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祖父の迎え盆火入れの儀式

昨年10月に亡くなった大好きな祖父の迎え盆火入れの儀式が、先週末にありました。毎年お盆を取り仕切ってくれていた祖父。今年はそんな祖父のためのお盆供養。
そんな供養真っ最中のある時ふと思った。


あれ。住職ってものすごいスピってるのでは。

お経をあげ、亡くなった方のその魂を弔うわけだけど、その行為そのものがものすごく「スピリチュアル」と呼ばれることなのでは?と。
ご住職のその出立ちもそう、立場もそう、社会的な在り方もそう、国の文化宗教という観点からもそう。

ふわスピ。
ここ最近ものすごく耳、いや、目にする言葉。
以前の私は反応すらしていた。ある一線を自分で超えたな、と自覚したその時から、反応はしなくなった代わりに、あちこちで目にするように。


スピリチュアルに何かしらの抵抗があり、毛嫌いしたりまるで異次元の下等な生き物かのように吐き捨てるそんな人たちだって、お寺さんや神社に行ったらきっと手を合わせるのであって。
お焼香、お賽銭あげちゃうのであって。
そんな時、「え〜、なんかスピってる〜やだ〜〜」なんて言う人、多分まずいなくて。

お仏壇やお墓で黙って手を合わせてお焼香もあげてお辞儀もするでしょ?神社仏閣は受け入れられるのに、”スピってる”対象は受け入れられない。
なんで?


ではこの”ふわスピ” ”キラスピ”と呼ばれるそういった界隈の人たちと、目の前のご住職との違いはなんだろう。

すぐ答えが出た。
それは、人間をやっているかどうか。

ご住職との話から、いかにこのご住職が土臭い人なのかがわかった。
彼曰く、住職の中にもクソみたいな人ようけおる、と。
集まったらヤクザみたいなんも、おる、と。

そもそも呼び名=肩書きなのであって、そこから入れますよ、入ります、の入り口で。

お寺、ご住職、仏さん、神社、神官、神様、宇宙、天体、占星学、占星術師、占い師、魔女…

この中に肉眼に見えるものを取り扱うモノはなくて。
例えば占星学、占星術。
天文学者や宇宙飛行士は別として、占星学、占星術を扱う人たちのそのほとんどの人が、自身の目で冥王星見たことないのに、冥王星が存在している、って信じてる。そこに意味まで見出して。
天文学者でも肉眼で冥王星見たことのある人って、そうそういないのではないかな。
でも信じてる。

要は全て同じカテゴリなのかな、とも思うが、違いは歴然。

手放して許して憎しみは持たず、全てを受け入れて浄化する…あなたそれ、人間のやることじゃないよ。仏さんかよ。
人間はね、もっと感情に溢れてて、憎しみだって持つし、恨めしいとも思うし、幸せになりたいと願うんだよ。

死んでからだよ、その辺の域に本当の意味で行けるのは。いや、還るのか。生きてる間にその域に行こうなんて、可笑しな話だよね。

宇宙の法則、引き寄せ、アカシック、ブループリント、守護霊…いろんなことがわかってきた、その”成り立て”の時は、ふわふわしたフェーズを生きるんだ。まるで全てわかっているような物言いしてみたりね。
ああ!これはこういう思し召だよ!
サインきたー!
覚醒キターー!!
星を使って幸せにーー!


ヨガの先生やってます、って言う人が精神不安定で太り散らかしていたり、
心理学勉強している人が、平気で人を傷つけていたり、
占い師です、あなたを楽に幸せに、と言いながらクライアントを呪縛していたり、
占星術の高額講座開催してる人が自らの受講生から受講料という名のお布施を集めていたり、
人から裏切られて人が怖いくせに平気なフリして人々の前に立って「我々は一つ」なんて偉そうなこと話してみたり、

よく見ると世の中矛盾だらけなんだろうな。
よく見ると、それが人間なんだな。


ふわスピ。もう一つ言うとスピハラ。
なんじゃそら、と思ったこの言葉たちのおかげで、私は自分自身のとてもとても大切なことがようやくわかった。


全てわかった、と思ってた。
私が特別だ、と思ったこともあった。
あ、これ人間やばい、地球次元上昇する時に篩にかけられるぞ。と思ったこともあった。
焦って救済を始めなくては!と使命感に駆られる時もあった。
自分の過去生みすぎておっかしくなってる時もあった。(死にかけたよ)

つまり、スピり散らかしていたわけだ。

人間なのに、人間してなかった。

はい。私がふわスピです。いや、でした。


本気で生きてなかった。
周りに依存しまくりの盲目さんだった。

あっぶねーー。わかってよかった。



迎え盆のその晩、祖父に話しかけてみた。
そしたらね、すごく大事なことを教えてくれた。
「…家族、大事にな。」

その前日から起こっていた全ての物事にカタがついた。一瞬で。
これまでに二度、ほんの一瞬だが終わりかけた家族。
まるで精算ですよ、いいですか?のように、それは突然起こって、
そして突然終止符を打った。

「家族、大事にな。」

その言葉をもらって大泣きしたあの日の夜。
同時に私の周りの大事な友人、仲間のあたたかさを身に沁みるように実感し、嬉し泣きしたその前日から、泣いてばっかり。しかもなぜ自分がこんなにも泣いているのかの理由がわからず泣いていて。

とにかく幸せだな、ただそれだけ。
魂が震えてた。

…お?今スピッたな?




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