絵本『どうぞのいす』への疑問
愛知県のアルミリサイクルカンパニー
株式会社豊アルミ工業 代表の桐山です。
地方で子育て・教育・地域に関わって生活している企業経営者です。
先日の投稿で、秋の味覚をテーマにした記事を書いているときに、
絵本「どうぞのいす」のことが頭に浮かびました。
そこからどうもこのお話のことが気になって、頭から離れません。
絵本や童話には人間社会を比喩しているものが多くあります。
「どうぞのいす」にも何かしら込められているものがあるのではないかと思うのです。
しかし、どうもうさぎさんには何かしら意図はあるものの、それとは違う形で物事が展開されているように見受けられます。
ストレートにこの物語を読むと、
うさぎさんは
・小さな椅子を作ってみたかった
・実際に作ってみた
・自分が作ったしるしとして短いしっぽを椅子に付けた
・椅子をどこに置こうか考えた
・何かいいことを思いついた
・「どうぞのいす」と書いた立て札を作った
・原っぱのとある場所に椅子を置いてすぐそばに立て札を立てた
誰かに座ってもらうことを企図した、と理解できます。
うさぎさんは設置後は、椅子を放置します。
どのように使われているか自分の目では確認していません。
いい考えが思い浮かんだのなら、確認したくなるものだと思うのですが、それをしないということは、椅子は座るために使われていると思っているのでしょうか?
謎です。
登場人物の一人に青い小鳥がいます。
特にセリフも役割もないのですが、椅子の製作段階から、椅子を設置して、その後の椅子がどう使われているのかの一部始終を小鳥さんだけが見届けているのです。
そして小鳥さんはまるで風景の一部のようで、全ての登場人物が小鳥さんの存在に気が付いていないようです。
読者も気付かないぐらいの存在感のなさです。
うさぎさんのことも気になりますが、小鳥さんも気になってきます。
気になるついでで、もうひとつ、最後のページです。
夕暮れ時で、原っぱに気が一本立っており、いすと立て札、椅子の近くに落ちている栗が数個、はちみつの空瓶が一本、ポツリと置かれた描写となっています。
うさぎさん椅子を設置した初期設定時とはまた状況が異なっています。
この後、また別の展開を予感させます。
短いお話しですが奥深いですねえ~。
それでは!