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「心」の置き方
少し前まで、ある特定の誰かをずっと狙って撃とうとしているような、そんな感覚があった。
それはほんの微々たる量なのだけど。けれど確実にあった。
気づいていそうで気づかないふりをしながら。
撃ち落とす材料は揃っている。
でも撃たない。
でもいつでも撃てる。
結局憧れていたようなひとでさえも、ただの人間で。
言ってることやってること、ものすごくデカく見えて実は拡張機使ってたんだな、っていう事実を見た気がして。
裏側で必死に操作してるのは、私とそう変わらないただの人間で。
でもその「事実」は私が全て創り出したものであって。
拡張機使っていたように見える”フィルター”を通してみていたのは、
紛れもなく私自身で。
がっかりしたような落胆と共に、ものすごくスッキリもした。
なーんだ、そういうカラクリか。
私にも使えそう。でも使わない。いつか使うかも。いややっぱ使いたくないな。
今はふとした瞬間に、
これまでなんとかよく見せてこれた”不安”や”自信のなさ”が見破られるかのようなことが起こったり、
パラパラともろく気持ちが折れそうになったり、
突然孤独を感じるようなことがあったり、
いろんな角度からあなたを試すかのようなことが
あるかもしれません。
だからこそ、
あなたの「心」をどこに向けて置いておくか
は、今、とても大切なことだと感じています。
変革の時代、と言われて半年以上が過ぎた。
どうですか、あなたの「変革」とやらは。
半分過ぎた今、地球を取り巻くエネルギーだって夏至を境に変わっているんです、
私たちの周りでも大なり小なり変化が起こって当然の今。
自分の「心」を自分が”ここ”と決めたところにブッ刺しておかないと、
この、現在吹いている「風」は容赦なく私たちを”ふりだし”に戻してくる。
「これさ、前にも確か似たようなことあったよね。」
「こういうの繰り返すんだよね、よく。」
そろそろ気づいたら?そうやって自分を苦しめてくんでしょ?
手放す?担いでいく?
あるひとは自分を苦しめることにうんざりし、きっとその「繰り返しのパターン」を手放す、というでしょう。
あるひとは、その「繰り返すパターン」のおかげで力が漲るんだ、と担いだままいくでしょう。
あなたが何に気づいて、そこにどう向き合っていくのか、どう立て直していくのか。
もっというと、「心」をどこに向かせて置いておくのかによって
今後のあなたのゆく方向が、また決まる。
目の前で起こっていることを、どれだけ俯瞰できるのか、自分自身のことをどれだけ探求し、学びたいと思うのか。
本をたくさん読んで「わかった気」「知った気」になっていたってだめだ。
そんなのはなからバレてるよ。わかる人にはわかるしね。霊視力なくてもすぐわかるよ。
取り繕って外面ばっかりいい顔して、大事な仲間、家族そっちのけの頭でっかちな悲しい奴が、私は大嫌いだ。
何年か前にそんな奴に心底腹を立てたことを思い出した。
こちらができることはやった。あとは相手の出方次第。
待つ。ということをした。
けれど待てど暮らせど、来ない。
なんだよ逃げたのかよ、根性なしが。口だけかよ。って乗り込むこともできたけど、
しなかった。
そんな彼のことをもうなんとも思ってないことがわかったのが、去年あった祖父の告別式の後のお骨拾いの時だった。
例えこれまでの「繰り返すパターン」を繰り返したとて、
今までとはちょっと違うように進んでいく。
あなたがその「パターン」に気づいた瞬間に、
全く同じことを繰り返すことは、不可能だからだ。
あなたはね、もう準備が整っているんだよ。
準備できたからこそ、これまでとは少し違う現実を生きて進んでいくんだよ。
「自分を苦しめるもの」から自分を救い出せるのは
紛れもなく自分自身だからね。
変容?いやいやそんな大したこと…って言いながらもあなたは変容の風の流れに乗ってるんだよ。否応なしにね。
あなたがここから「やる」のはわかってる。
何を?って?
ピンときている人もいるでしょう。
うっすら「これかな?」と思っている人もいるでしょう。
だからあなたはこの文章を読んでるのだしね。
私は。
私はここから、私と同じものを大切にする人、仲間を、家族を取りこぼさずに進む。それはすでに出会っているひとはもちろん、これから出会う人も含めて。
私が発信する内容は、今はそんな大切な人たちに向けてのもの。
そんな私の大切な人たちは、
「あなたがいないとやっていけない」
なんて言わない。
お互いが大事だから時にお互いを切ることだってするだろう。
今は一緒にいない。後でね。
もしくは、ありがとう、さようなら。って。
ここからあなたがあなたの道を進むとき。
胸を張って堂々と行こう。
ぶっ倒れたっていいんだ。
前にコケたことあるんだから、痛みがどの程度か知っている。
傷がやがて癒えていくことだって知っている。
どん底に落ちたっていいんだ。
前に海底は見た。足がついたんだ。あとは蹴上がっていくのみだと、その時知ったのだ。それより深い底はない。
大失敗したっていいんだ。
なーんだ、また失敗したのかよーー。って笑って迎え入れてくれる仲間がいるんだ。泣いて笑って、あっははー!やっちゃったよ〜なんて言いながらやり直したらいいんだ、何度でも。
あなたが声を発する時、その声がどのように周りに届くかなんて気にしなくていい。
その声は、あなたに必要な聴衆にしか届かない。
それ以外の人のことを考えている暇があるのなら、その時間とエネルギーを自分や、自分の仲間や家族に使ったらいい。
時間を使うということは、あなたの命を使うということ。
彼らはあなたの命を使うに値する人たちだ。
嫌われるかもしれない?
誰に?あなたの仲間や家族はあなたのことそんなふうに思いやしないよ。
そもそもあなたのこと誤解するような人は、
そこまでの人でしょう。
そう思ったら。
すごくシンプルだよね。
そう、何を大切にしているのか。
そこがあなたの「心」が向いているところ。
あなたはその命ある限り、一人ではない。
全ての人に、幸あらんことを。
ありがとう。