御両者のご恩は村として未来永劫語り継ぐ。」ときっちゃんは謝意を伝えた。
 一方、ギャングを掃討してあきる野市の西半分を平定したしんさんは、五日市に新たな第一防衛線を張り出した。お陰で、五日市より東からの避難者が、検問を超えてどんどん檜原に吸収されて行った。
 先にあきる野から避難してきた集団から保安官事務所への志願者が現れ、占領地の情報が続々と集まるようになった。この結果あきる野には、檜原防衛のための監視網が整備された。ギャングはどんどん東へ後退していき、檜原の勢力圏には日の出町の一部と八王子市の一部までが加わった。
 その頃、パン屋の三井は支援物資の対応でてんやわんやであった。
 三井は、相模原と小菅以外の土地から送られてきた牛乳で、最初の数ヶ月は毎日1日中チーズを作っていた。彼の努力のお陰で、豚肉、パン、ビスケットに加え、檜原チーズという新しい特産物を手に入れることができた。そうした生産物はあきる野市の設備を接収して保管した。
 檜原保安官事務所は、銃を持った行商人として、あきる野を拠点に、日の出町、青梅、福生と、危険地帯をさらに東へと進み、電子マネーで収入を得るようになった。檜原の成功の噂を聞き、一枚噛ませろと連絡を取ってきた奥多摩町の生存者を加え、きっちゃんは善隣関係の構築の第一歩を築くことができた。やがて、避難民を受け入れ膨張する檜原・あきる野を中心に、奥多摩を加えて、西多摩、奥多摩生存圏というものが出来上がる。五日市防衛線から西は、東京の別天地となった。

7 八王子復興協議会
 八王子復興協議会なる団体が、あきる野に張り出して来ていたしんさんにコンタクトを取りに来た。代表は、平(たいら)悠仁という、二十歳そこそこのとても若い男だった。檜原・あきる野防衛のために秋川街道、滝山街道沿いを監視網に入れている保安官事務所は、この街道を通って武器を持った暴徒が流れて来るのを警戒しているが、八王子を実効支配する意図は無い。彼は滝山街道沿いの加住町というところの住民で、八王子も檜原やあきる野のように復興させたいと考え、一人で復興協議会を立ち上げたのだと言う。

 「復興協議会を作ろうと立ち上げてはみたものの、賛同者が集まらなくて。是非お力をお貸しいただきたくて参上しました。」ということらしい。しんさんはきっちゃんに連絡を取り、平くんを檜原に送り届けた。
 檜原を見るや、彼はその活気に驚いた。チーズ、ソーセージ、パン等の食品加工の産業が興り、皆忙しそうに働いている。子供も保安官事務所となっている学校で勉強し、校庭で遊んでいる。農地の開拓が進み、麦の栽培が始まり、大人が農業に従事している。
 彼をきっちゃんのところに案内し、一緒に面談したのは私だった。
 「八王子の人たちは、僕がいくら言っても聞いてくれないんですよ。バカなのかな?檜原はこんなに栄えてるのに。」
 きっちゃんの眉がピクリと上がった。何かしら彼の言い回しにカチンと来たようだったが、辛抱強く話を聞く姿勢を取っている。
 「うちの近隣には、檜原さんが攻めて来るんじゃないかとギャングの連中が分宿していて警戒してるんですよ。それにみんな戦々恐々として食事まで与えて。僕なんか部屋まで取られて。奥さんを寝取られた人だっているのに。それで僕が復興協議会を作って奴らを追い出そうよと呼びかけたら、お袋に家を追い出されてしまって。」
 私ときっちゃんは目を見合わせた。
 「怖い思いをしたんだね。」ときっちゃん。
 「僕は、何も怖くないよ。」とケロッとして言う平くん。「何も怖くないよ。銃さえあれば戦えるのにって。そう、銃が欲しいんだよね。」
 「銃はうちの保安官事務所の隊員にしか与えていないんだ。申し訳ないね。」と言うきっちゃん。
 「なぁんだ。つまらないなぁ。」
 「そうだ、そうだ、本当に、大人はつまらないね。」と逆らわないきっちゃん。
 「平くんは、これからどうするつもりなの?」と私は尋ねた。
 「ここで銃が手に入らないのなら、ギャングから奪うしかないかな。」
 「危ないと思うけど。」と私。
 「さっきから言ってるじゃん、僕は何も怖くないんだって!」と不機嫌になる平くん。
 「何か食べ物は要らないか?」と尋ねるきっちゃん。
 「さっきからパンの匂いが・・・食べられたら嬉しいな。」
 「おお、持って来させるよ。うちのパンは自慢でね。」

 パンを与えられると、平くんは用済みの檜原を後にした。
 「しんちゃんから俺は言われていてね、50人まで膨れ上がった檜原保安官事務所でも、八王子までは手が回らないとね。」
 「八王子くらいの都会で、人も多ければ、うちと同じことだって出来そうなのに。」
 「人も多ければ、色んな意見も出るのさ。なかなかうちの民会のようにはまとまらないよ。」ときっちゃん。
 翌日、秋川街道を通って八王子で行商をしていた文太郎のチームが5人の男性を連れて帰還した。「元八王子復興協議会」100名弱の署名と、当地の有力者の子弟の訓練を依頼する親書、そして400万円分の電子マネーである。
 更に翌日、今田の行商チームが同じように署名と親書を携えて若者たちを連れて来た。
 八王子出身の檜原保安官事務所隊員としんさんが10人を付きっきりで1ヶ月訓練し、行商隊に加えて八王子のあちこちに工作を行った。その度に署名と親書は増えていき、秘密の復興協議会の横の連携も取れていった。
 30人の訓練が終了し、檜原と同じ緑の戦闘服に身を包んだ隊員達が、元八王子地区からギャングとの抗争を始めた。隊員たちは、中距離射撃を得意とする檜原の隊員と違い、しんさんが近距離戦訓練をみっちり積んで、近距離戦特化の特殊部隊となっていた。
 連携の取れた近距離戦で敵を倒して制圧範囲を広げる八王子の各復興協議会。あくまであきるの市側に陣取り、一歩も八王子に入らないしんさん率いる檜原組だが、実はちゃっかり軍事顧問として私と文太郎が八王子の若者2隊を率いていた。
 八王子戦争と呼ばれたこの戦闘で、八王子ギャングは数百人の死者を出す損害、八王子復興協議会側の攻勢に、手も足も出なかった。訓練半ばの残りの20人も投入し、交代で八王子奪還作成を継続する各復興協議会側。約2週間という驚異的なスピードで北端の加住町までを制圧し、八王子市全土を回復した。
 ここにまず全ての協議会が八王子復興協議会として統合し、選挙の後、旧東京都で2番目に大きな自治体である八王子市が復活することになった。
 選挙によって選ばれた議会は政治の素人たちの集団だらけ、毎日のように乱闘を繰り返しているらしいが、発足した八王子保安官事務所は南慎介を師と仰ぎ、同じ釜の飯を食った仲間ということで、空中分解だけは免れているそうだ。
 平くんはこの顛末をどこかで見ているのだろうか。パンを受け取って去る背中を見送った後、私は彼と一度も会うことが無かった。

8  中央自動車道
 八王子戦争の結果は政府に衝撃を与えた。八王子市長及び市議会選挙が行われ、その選挙管理委員長に檜原村長山形吉之助が就任となれば、政府も一武装勢力としての檜原村という見方を撤回しなければならない。檜原への支援物資供給が再開され、新たに八王子への支援物資供給が始まった。遅れて民会で町長を選出した奥多摩町も支援物資を供給されるようになる。右へ習えと青梅市、福生市が復興協議会を立ち上げ、同時に檜原に保安官事務所の核となる人材を訓練生として送り込んで保安官事務所を発足させる。これにより西多摩・奥多摩生存圏が出来上がる。治安が安定すると、各地は、それぞれ産品を開発して物流を盛んにする。檜原保安官事務所の隊員たちは、銃を持った行商人として、友邦となった八王子を経由して商売に乗り出す。昭島、日野、国立・・・と東へ伸びて行く商業網。競うように東へ向かう冒険者たち。しんさんや文太郎は、練馬、杉並辺りまで普通に商圏として行動している、もちろん行く時は命懸けだが。
 彼らの商業活動によって伝わった情報が、人々をして、ギャングのいない西多摩・奥多摩生存圏への移住を開始させる。もちろん檜原の隊員たちも貪欲に人材発掘を行う。インフラが有っても、それを使いこなす人材がいなければ上手く機能はしない。元役人、土木技術者、建設技術者、こうした技術を持つ人材にとって、東京の西の果ての新興自治体は、思う存分腕を振るえるブルーオーシャンだった。
 新八王子市は、発足当初、隣接する町田、多摩、日野の三市のギャングとの境界闘争に明け暮れていたが、じきにギャングを圧倒し、三市のギャング掃討戦へと乗り出した。同様に青梅市が羽村市と瑞穂町のギャングを掃討、ギャング地帯との緩衝地帯とした。ちょうど私たちが、あきる野市や日の出町をギャングの勢力圏との緩衝地帯としたように。
 「東京23区が見えて来た。」と言うしんさんに、きっちゃんは頷いたという。
 私たちの運命を大きく変えるメールが檜原に届いたのは、そんな頃だった。

