唯言

死にたいと言いたいときはいくらでもあった。
言わなかったのは、生きていること自体が罰だと思っていたから。
私に独りで惨めに生きていて欲しいと願う人間が少なからずいる事を知っているからだ。
罪と向き合って生きていると言えば聞こえはいいが、本気で死にたいなんて思うことがただ無いだけだった。
独りで惨めに生きていくことも、それはそれは辛いことだと思うが、私にとっては今まで生きてきた数十年とそれほど変わりがない。

ただこんな最低で不感症な私でも自覚できるほどの痛みを感じるときがある。
お互いに許し合う関係を築いてしまったときだ。
もちろん何も解決しなければ、してきたことを許されるわけでもない。ただ生きていて良いとお互いに許し、平凡な会話、平凡な食事、平凡な生活に居心地の良さを感じる関係を求めてしまう。
日々を曖昧にする一抹の多幸感に支配されそうになった時、自分も何もかも許せず壊してしまう。自罰的で気色が悪いが抑えられない。
もうこれは病気だ。私の人生はこの繰り返しだ。

きっと呪いのようなものなのだろう。
そろそろ疲れてきたみたいだ。

せめて不幸にならないように生きてみたかった。幸でも不幸でもなんでも良いから共有したかった。
難しいね。

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