日本語ロック論争について①
日本語ロック論争についての考察を行うための下準備のようなものです
次の記事あたりからできていければと。
現在、邦ロックと呼ばれるジャンルは当たり前のように確立され楽しまれています。
ではロックが日本に入ってきたのはいつなのか?これを今回は考えていきます。
これらを洗い出す前に、「そもそもロックとはなにか」という部分を明確にしておく必要があります。
ロックとはなにか
これを説明するために
①ロックンロール
②ロカビリー
③ロックンロールの略としてのロック
④新たな意味でのロックと4つに分けさせていただきます。
①そもそもロックンロールに明確な定義はありませんが、共通認識として「様々なジャンルから生まれた人種混合の融合音楽である」という部分が挙げられます。主にブルース、R&Bやゴスペルなどといった黒人音楽を基軸に白人のカントリー音楽、ポピュラー音楽などを融合させ出来上がってきた歴史を持つものです。
②ロカビリーはロックンロールの1種であり、黒人音楽に白人のカントリー系を融合させた
ものです。ロックンロールという言葉はそもそもはロカビリーを指していました。
③ロックとはロックンロールという言葉が略されるようになります。しかしロックンロールの進化とともにロックとロックンロールは完全なイコールではないとされるようになります。
④ロックンロールが様々な進化を遂げ、ハードロックやパンクロック、プログレッシブロックのようなジャンルを生み出してきました。それらの総称としてのロックという意味。
日本とロックの出会い
日本とロック(ここではロカビリー)の出会いは、Elvis PresleyのHeart Break Hoteを小坂一也がカヴァーし、人気を博したことがきっかけとされています。ここで注目すべき部分はカヴァーしたHeart Break Hotelは英語と日本語を混ぜて歌っているということです。
これをきっかけにロカビリーブームが日本で起こることに。実際にNHK紅白歌合戦にもこの曲で出場も果たしています。
その後のロカビリー衰退からは次の記事で