 「渋谷から注文?」驚いて甲高い声になる文太郎。
 「ああ、間違いない。渋谷の宇田川町って言ったら駅から少し離れたくらいのとこだな。」ときっちゃんが言う。
 「駅前のごちゃごちゃしたとこのちょい外だな。しかし渋谷は今じゃまともに水道水が飲めなくなってるだろう。このご時世に飲料水を確保してるってことだよな。」しんさんは首を傾げている。
 「金の匂いがするぜ。」きっちゃんが随分悪そうな顔で笑う。
 「どうしてまた渋谷のお大尽が檜原豚注文するんだ?」と文太郎。
 「宣伝動画が効いたらしいぜ。」ときっちゃん。
 「ああ、あの凸凹コンビの、檜原サイコー!動画か。」

 私の銃を盗もうとした例の凸凹コンビは、しんさんの説諭によって商売を始めた。肩を脱臼した方の名前は秋山徹、掌底を食らって脳震盪の方の名前は渡辺洋。テツ・ヨウと呼ばれ、村の使われていない軽自動車を借りて、奥多摩・西多摩生存圏内のデリバリーを始めた。チーズ、乾物、パン、眼鏡、5.56ミリNATO弾、9mmパラベラム、40S&W等ありとあらゆるものを配達して小金を稼いだ。仕事の無い日に土木作業、農作業、公衆浴場の管理等に従事して稼いだ金で、つい最近自分たちの車を手に入れたところだ。その彼らが小遣い稼ぎで出演した山形ファームの宣伝動画が随分アクセスを稼いでいるようで、「動画見たよ!」と言われることが最近増えて来たとのこと。

 「ソーセージ5本パックに300ドル払うっていうから、それだけで良いのかって言ったら、じゃあベーコンも、チーズも、パンも・・・ってんで全部で2000ドルの売り上げだよ。」
 「そりゃすごいな。でも、渋谷だとすると相当な手練れを送るしか無いな。」としんさんは言った。
 「ああ、しんちゃんと文の二人で行って貰うしかねぇな。」きっちゃんが言った。
 「やっぱそうなるよな。俺と文の二人で檜原を空けることになるが、留守は頼めるか?」しんさんは私に言った。

 保安官代行を頼むということだ。この頃、文太郎と私は副保安官に正式に任命され、しんさんを補佐し、私はアダム中隊、文太郎はエドワード中隊と、それぞれ保安官補たちの半数ずつを率い、しんさんの留守には保安官を代行する立場にあった。

 「もちろん。」と私は請け負った。彼らがバイクで旅発った夜、私はきっちゃんから相談を受けた。

 「なぁ清美、渋谷でしんちゃんを保安官に欲しいって話になってるらしい。それでさっき総務省の戸波とも相談したんだが、戸波は行かせるべきだと言うんだ。どう思う?」

 看護師を何年もやって、何度となく人の死にも立ち会い、滅多なことでは驚かない私も流石に絶句した。

 「きっちゃん、なんでそんなバカな話になってるんだよ。しんさんはウチの大黒柱・・・と言うか・・・奥多摩・西多摩の守護神みたいなもんじゃないか。それを渋谷って、なんでまた。」
 「西東京はどんどん復興しているのに、東京23区には全く復興の兆しが無い。だから国としては、復興を考える人間が地域にいるなら後押ししたいということらしいんだ。」
 「戸波・・・ああ戸波かぁ、戸波のことは忘れよう、きっちゃん。あの男は所詮役人だからヤバくなれば何やかや難癖つけて梯子外すに決まってる!」
 「そうだ。その通りだ。積極的に喧嘩しようとは思わないが、奴の後押しが空手形だってのは分かってる。だがな、失敗して元々のこの事業、上手く行かんでも渋谷のマンパワーを西東京に引っ張って来る機会にはなる。小銭と知恵のある都心の連中をこっちに引っ張って来ることができるんだ。それに・・・。」
 「それに?」
 「しんちゃんにはまだまだ余力がある。このまま檜原と西東京を守って終わりってのは勿体ねぇだろうってな・・・俺は思っちまったんだよ、どうしようも無いくらいにな。」
 
 (ああ、そうか。)と私は飲み込んだ。(しんさんなら何かどデカいことをやれるんじゃないかって思っちゃったわけだ。)

 荒川から徒手空拳でやって来て、檜原を盟主とする奥多摩・西多摩生存圏を作り上げてしまった我らが南慎介。実際その後、彼は渋谷に留まらず、旧東京23区を復興へと導く主要なプレイヤーとして名を残すことになる。もちろんその時の私は、そんな未来など想像すらしなかったが、檜原を守るだけなら私と文太郎の力でも十分過ぎるくらいだということだけは理解していた。
 (ちょっと寂しいな)と私は思った。だが東京の中心のあちらと、世界の果てのこちら。きっと私たちの未来は長い長い、本当に長い中央自動車道のどこかで、また交わるんじゃないか、見方を変えればそういうことだと、私は思うことにした。

9  檜原ファーム
 しんさんが渋谷に雇われることになり、きっちゃんは渋谷帰りの文太郎を保安官に任命、民会はそれを正式に承認した。
 渋谷と檜原の相互援助協定が締結され、檜原は飲料水の供給を、渋谷は都心から檜原への移住者の斡旋を行うことを互いに約束した。飲料水を積んだトラックとバスが中央道を東下、帰りは渋谷から移住者を連れて西上した。2つの車両は私のアダム(A)隊と文太郎のエドワード(E)隊が交代で護衛についた。この頃になると檜原保安官事務所の乙事主の旗は泣く子も黙る精鋭部隊として名を馳せていたため、ちょっかいを出すバカ者はいなかった。この移住のお陰で、西東京の経済はますます活性化した。
 最初のバスで、渋谷復興を志す5つの家から、保安官事務所の担い手として5人の少女が送られて来た。高校2年生と3年生、まさに「少女」である。しんさんから予め聞いてはいたけれど、彼女たちのふんわりとコロンの匂う雪肌と細い手足にはそれでも面食らった。
 行政官の仕事術、人権等法律の初歩、英語とか手話等、座学はしんさんが自ら担当した。都心でも名門と呼ばれる女子校に通っていた秀才少女たちだったため、とても飲み込みが早いとしんさんは言っていた。
 体力作り、警察格闘技は文太郎が担当。警察格闘技は西東京でも文太郎の右に出る者はいない。その文太郎が、渋谷駅前復興協議会、斉藤議長の娘の斉藤玉緒が最もセンスが良いとベタ誉めだった。玉緒は私とも組手の相手をしたが、確かに強く、合気道だけならほぼ私と互角だった。
 体力という点では、副議長の久住さんの娘の夏希が抜きん出ていた。比較的長身でバランスの取れた体格で、性格も明るい。私を姐さん姐さんと慕ってくれる可愛い奴だ。こういう人懐っこいところは体育会系であり、果たして新体操で都大会上位ということだから、さもありなんという感じだった。
 玉緒と夏希が3年生、ということで残りは2年生。しんさんが近視用のシューティンググラスを今田に作らせた成海樹里は、ふわっとした豊かなロングヘアに整った顔立ちのお人形のような女の子だ。普段は金縁の丸眼鏡をかけているいかにもなお嬢様だが、父親の事業の関係で台湾と日本を行ったり来たりしているため、英語と北京語がペラペラ、おまけに旅慣れ、外国慣れしているために見た目よりもはるかに肝が座っているのだとしんさんは言っていた。
 同じ2年生の森山はるかは、気の毒につい最近母親を例の病気で失ったばかりだ。ショートカットで闊達そうな子だが、5人の中で最も成績が良く、彼女の父曰く、東大の理一を狙っていたとのことだ。はるかは、後に東京中の保安官事務所が使用するようになるブリーチング用の対物グレネード、「アーマーゲーゼロワン」をこの訓練生時代に檜原で開発した。今田が初代社長で、当時既に檜原、八王子、青梅等の保安官事務所の装備の調達、メンテナンスなどを受注していた檜原アーモリーは、東京ロックダウンが解除された後、はるかに遡って特許料を払い、その後も払い続けている。
 そして同じく2年生の高橋涼子。渋谷復興協議会の高橋医師の娘である。暇さえあれば本を読んでいる深窓のお嬢様、和風の綺麗な顔立ちに楚々とした立ち居振る舞い、とても綺麗な子ではあるけれど、私には正直最初はただ単に辛気臭い子にしか見えなかった。ところがこの子はとんでもない銃の天才だった。

