桃沢さんと雪国、未使用の凶器
磐越西線で郡山駅から猪苗代駅に。
線路からホームまで、一面が純白に塗られ、くすみのない澄んだ肌をしていた。
東北の雪景色に見惚れて、イルカの「なごり雪」が頭に流れる。
「季節はずれ」から「東京で見る雪」という歌詞ですぐにフェードアウトした。
改札の短い駅舎を抜けると、雪の鳴るような静けさが、島村と同じく身にしみた。
下ろし立ての雪道に最初の足跡をつけていく。喫茶店が反射でまぶしい。
かじかんだ指を折り曲げてバスを待つ。
到着した車両に乗り込み、宿を目指す。
現地集合で先にチェックインしていた桃沢さんと合流する。
部屋に入ると膨らんだ掛け布団。中からこんにちはと、顔を出す。
部屋でタバコが吸えないかもしれないと、不安で恐れ戦いていた桃沢さん。
喫煙可の部屋を予約したはずなので、フロントに確認する。
陽気な支配人がやれやれと大きい和柄の灰皿を差し出した。「換気扇を回せば吸っていいよ」と、ただそれだけのことであった。
隠していたにしては豪勢な一品で、これでは演出家もなかなか投げられない。
灰皿の縁を右手で掴み、これが咄嗟に気を起こしてしまった時の凶器か。と、廊下で桃沢さんの顔を思い浮かべた。
灰皿か花瓶がある部屋で、一昔前のミステリーは始まる。
一服して落ち着き、温泉に入る。
山の麓から引かれた強酸性のお湯に浸かる。さらりとした熱さに顔をしかめる。
しばし我慢すると、少しずつ適温が近づいてくる。
表情と筋肉が緩んでいった。
外には洞窟の露天風呂。ここで暮らしたい。
温泉から上がり、こたつで吐き出す煙が他の何よりも極上であるかのように、凛々しく立ち込めていた。
ゆったりとしたお食事処。囲炉裏を囲んで夕飯をいただく。
和食の優しさが体に溶け込むように染み渡っていく。
池波正太郎が言う「あたたかい飯、熱い汁、焼きたての魚」が目の前に全てあった。
部屋に戻り、案の定一服。
これまた美味しそうに煙を吐き出す。体の疲労に続いて、静かにゆっくりと消えていく。
窓を開けると気持ちの良い外気の冷たさ。お酒を冷やすために積もってくれた雪がそこまで来ていた。
缶ビールと、外で冷やした日本酒の口を開け飲み直す。
しばらく飲み続け、程よく体温が上がった。
蛍光灯の紐を引き、暗がりで眠気と共に布団にくるまる。
深く眠りに落ち、平和な夜がゆっくりと過ぎていく。吸い殻で埋め尽くされた灰皿も、こたつの上で大人しく休まっている。
思った通り、ミステリーは始まらなかった。