 「マガジンをロード、スライドを引いて、ホルスターに収める。はるか、銃を見なくてもホルスターに入れられるように練習して!」
 GLOCK22の最初の射撃訓練のことだ。私は少女たちに、銃でターゲットを狙う時の基本姿勢を繰り返し教えた。そして支給されたサファリランド6354に銃を収め、親指でストッパーを引きながらスッと銃を抜く動作を何度も練習させた。この慣らし動作の後、私の支持でターゲットに3発撃つ。これが初日の訓練だった。
 「ファイヤー!」と私が無線で指示すると、5人は30メートル先のターゲットに3発撃ってホルスターに銃を収めるというのが訓練なのだが、涼子だけ抜くのも銃を収めるのも、それこそ動作が見えないほど異様に速かった。
 一人ずつ講評する私。持ち前の器用さでそこそこ高い集弾性を見せた玉緒。さらに高いスコアを叩き出した夏希。途中で姿勢が崩れて一発外したはるか。集弾性は玉緒とどっこいだが、慎重過ぎて一番時間がかかった樹里、そして涼子は全弾ブルズアイだった。
 「嘘、マジか!?」双眼鏡で涼子のターゲットを覗く私。
 「姐さん、どうしたの?」と夏希。
 「涼子、もう一回撃ってみて。」と私。
 他の4人が注目する中、私のファイヤー!の声とともに涼子は、抜く手も見せぬ速さで3発の銃声を響かせ、気がつくとホルスターをカチリと鳴らして銃を収めていた。
 「おお、ほぼ同じとこだ。」私は双眼鏡を見ながら唇を舐めた。「涼子、もう一回行こう、ファイヤー!」
 パン、パン、パン!と銃声が聞こえ、次の瞬間ホルスターがカチリと鳴って銃が収められた。私は夏希に双眼鏡を渡した。
 「穴一個しか無い!」驚いた夏希は、声を絞り出すように言った。
 「ハンドガンだけなら、レンジでの射撃は私より涼子の方が上手い。」と私は言った。

 惜しむらくは、涼子には体力が無かった。ところがチームってのは良いものだ。夏希が独走状態の体力作りは、夏希に触発されてどんどんベースが上がって行った。体力的に自分がお荷物であると強く感じた涼子は、しんさんに相談して補助メニューを組んでもらって筋力アップに努めた。
 玉緒が独走状態だった体術には、意外にもはるかが食らいついて行った。はるかはそこそこ体力に恵まれていたため、夏希と遜色無いレベルまで体術を底上げするのはそう時間がかからなかった。
 中国語は渋谷に帰ったら絶対に必要になるということで、全員が熱心に取り組んだ。教えるのは樹里、しんさんと文太郎、私まで生徒に混じって樹里に教えを乞うた。
 その間、はるかはしんさんと対物グレネードの開発。檜原には奥多摩・西多摩に各市から戦術プログラムの情報交換に保安官補たちがやって来ているが、その情報交換にしんさんは、はるかと樹里を参加させた。しんさんには、この二人を戦術の専門家として育てようという考えがあった。
 そして射撃は、樹里が涼子に一生懸命食らいついて行った。樹里の成績が向上するとはるかが刺激を受け、夏希、玉緒に波及するといった具合に。幸い、5人とも射撃の適性は高かったが、それでも涼子の飛び抜けた才能には誰も追いつけなかった。
 渋谷で新たに導入されたKRISS VECTORサブマシンガンの射撃でも、涼子の緻密な射撃は光った。ところが10.25インチの近接戦用AR-15の射撃には、涼子は随分苦戦することになった。軽い代わりに跳ね上がりの強い特殊部隊用のショートカービンは、本職の兵隊だって扱いに苦労している。16歳の涼子が簡単に扱えるものではない。
 5人の中で、小柄な玉緒と樹里は、早々にAR-15の使用を諦めてKRISS VECTORをメインに使うようになった。はるかはトップレイル上にレーザーサイトを追加して跳ね上がりを抑え、フォアグリップを追加して横にスムーズに動けるようにした。夏希は、しんさんや文太郎がハンドガードを上から握り込むようにして撃つ、いわゆるコスタ撃ちを真似してAR-15をメインの武器とした。涼子は、夏希やしんさんのフォームを見ながら筋力トレーニングに励み、正攻法でコスタ撃ちをモノにした。マスターしてしまえば涼子は、レンジでも、自分が動きながらでも、動いている標的でも、楽々と撃ち抜く。夏希は涼子のガンスリンガーぶりにすっかり舌を巻いた。
 涼子にはその後、AR-15ショートカービン以外に、私のMCX、14インチの長いAR-15、ショットガン、AK47やRPGといった敵の武器の使用法を教えたが、彼女の名前を後に高めたのは、しんさんが彼女のために取り寄せたM-14スナイパーライフルだった。
 私はこの子たちを教えながら、この子たちがすっかり好きになった。何よりも全員が粒ぞろいの優れた頭脳を持ち、新しい環境への順応も早く、自分の弱点を克服することへの意欲がとても強い。それぞれが方向性の違う才能を持ち、ぐいぐいと伸びて行ったし、それぞれが互いの才能に嫉妬して足を引っ張り合うことなく、ただ命を預け合う仲間として互いの成長を喜んだ。私は、これがいかに奇跡的なことかを知る程度には世間を知っている。しんさんはこの訓練が終わったらこの子たちを率いていく、そしてこの子たちも人を率いる立場になる。彼は、この金の卵たちをどう率いるんだろうか。少なからず私の胸は踊った。

10 八王子襲撃
 立川方面より、5台縦列で爆走するピックアップトラックが、AKを乱射しながら日野に侵入して来たという情報が檜原に伝わったのは、渋谷の5人少女たちが、訓練の仕上げのフル装備山中行軍訓練を終えた翌日のことだった。日野では非武装の民間人の死者が複数出て、八王子保安官事務所が緊急出動したが、悪いことに、臨場したRVに連中のRPGが命中、八王子保安官事務所発足以来初の死者が出る結果となった。ピックアップトラックはフロントとドアに装甲を追加し、強化されていて、5.56ミリ弾が通らない即席装甲車とも言うべきもので、八王子は思わぬ脆弱性を晒したとも言えた。
 なおも爆走を続けるトラック、方向からして、八王子を突破して檜原へ向かっているのは明らかで、今まで撃退したギャングの残党がによる復讐戦かと我々は推測したが、それによって対処が変わるわけでもない。しんさんは、私を涼子のサポートとしてつけ、自分ははるかと樹里を従え、文太郎の率いるエドワード隊に玉緒と夏希をつけ、爆走ピックアップトラック撃退戦を指揮した。
 まず、はるかの飛ばす哨戒用のドローンで、32号線を驀進するトラックを確認。車は都立小峰公園脇を通るトンネルに入るであろうことが見込まれた。
 この時「ド素人だな。」とはるかは言ったのだと言う。エドワード隊に「車5台もあれば塞げるでしょう。お願いします。」と指示を出すはるか。同時に樹里は八王子保安官事務所にトンネル入り口からの後詰を依頼する。
 車で作られたバリケードに力強く突進するギャングのトラック。バリケードは堅固で全く破れそうにない。そうしている間にエドワード隊からの一斉掃射を浴びるギャングたち。アドバンテージの有った機動力を奪われ、フロントガラスを割られる頃には、悔し紛れにRPGを一発ぶっ放すお座なりの攻撃だけして、来た道をUターンして入り口に戻るしかない。そこに待ち構えていたのは、八王子の隊員たちの積んだ土嚢の上にバイポッドを置いて、出てくるトラックを対物ライフルで狙う涼子だった。バレットM82ライフル。装弾数11発だが、最初のトラックに2発、次のトラックに1発撃っただけで対物ライフルの仕事は終わった。追加装甲を貫通し、エンジンを貫いた50BMG弾は見事にギャングを足留め。その後涼子はM14ライフルを構え、RPGの射手の頭を吹っ飛ばす。あとは八王子保安官事務所の隊員とギャングが銃撃戦を開始。射撃の精度では八王子の精鋭の方がはるかに上手であり、30分もせずに勝負はついた。
 時を移さず、アダム隊を呼び寄せ、青梅保安官事務所、福生保安官事務所にも応援を要請し、捕虜にしたギャングたちから拠点の情報を得て、立川に乗り込むしんさん。立川ギャング掃討戦が開始された。
 この掃討戦で、渋谷の少女たちは、私の指揮で、CQBの実戦をたっぷりと経験することになった。何度も体に覚えさせた連携プレイを遺憾なく発揮、はるかの作ったAMG01も実戦投入され、有効性が証明された。この立川戦で潰走したギャングは、さらに東へと拠点を移して行くことになる。奥多摩・西多摩保安官事務所は立川で山ほど武器を押収した。この頃から、奥多摩・西多摩の各自治体は、押収した武器を政府に譲渡することで、政府から交付金を得られるようになった。決して大きな金額ではなかったが、発足したばかりの各自治体にとって、自由になる財源は有り難かった。

11 渋谷
 いよいよ渋谷の少女たちの出発の日がやって来た。容姿端麗な少女たちは、檜原ではちょっとした顔であり、彼女たちが去って行くのを惜しむ人集りができた。
 昨晩、私、美穂ちゃんと文太郎、きっちゃんとしんさん、今田に三井といったメンバーで、保安官事務所の喫煙所を使ったささやかな壮行会が開かれた。何があるというわけではない。三井の作ったチーズにサラミ、酒はウイスキーだ。
 「正直気が重いよ。檜原はシンプルだった。水があるし、食い物もある。ご遺体は片づいてるし、村民の安全を保障することだけ考えていれば良かった。渋谷は全然違う。武器を持つことを住民たちに納得させるところから始めなければならない。」しんさんはこのことでかなり悩んでいた。「安全とは何か、富を持つ者の安全と受け取られたら、いつまでも復興は終わらない。ギャングだってバカじゃない。そういう立ち位置の不安定さをデマを流すなりして突いて来るだろう。住民がニヒリズムにかぶれたら復興はお終いだ。」
 正直私には想像を絶するストレスだ。それでも私は楽観的だった。
 「あの子たちなら何とかするよ、きっと。」と私はしんさんの肩を叩いた。
 「本当に良い子たちだった。あっちの仕事が一段落するようなら、またこっちのお風呂に入れてあげたいね。リフレッシュも必要でしょ。」と美穂ちゃんは医者らしい気遣いをした。
 「確かに、俺らとは人間のつくりが違うなぁと思ったね。会社を守る親の姿を見てきた子特有の芯の強さがあって。」文太郎はしんさんと同じで、親が公務員。そういう独特の観点で少女たちを見ていた。
 「風呂だけじゃなく、飯もだね。」檜原のカリスマパン職人である三井は、ホットドッグやサンドウィッチを本当に美味そうに食べる玉緒と夏希が大好きだ。
 「はるかは将来俺の檜原アーモリーに就職して欲しいよ。」今や法執行官向けの装備品ビジネスが軌道に乗っている檜原アーモリーの社長である今田は、はるかの開発したAMG01の受注で更にひと財産築こうとしていた。
 「つまりな、しんちゃんよ、最初から失敗して元々だったのが、意外にあの子たちがデキの良い子たちだったからお前さんは悩んでるってわけだよ。良かったじゃねぇか。案外何とかなっちまうんじゃねぇか?」きっちゃんが言った。
 しんさんは苦笑いだ。ぐいっとショットグラスのウイスキーを飲んで、タバコに火を点けた。
 「ライターやって、金が無きゃバイト生活して・・・俺は運が良かったから、売れた本の印税で自分の住居を買うことも出来たが、親父には散々定職に就けと言われたもんだった。俺は自分がそういう定職みたいなもんに馴染めないのを知ってた。親父が一番心配してたのは、定職がない事で自尊心が傷ついて、自暴自棄になって荒れた生活をする事だったんだ。人を妬み、人から奪い、人を傷つける側の人間に俺がなることをね。自分の体面のためじゃなく、俺がそういう人生の地獄に囚われることを心配したんだ。果たして信頼していたシステムが崩壊し、水さえままならなくなった時、多くの人が銃を取り、奪う側に回った。あのギャングたちは、俺なんじゃないかと思うことがある。俺が5.56ミリ弾で頭を吹っ飛ばしているのは、俺自身なんじゃないかってね。」
 眉を掻く文太郎。
 「しんさんはギャングやんにはインテリ過ぎるべ。オラさ連れで中央道さ西へ向ったのが何よりの証拠だ。」酔うと茨城弁の出る文太郎。「銃さ向げられたら、迷わず頭さぶっくらせんのがしんさんの良いとごだよ。」
 「それは本当に良いのか。」と笑いが止まらないしんさん。
 「しんさんもそうだけど、きっと涼子もだね。いざとなったらチームを救うのは涼子だよ。これは訓練教官として自信を持って言える。」と私は言った。
 「そうか。そうだよな。・・・ありがとう清美、訓練では本当に助かったよ。あいつらの訓練は女手が無いとどうしようも無かった。・・・そろそろ寝るか。」ウイスキーをもう一杯呷ってしんさんは保安官事務所の仮設ベッドへ。私たちは流れ解散した。

 翌朝RVに分乗した少女たち。選り抜きのアダム隊隊員たちを伴い、私たちはしんさんたちを渋谷に送り届けた。中央道、先の掃討戦で立川までは安全地帯になったが、そこから先は、いつギャングが出てきてもおかしくはない。はるかがVRシステムをドローンに接続し、VRゴーグルでドローンのカメラの映像を見ながら索敵しながら進んだ。
 幸い敵の襲撃に遭うことなく、私たちは渋谷の宇田川町へ。
 「助かったよ、清美。」としんさん。
 「頑張れよ、大将。あんたなら出来るよ。」と私。
 「お前もな。本当に世話になった。」と拳を出すしんさん。
 私はコツンと拳を合わせた。本当はハグぐらいはしたかったが、娘っ子たちと部下たちの手前やめておいた。
 正直私はこの時、しんさんとは今生の別れになると思っていた。ところがそうはならなかった、というのはまた別の話。

12 センター街の死闘
 すこぶる有能な5人娘によって、渋谷が変化の兆しを見せ始めた矢先、渋谷のプロジェクトは思わぬ誤算から頓挫しようとしていた。しんさんと娘たちがドアというドアを破り、それこそ命懸けで確保したご遺体の検分役である渋谷五人衆の高橋医師が倒れてしまった。嚢胞でぐちゃぐちゃのご遺体の臭気と膨れ上がる事務量の重圧に押し潰されたというのが近い。美穂ちゃんによると、高橋医師は診断医としてはとても有名なドクターなのだということだが、慣れていなかったのもあるだろう。美穂ちゃんは小規模なクリニックで、檜原の人口を数パーセントまで減らした天然痘流行の最前線にいて、実父を含む千数百の遺体を気丈にも検分したが、高橋医師はものの数百で参ってしまったのだという。これは向き不向きの問題と言うしかない。
 これには他の5人衆も頭を抱えた。復興協議会ナンバー2である久住副議長が日雇いで作業員を確保し、死亡診断書を電子化することで問題を解決しようとし、更に丸山町の倉庫を改修したモルグに、ご遺体をスキャンする機械を導入して、それこそサインだけすれば死亡診断書が書けるシステムまで構築しようとしていた矢先だった。
 転地療養のため檜原にやって来た高橋医師の代わりに、美穂ちゃんが護衛付きで渋谷に行くことになった。護衛とは、当然私のことである。
 以降、渋谷五人衆とは、元の4人+美穂ちゃんを指すことになった。ちなみに、しんさんがコールドスリープで長い眠りに就き、東京ロックダウンが解除された後、ワケ有りで高橋家を出ることになった涼子の代わりに、美穂ちゃんが高橋医師の養子になり高橋家を継ぐことになった。厄災後の渋谷を支えている高橋家は、美穂ちゃんの血筋である。
 美穂ちゃんにとって、渋谷は天然痘の検体の宝庫だった。この渋谷で美穂ちゃんはご遺体のスキャンに死亡診断書へのサインという仕事を引き継ぐとともに、天然痘研究を更に深めた。若く、とても高いモティベーションを持った美穂ちゃんは無敵だった。そして、その傍らには私が常にいた。
 いよいよ渋谷保安官事務所の制圧地域が駅前にまで伸びて来た。ほとんど無数とも言うべきドアというドアを、しんさんたちは、たった6人で破ってはご遺体を引っ張り出した。黙々と作業を続ける5人娘たち。破ったドアの向こうにAKを乱射する賊がいることも多く、そんな時はフラッシュバンを投げ込んで沈黙させて制圧したものだった。落ち着いたものだった。5人の娘たちは最早歴戦の勇者といった面構えだ。お人形さんのように可愛らしかった樹里まで見違えるように逞しく成長していた。
 そのことを言うと、しんさんはかぶりを振った。
 「まだまだ不安だよ。例えばさ、こいつらが子供に銃を向けられたら、多分撃てないんじゃないか?こいつらは平和で幸せな渋谷にイメージをまだ引きずってるよ。涼子を除いてはな。」
 そうだ、涼子だ。気丈に振舞っているが、涼子はお父さんが単身檜原で療養することになったばかりだ。
 「大丈夫です。パパが病気になっちゃったのはショックですけど、まずは渋谷を取り戻さないと。」と言う涼子。
 「しんさん、涼子は大丈夫なの?」と尋ねたことがある。
 「なんで・・・というのは俺にもハッキリと言えないんだけど、多分大丈夫だ。目つきかな。鈍感な俺でも無理してる奴は分かるから。以前よりも体力がついて、今は夏希と遜色無いくらい活躍しているよ。」としんさんは言っていた。
 しんさんが鈍感というのは、多分謙遜の部類だろう。彼は人的な危機管理能力にとてもたけた人だ。彼が言うならそうなんだろうと私は思った。涼子はよく笑う。特にしんさんと一緒にいるときは。(父親代わりがいるということなのかな・・・)と私は思うことにした。
 マークシティが片付いた後、復興協議会は拠点をマークシティに移し、次の目標、センター街に狙いを定めた。
 議長自ら檜原のきっちゃんと交渉し、文太郎たち精鋭を檜原から引っ張って来ることの言質を取り、12月の夜空の下、センター街制圧作戦「オペレーション・ジャイアントパンダ」が始まった。
 バリケードで固められ、チャイナタウン化したセンター街、まずははるかがブルトーザーで少しずつ接近していく。キャタピラがアスファルトを引っ掻いて進んで行く。AK47、AK74、AKM等、檜原周辺民にもお馴染みのAKシリーズを大量に確保しているセンター街側、集中砲火をブルドーザーに食らわせるも、アサルトライフルでは埒があかない。しかしRPGを構えると、涼子のサプレッサー付きM14ライフルの弾を頭に食らって秒で沈められる。どこから撃たれた?と空を見回すチャイナタウンの戦闘員たち。そうしているうちにはるかがブルドーザーから射出したフックが捕らえたバリケードは、後退したブルドーザーによって引き倒された。何とかブルドーザーを足止めしようとRPGを取ろうとする戦闘員の頭を綺麗に撃ち抜く7.62ミリ弾、センター街奥からRPGを持って来る戦闘員たちを丁寧に間引く涼子だったが、一度に5~6人を倒すのは流石に無理だ。はるかは早々にブルドーザーを放棄。プチ人海戦術でブルドーザーに一発当てた時には、戦闘は次のフェーズに入っていた。
 文太郎指揮する檜原隊が、障害物を利用した中距離射撃でセンター街入り口付近に分厚い弾幕を張る。負けじと火力を正面に集中するチャイナタウン側。ここで樹里の登場だ。彼女が流暢な北京語で、渋谷保安官事務所の目的は、センター街の疫病による遺体の回収、センターの武装解除であること、センター街のバリケードを解除し、非戦闘員を退避させるよう呼びかけた。流石にチャイナタウン側の士気を挫くには至らないが、イライラを誘う効果はあったようで、チャイナタウン側の弾幕は樹里のアナウンスに誘われるように厚みを増した。当たらなければどうということは無い。どんどん無駄弾を撃てと私は心の中で念じた。
 ブルドーザーを降りたはるかが檜原隊に混じってライフルを撃ち始めた。レーザーサイティングデバイスの威力は中々のもので、はるかのレーザーを照射された敵戦闘員は精密射撃で一人、二人と倒れて行く。私も教え子に負けじと一人、二人と倒す。この時点で檜原隊側の犠牲者は無し。一方でチャイナタウン側は正面からの精密射撃と、涼子のスナイピングでジワジワ追い詰められているようだった。
 私たちの交代で青梅保安官事務所の隊員たちが正面火力を担った。私たちはメインのライフルと弾薬の補給のため一時後退。その間に玉緒と夏希を中心とする次の作戦が進行していた。
 「20メアリー、正面の後ろを取りました。バックアップお願いします。」小声で入る無線、その後4個のフラッシュバンが正面の戦闘員の背後で弾けた。玉緒と夏希はマンホールを通ってセンター街の内部に侵入していた。彼女たちの役割は決死と言っても過言でないほど危険なものだったが、閃光をまともに食らった戦闘員が7~8人戦闘不能になった。檜原隊が攻撃の手が弱まったタイミングで突入。この突入も大変危険なもので、2人が被弾することになったが、正面の戦闘員をこの突入で排除、檜原隊、青梅隊がセンター街に雪崩れ込んだ。ここが戦闘の大きな潮目になった。続々と正面から退避する非戦闘員、これを八王子隊が迎えた。樹里のアナウンスが更に力を増す。非戦闘員、戦闘員区別なく、武器を捨てて投降することを呼びかける樹里。私たち檜原隊の突入で武器を捨てる者が続出。
 一方、渋谷センター街のリーダー格の王忠峰という老人を追う玉緒と夏希、オペレーション・ジャイアントパンダとは、この王忠峰を逮捕する作戦であったが、紆余曲折はあったものの、夏希から「ジャイアントパンダ確保!繰り返す、ジャイアントパンダ確保!」と無線通信が入り、私たちはこの戦闘の趨勢が決したことを知った。
 重要な任務をやり遂げた渋谷五人娘たちは、玉緒と夏希、はるか、涼子の順にスクランブル交差点での待機を命じられた。交代要員の無い彼らを長く戦場に置いてはおけない。あとは檜原隊、青梅隊、八王子隊による大規模な捜索が開始された。押収武器を政府に納めると現金収入が得られるというあれだ。実戦経験では檜原隊だが、CQBを得意とする八王子隊が最も多くの武器を押収した。センター街の捜索が徹底的に行われ、押収武器は全て奥多摩・西多摩地域に持ち去られた。その他、天然痘や戦闘で亡くなったご遺体がスクランブル交差点に一時安置され、美穂ちゃんがその場で遺体をスキャン。身元不明者は復興協議会側で引き取り火葬、身元の分かっている者は遺族に希望を聞いた。全員が火葬を希望した。
 さて、樹里だけがしんさんに伴われ、マークシティで王忠峰との面談に立ち合った。取調べではなく、面談というのがミソだ。

 「王さん、あんたには色々聞きたいことがある。だが一番最初に聞きたいことは、我々の力を理解したかどうかだ。我々は何度でも戦うつもりでいる。あんたたちはどうだ?」
 「それをこれから死ぬ俺に聞いて何の意味がある?」王忠峰は鼻で笑った。
 「ここは中華人民共和国じゃない。まともな裁判無しに人を死刑にしたりはしない。ただ、あんたたちがセンター街にバリケードを張ったように、渋谷の領土を切り取りバリケードを張って俺たちの渋谷復興の障害になろうと言うなら、また犠牲者が出る。それがあんたの望みなのかを先ずは聞きたい。」
 「決して望んではいない。」王忠峰は言った。
 「完全な停戦の条件を提示したい。復興協議会に、センター街住民全員が参加すること。あんたは復興協議会の理事になり今後の渋谷復興を推進する側に加わること。武器を持たないこと。有害な薬物の取引を行わないこと。これが条件だ。武装解除が終了したら、センター街での商売の継続、居住、水や薬品の供給、全て認める。」
 「それはあんたたちのトクになるのか?」
 「ああ、大ありだ。俺たちは東京全体の復興を考えてる。蛇口をひねればまともな飲み水がいくらでも出てくる東京を取り戻したい。渋谷だけじゃダメだ。葛飾まで取り戻さないとこれは実現しない。」
 「随分高望みじゃないか?」
 「ダメで元々だ。あんたたちが何を狙ってこのセンター街を切り取ろうとしたのか俺には分からない。中華系住民の安全もあろう、もしかしたら本国からの指令も。だが、あんたらは東京の復興を遅らせる仕事をやり遂げた。もう気楽に自分の商売に精を出しても良い頃じゃないか?渋谷は中華系住民の安全を保障する。復興に協力してくれ。」
 「俺に断る権利は無いのだろう?協力しろと言えば良いんだ。」
 「また俺たちが戦場で相まみえることが無いように祈るよ。」しんさんは右手を出した。
 「ああ、犠牲は沢山だ。」と言って王忠峰はしんさんの手を握った。
 この面談に立ち合ったのは私と樹里だったが、歴史が大きく動く瞬間に立ち合ったような気がした。ずっと通訳を務めた樹里にとって、この経験は後々まで大きな財産になったことだろう。
 26時に任務を解かれ、樹里も5人娘たちのいるスクランブル交差点に合流。焚き火に当たりながら、娘たちの尽きないお喋りが始まる。雪空の下、きっちゃんの作った猪汁をすすり、笑顔を取り戻した樹里。大きな一歩を踏み出した渋谷だが、最終目標までの道のりは遠い。それでも今日は大事な戦闘に勝った。それで良しとしよう。

13 拡大する渋谷保安官事務所
 実はこのオペレーション・ジャイアントパンダは、檜原から渋谷保安官事務所2期生たちが見学していた。総勢20名、4名ずつが5人娘たちの部下になるべく檜原で育成されていた。経歴は本当に様々。厄災で夫と子供を亡くした主婦、保育師、百貨店の店員、大学生等、パッと見女性が多い。女性にこんな荒事をさせる事に、当然だが復興協議会首脳部はまったく抵抗感が無かった。
 2期生たちの誰一人として、この作戦の中核を担った未来の隊長たちの仕事ぶりに感嘆しない者は無かった。舌を巻いたと言っても良い。しんさんは彼らにこう言った。
 「見ての通り、優秀だろ?でも正直言うと、あの子達は一人一人が得意分野に集中して他の事は平均点で良いと言ってある。5人で一つの強いチームになれば良いと俺は教えた。だから君たちにの仕事は、あの子たちの足りないところを補う事だということを特に強調したい。人事はみんなの希望を聞くことより、あの子達をそれぞれ中心にしてチームを機能させることを重視して組むことを許して欲しい。」
 しんさんはその言葉のとおり、隊長を補佐する5人をまず選んだ。玉緒とはるかの補佐には隊務全般を見ることができる30代の女性隊員を、樹里と涼子には荒事に長けた30代の忠誠心の強い男性隊員を、夏希には語学と作戦立案に長けた女子大生をつけた。残りの3人はそれぞれの隊長の得意分野に合わせてバランス良く配置した。この2期生達は、5人娘が渋谷保安官事務所を「卒業」するまで彼女たちを良く補佐した。もちろん、しんさんは隊長である5人娘と隊長補佐たちの些細な相談にまで良く乗ってやっていた。人的な危機管理能力という点で、彼の右に出る人物を私は見たことが無い。職業人としての彼は、ほとんど一匹狼的な生き方をして来た人に見えるが、根は体育会系の人で、人間関係にはとても敏感だった。その彼の愚痴を聞くのは私の仕事だった。
 5人娘の指揮する5人一組のチームになってからは、渋谷駅を中心とする同心円を拡大するように復興は進んだ。荒事はほとんど5人娘が計画的に進めていき、しんさんの仕事はその進行管理になって行った。飲料水や食料の確保と配分の計画を樹里パパの成海理事と進め、治安回復についてははるかパパと相談しながら進めて行く。その間に王忠峰のいるセンター街にもマメに顔を出し、膝詰め談判を何度も行った。
 そんな頃に渋谷の高級住宅地である松濤地区の住民から、地区の治安のために保安官事務所の隊員を常駐させて欲しいという要望が寄せられ、国学院大学を本拠とする支所第一号が開設される事になった。国学院大学の支所には夏希のチームが常駐することになり、お陰で多額の寄付金が復興協議会に寄せられることになった。続いて原宿にはるかのチームが、笹塚に樹里のチームが常駐することになった。原宿を拠点にはるかと涼子のチームが勢力圏を広げて行く。駅前を片付けた玉緒は恵比寿へと勢力圏を広げる。そうしているうちに渋谷保安官事務所には3期生、4期生が補充され、各隊長は20人規模の隊員を抱える事になった。
 私と美穂ちゃんは、はるかの勢力圏である原宿の高橋医院を拠点として、渋谷の各地へと縦横無尽に動き回った。涼子の指揮する隊もまた、はるかの隊の陣取る青山学院から代々木へと手を伸ばした。
 この頃の重要なエピソードとして、青山学院での炊き出しが襲撃されたことがある。この時は、はるかの部下の分隊が警護していたのだが、炊き出しに参加していた避難者たちが突然の銃声で散り散りに逃げ、私がはるかの部隊を率いて応戦する事になった。たっぷりと予備マグをズタ袋に入れてAKを乱射する5人の賊を相手に、私たちは6人で対処する事になった。人数的にはこちらが優勢に見えるが、民間人を守りながらの厄介な戦いを強いられた。私はMCXの4本のマガジンを全弾撃ち尽くして2人を倒し、40口径で応戦するハメになった。はるかが臨場するや否や、AR-15で1人を射殺。賊は去った。私たちは、この戦いでベトナムのグエン大使と韓国の駐在武官パク少佐を保護した。このことが渋谷復興を大きく加速させる事になるが、それはまた、別の話。

14 代々木戦争
 グエン大使のご厚意で旧ベトナム大使館が渋谷保安官事務所に提供されることとなった。この旧大使館に分署長として赴任したのが高橋副保安官こと涼子である。涼子には20人の部下がつけられ、悉皆ブリーチングが始まった。新宿区と境を接し、新住民の流入が激しい代々木地区は当時最も治安が悪く、困難を極めた地域だった。涼子はスナイパーライフルを短いAR-15に持ち替え、自ら先頭に立ってブリーチングを指揮した。
 散発的に起こる暴動に対応するため、樹里とはるかのチームが常に即応体制を整えていた。実際のところ、代々幡斎場を含む地域を受け持っていた樹里が駆けつけたケースが2度あり、「渋谷保安官事務所は代々木を重視している」というメッセージは十分に伝わった形となった。しかし、しんさんの顔は浮かなかった。首脳部は代々幡斎場の平穏は、さすがの暴徒どもも、フル稼働している火葬場には心情的に手を出せないのだろうと考えていたからだ。
 「このストレステストで俺が敵の司令官なら、代々幡斎場を襲うのが効果的だと判断するだろう。」
 わざわざ原宿までやって来て、私とはるか、はるかの副官を集め、しんさんは詳細な指示を出した。
 「この作戦のキモは、代々幡が襲われた際、原宿から割く人数は5人というところにある。時間をかけても構わないから、少人数で何とかしてくれ。残りは清美が率いてくれ、恐らく代々幡が襲われる時には全地域に対して同時多発的に仕掛けて来るだろう。なるべく俺は先手を取り、夏希を救援しながら駆けつける。きっと時間との勝負になる。なんとか持ち応えてくれ。」しんさんは噛んで含めるように言った。
 それから2日後の深夜に、代々幡斎場が襲われた。
 久住副議長を叩き起こすしんさん。駅前地区の防犯カメラという防犯カメラをフル稼動させ、しんさんは異変がないかをチェックした。同時に夏希に警戒態勢を取ることを命じた。
 はるかが打ち合わせ通り部下を4人連れて代々幡斎場に向かった。はるかは暴徒に対してゲリラ戦を仕掛け、暴徒たちの背後を脅かした。
 一方しんさんは道玄坂周辺の倉庫に怪しい動きを察知、玉緒の隊から10人ほどを選抜して急行し、間を置かずに突入した。30人ほどで集まっていた暴徒は激しい抵抗を見せたが、急襲した玉緒隊の前に何もできずに全員射殺された。
 その頃、肩掛けバッグにARマガジンを大量に入れて準備万端の私率いるはるか隊は、青山学院周辺で交戦に入った。
 すぐに夏希の救援に向かったしんさん。ところがしんさんが到着した時には既に夏希が松濤地区の暴徒を鎮圧していた。
 「良くやったぞ夏希!」と笑みを浮かべるしんさんに、夏希は面食らったと言う。夏希の活躍で松濤地区をほとんど素通り出来たしんさんは、ほとんど原宿に向かい、青山学院を取り囲む暴徒をじっくりと平らげた。はるか隊から10人を選抜して代々幡斎場に応援に送り、態勢を整え合流した夏希を代々木に送り出したしんさん。1時間もすると代々幡斎場の暴徒を撃退したと樹里より連絡が入り、同時に代々木に向かったしんさん。代々木戦争と呼ばれるこの一連の同時多発的な暴動にも、いよいよ終わりが見えて来た。
 籠城戦を想定して制式、鹵獲品関係なく大量の武器弾薬を備蓄してきたことが、代々木を守る涼子に幸いした。渋谷保安官事務所制式狙撃銃であるM14ライフルを3本使い潰したあと、涼子はCQB特化のAR-15に持ち替え、雲霞の如く代々木襲撃に集まった暴徒に向けてありったけの弾薬を撃ちまくった。
 交代で屋上に登り涼子とともに暴徒に応戦する隊員たち。階下ではせっせと空のマガジンに5.56ミリ弾を詰めてバケツリレーのように屋上の隊員たちへの受け渡しが行われている。何千発もの5.56ミリ弾の備蓄が底を着き、階下からAKシリーズのライフルが送られて来て、涼子を始めとする隊員たちは(とうとうか・・・)とげっそりした。ダットサイトが乗っておらず反動もキツいAKは、到底標的に当たるようには思えなかったが、ここで意外にも涼子が部下たちに笑顔を向けた。
 「彼らの武器で応戦出来る機会なんて滅多にありませんよ。こっちの命中精度の方がずっと良いってことを思い知らせてやりましょう。今一度言います。皆さんの命を私に預けてください。追い払いましょう!」
 ギアがしっかりと入ったかのように分署側の7.62ミリ弾が敵に当たり始めた。
 「意外と当たるもんですね。撃たず嫌いは良くないかも。」と涼子が言うと、部下たちは「何言ってるんですか隊長、こんな時に。」と笑った。
 涼子は持ち前の目の良さでRPGを持った暴徒を丁寧に間引いて行く。RPGを持つと真っ先に狙われる・・・という経験則が恐怖として伝播し、RPGを触るのを躊躇するようになった暴徒側。そればかりか涼子は、遠くからRPGの弾頭を7.62ミリ弾で狙い、暴徒の中心で爆発させるという離れ業をやってのけていた。そこ彼処で不可解な爆発により味方を吹き飛ばすRPG。
 「代々木には火龍(フオロン)がいる・・・」と暴徒たちは戦慄した。
 やがてAKの弾も尽き、腰のGLOCK22に手を掛けようとした刹那、暴徒の一角が乱れ、潰走し始めた。打ち上げられた照明弾のお陰で開けた視界。一斉に鳴り響く5.56ミリ弾と45口径の音。(援軍だ、助かった。)と胸をなで下ろす涼子。それでも攻撃の手を緩めまいとGLOCK22を撃ちまくる涼子。隊員たちもAKの弾薬を撃ち尽くしてハンドガンに持ち替え、照明弾が打ち上げられるたびに撃ちまくった。
 「膝をついて両手は頭の後ろ!」とメガホン越しに北京語で叫ぶ声。死体の山に足を取られながら逃げて行く暴徒。そして暴徒を排除した夏希隊が大使館入りする。出迎える涼子。
 「夏希さんに助けられちゃいました。」と涼子。
 「バカ言え、こんなんでセンター街の借りは返せやしないよ。しばらく代々木は私と玉緒が交代で預かるから部下を休ませてやりな。」と夏希。
 渋谷保安官事務所最大の戦闘はセンター街と言う人も多いが、規模においてもその意味合いでも、この代々木戦争に勝る戦闘は無いと私は思う。半日であっさりと片が付いたように見えたのは、南慎介がこの危機を想定していて先手を打ったからだ。
 この後、渋谷保安官事務所は代々木を平定し、目出度く渋谷全土を掌握することになる。私たちはまだまだこれからも大きな戦闘が続くものだと思っていたが、東京復興は次のフェーズに入ることになった。

15 冷たい戦争
 代々木を平らげた渋谷保安官事務所には、取り戻した平和故の頭の痛い問題がいくつか持ち上がっていた。渋谷保安官事務所とは渋谷を平定するまでは、一地方武装集団に過ぎず、政治的な正統性を一切持たなかった。とは言うものの、南慎介には檜原をはじめとする西多摩・奥多摩の平和を取り戻した経験と、元々一地方武装集団を正統政府にするための健全なロードマップが頭の中にあった。
 「次は選挙だ。」と、この頃の南は渋谷復興協議会を速やかに正統政府にするため、矢継ぎ早に手を打って行った。
 その動きにしばしばブレーキを掛けたのは、後に渋谷市首脳部を手を変え品を変え攻撃し続けた少数野党会派の長となる元高校教師で、代々木の住民の馴柴輝夫だった。
 彼は保安官事務所の法執行手続きの不備を厳しく追及し、代々木を預かる「英雄」であった涼子を散々悩ませることとなった。
 代々木戦争は、避難した民間人の住居に甚大な損害を与えた。馴柴宅も代々木戦争で全焼したので、その腹いせの意味合いもあったのだろう。代々木は平定後も渋谷のアキレス腱だった。
 その後、もっと厄介な問題が持ち上がった。新宿を支配していたヤクザの荒巻清四郎という男が渋谷との善隣関係をという話を持ちかけてきたのだ。市政府を立ち上げる大切な時期に、周囲と波風を立てず、基本的には周囲には不干渉方針を貫いていた当時の渋谷首脳部は荒巻をあからさまに無視するわけにも行かず、話を聞くことになった。使者にたったのは当然のことながら南慎介である。
 この会談は新宿の別の勢力を激怒させることになった。早稲田義勇軍という学生集団である。あからさまに僭王として振る舞い、武器を行使して勝手に住民から税を徴収し、支払わなければ即殺害するという街の寄生虫と荒巻は彼らに見られていた。荒巻は学生たちに電柱に全裸で吊られ、腹を裂かれるというひどい死に方をしたのだが、こうして新たに新宿の主となった早稲田義勇軍のリーダーが、渋谷に舌戦を挑んできた。
 この時、馴柴は選挙で議席を獲得して渋谷市の野党議員となっていたが、この早稲田義勇軍のリーダーが教え子であった関係で、渋谷と新宿の調停役を買って出て来た。
 またしても南が新宿へ早稲田義勇軍との会談に向かうことになったが、ほとんど敵地と言って良い新宿に2度も行かされたことを、南は私に随分とグチったものだった。
 新宿は激しい抗争の跡も生々しい酷い有様で、新たにアメーバ赤痢が流行していた。南は早稲田義勇軍の若者と新宿中心街の有力者の前で、大声で叫んだのだと言う。
 「君たちは渋谷市長が君たちがぶっ殺した荒巻と友好的だったと、自分たちと敵対的だったと言う。俺に言わせれば、そんなもんは知らん!正直に言うがどうでも良い!君らとの話をここで切り上げても構わん。俺を殺すと言うなら、ここで殺せ!渋谷は永遠に代々木を封鎖して新宿との関係を断つだろう!だが、君たちに聞きたい。渋谷の力があればこの状況を何とかできる、そう思うから俺が呼ばれたんじゃないのか?それとも君らには、病気で苦しんでいる皆さんよりも、俺を吊るすことの方が優先順位が高いと言うのか?だとしたら君たちの心は何のためにある?俺を荒巻のように吊るすか!一言助けてくださいと言うか!今すぐ、ここで選べ!」
 気押された新宿の若者たちは、口々に「助けてください・・・」と言った。この一件で渋谷は新宿という友邦を手に入れ、早稲田義勇軍と近い学生の中から永尾朋弘という法科大学院生を法務官として獲得、そして渋谷を含む地区の下水を処理する落合水再生センターへのアクセスを得た。雨降って地固まる、渋谷が得たものは非常に大きかった。
 新宿復興により、雪崩を打って世田谷・目黒も渋谷モデルでの復興を目指すことになる。一方、若き永尾法務官は夏希と協力して、渋谷の現場担当者のマニュアルを突貫で整備した。永尾の指導の下、夏希を中心とした副保安会議の勉強会で共有され、現場に急速に浸透した。涼子は馴柴に太刀打ちすぐ武器を得ることができたのだ。
 新宿問題が片付くと、豊島の問題が持ち上がった。
 豊島の首脳部は選挙で代表を選ぶという体裁を整えるにしても、警察権力は市が雇用する傭兵団によって行使する・・・という考えを持っていた。首脳部の中心である川村家の財力を背景としたオーナーシップを市の隅々まで及ぼすという考えである。ある種の僭主制を考えていたようだった。
 ここから先の話を私は知らない。
 豊島はひどくゴタゴタして、傭兵団は散り散りになり、川村家が私的に雇用していた傭兵が川村一族を殺害したか何かで、豊島は結局渋谷モデルの普通の市になった。
 ところがこの「ゴタゴタ」は後を引くことになった。渋谷首脳たちはは後々まで川村家とつながりのある暗殺者に狙われることになったようだ。いわゆる冷たい戦争だ。
 最初は浜松町で開催された保安官会議が狙われ、渋谷保安官事務所は重傷者を出した。
 この冷たい戦争について、しんさん、つまり南慎介は、私に何一つ語らなかった。
 美帆ちゃんこと矢吹美帆も私には何も語らなかった。だから私は知らない、恐らく知らない方が良いことなのだと私は判断した。
 旧23区の大部分で構成される東京フェデレーションが、復興途中の残りの旧特別区を平定する作戦が進行、私たちの教え子である森山はるかを総司令官とする足立・葛飾方面軍が足立・葛飾を平定したことで、後に東京大戦争と呼ばれた東京復興戦は幕を閉じた。これは南慎介の役割が終わったことを意味していた。
 どうやらしんさんは文太郎との交換トレード檜原に戻ることを考えていたらしい。ところが彼には心臓に重い疾患があり、檜原に戻るという夢は叶わなかった。
 しんさんを東京復興のためにひどく酷使した斉藤素子渋谷市長は、罪の意識からか、彼に穏やかな余生を与えることに執着し、当時不可能だった彼の心臓疾患の治療を未来に託すため、コールドスリープを施すことを受け入れさせた。
 この結果、渋谷行きの内定していた文太郎の後釜として、私が檜原村の保安官に出戻ることとなった。

16 世界の果て
 東京だけが私たちの世界だった5年間が終わった。東京ロックダウンは解除されたが、あまりにも大きく変貌してしまった東京が真の意味で日本の一部に復帰するには問題が大きすぎた。
 かなり数が減ったとは言え、重武装したギャングが東京のそこかしこにいて、東京の警察力の中心である保安官事務所は重武装を解くわけには行かなかった。他の県には無い東京独自のルールとして元法執行官の銃所持が認められていたのは、元法執行官が生命を狙われることが多かったからだ。
 加えて、不動産等の財産権の復活が都心部ではとても厄介な問題だった。東京の本土復帰を想定して、各々勝手に住居を自分のモノにして土地建物不法に占拠していた東京の現実を都心部の各市は追認せざるを得なかった。樹里パパである渋谷の成海議員が本土復帰を視野に入れて不法占拠者を収容するための施設として自分の経営していたホテルを提供したことで、渋谷では大きな問題が起こるのを防ぐことができたが、東京のそこかしこで暴動が起こる程にこの問題は東京都心部の治安を揺るがした。
 そしてなし崩し的に実現した地方外国人参政権の問題では東京と国が激しく対立するところまで行ったが、復興に果たした外国人住民の役割を考えれば、今更制度を元に戻すことなど出来ようも無い。最後は国が折れて東京の制度を追認することになった。
 そんなことがあって、東京において旧都心部は国にとって鬼門となったため、国は東京における出先機関を大きく西へ西へとズラして行くことになる。具体的には旧あきる野市を暫定的な霞ヶ関にすることになった。
 ちょうどその頃、本土復帰にあたり、檜原を含む西多摩・奥多摩の各市町村が、市を名乗るのに「市」としての人口を確保できないことから、合併して大きな市に再編しようという動きがあった。私たちはあきる野市に中心となる政庁を置き、新たに「鎮守の森市」を発足させた。東京を再生する鎮守の森、誇らしい名前だ。もちろん初代市長にはきっちゃんこと山形吉之助が就任した。
 皮肉なことだが、あきる野を中心とした鎮守の森市設立と「新霞ヶ関」の移転により、東京の経済の中心も西へ西へと移動することに・・・つまり、富・金・人が西へと引き寄せられることになった。他県からの流入もあって人口は50万人を超え、鎮守の森市は発足から10年で政令指定都市へと昇格することになった。ちなみにその時の市長は私、三井清美だ。
 三井と名前が変わったのは、檜原発の食品会社「檜原フーズ」社長となっていた元パン屋の三井が私の連れ合いとなったからだが、それはまた別の話。
 時を少し遡ろう。
 東京大戦争が終結してから2年後、20歳になった涼子と荒川市長の南大介氏が檜原にひょっこり現れた。涼子が妊娠したため、お父上の高橋医師に挨拶に来たのだという。お腹の子はしんさんの種だと言うではないか。これには私も仰天した。
 「ちょっと待て、アダムさんは2年前にコールドスリープに・・・」
 さすがに父である前に医師である高橋先生は冷静だったが、妊娠の経緯を聞いた彼の顔は見ていられなかった。
 品川の病院で我らがしんさんが健康診断をした際に、精子を取られたのを知った涼子が、しんさんのコールドスリープ後、精子を病院から奪ったのだという。
 正確には元品川海援隊総長の水沢花音と奪い合ったのだとか。
 渋谷の五人娘が一致団結して完全武装して空軍病院に殴り込んだとかそういう画を想像した私は不謹慎にも吹き出しそうになってしまったが、どうやらそういうことでもないらしい。元々私も普通の健康診断で精子を取るなんて変だと思っていたんだ。空軍に太いパイプを持っていた水沢の頼みで米空軍の医師がやったことなのだろうと察しはついた。
 「英雄と英雄の遺伝子を残したいからって、別に南さんが男性として好きってわけでもなかったのに、だってあの人レズだし、それなのにズルいじゃないですか!」
 と涼子は言った。怖い怖い、本当に怖いのは涼子みたいな女だと今更ながらに私は思ったが、恐らく鬼の総長と呼ばれた水沢も同感だったことだろう。収集した精子を半分分けてくれたのだと言う。
 涼子は南大介氏の養女となり、渋谷の高橋家は私の従姉の美帆ちゃんが継ぐことになった。血筋は変わったが渋谷五人衆は家門としては続くことになった。
 さて、水沢はしんさんの子を妊娠したのだろうか・・・と。その答えはかなり後になって知ることになった。
 私が去った後の渋谷市は斉藤市長が4期16年を務めて引退、3期目に夏希に地盤を譲って引退した久住副市長の後を継いで副市長となっていた、木下改め斉藤文太郎が市長選に出馬し当選した。この時の副市長は夏希だ。
 斉藤市長の娘の玉緒は保安官事務所を退任後、夏希パパの会社の社員となって文太郎の子を三人出産、育児に精を出した。後に樹里や美帆ちゃんが出産した時も三人育てるのも五人育てるのも一緒と言って快く預かったのだという。そこへ水沢花音が急死したとの知らせがもたらされ、5歳のその子、水沢泰介は斉藤家で養育されることになった。
 ところが文太郎は市長となって2期目の秋、暗殺される。
 市長選が行われ夏希が当選、議員だったはるかが副市長に就任することで、空いた議席を巡って選挙が行われることになり、玉緒は立候補を決意した。
 この時鎮守の森市長だった私のところへ、渋谷の子供達と泰介が一時的に疎開、私はしんさんのもう一人の息子と対面することになった。
 無邪気な子供達に混ざると、両親を早くに亡くして人の家の飯を食って生きてきた子特有の凛とした佇まいが随分と異彩を放つ子だったが、三井も私もしんさんには世話になった身、第二の実家と思い、困ったら我々を頼るようにと伝えた。
 ちなみに泰介はこの疎開後はるかの養子となり、森山泰介と名乗った。サバサバしたはるかと泰介の親子仲はすこぶる良かったと聞いている。大学卒業後、保安官事務所に就職、後にはるかの地盤を受け継ぎ政治の世界へ進んだ。
 長男の圭太郎に地盤を譲って政治の世界から引退した玉緒は、久住家、森山家、成海家の出資で、法執行官向けの軍事工廠、シンクタンク、医療等の最先端科学事業に資金を融通する斉藤財団を設立した。彼女は渋谷から国政にも影響を与えるキングメーカーとなった。彼女は亡くなる時に、斉藤財団の全てを盟友のはるかに託したのであるが、その後のことを見届ける前に私の寿命は尽きてしまった。
 考えればとても痛快な人生だった。都心から命からがら逃げて里帰りした不良看護師の私は一人の男に出会い、その男の人生を見届けることで歴史の大きな運命の渦に身を託した。役割を終えて再度の里帰りをした時、世界の果てだと思っていた故郷は東京の中心になっていた。託されたものの大きさに戦慄しながらも、多くの人に助けられ、私は役割を果たした。
 しんさんはよく言っていた。俺は一つの所に止まれるように生まれついていないようだと。多分人間には彼のように、世界を渡り歩く旅人と、私や渋谷の子達のように土地に縛られ、土地を守るように生まれついた者が。
 となれば彼のような旅人のために私達がいる。人生が繰り返すものなら、私は彷徨う者の止まり木であるような人生を繰り返したい。
 この世界の果てで。

完 


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