わたしは宇宙だ
これは、わたしにしかわからないはなし。
2020年3、4月に起こったわたしのはなし。
わたしについて知りたい人は読んでほしい。
やりたいことぜんぶやる。
そう言って1年間、たくさんの人に会い、話し、経験し、自分のやってみたい、興味ある、面白そう、楽しそう、ビビっときた、そういう出会い全部を叶えてきた。
2月の終わりからLes worldでネパールに行き、キャストのみんなと、子どもたちと、まわりの人たちと愛を交換した。
確かな愛の感覚があった。
目を閉じて、大きく呼吸をしながら、幸せを祈る。
そうするとおなかの下のあたり(丹田?)があったかくなって、
直径1センチ、高さ3センチくらいの透明の(プラスチックっぽい、ふちが外むきに少しだけくるっとなっていて、あとは何も装飾はない)容器が姿を見せる。
しずくがひとつ、ひとつとその容器にたまっていく。
溢れることも、減ることもない。
その透明の容器のだいたい7割くらいのところで水面は保たれる。
ひとつ、またひとつとしずくが垂れていくけど、減りも増えもしない。
どこからこの感覚が、イメージがでてきたのかは知らない。
言われたわけでも何かで読んだわけでもない。
わたしだけの愛の感覚。
この感覚を失いたくない。この確かな感覚を使って生きていきたい。
でも、私には医療という自分のフィールドがある。
旅もしたい。人にもたくさん会いたい。話を聞きたい。全部知りたい。
もっともっといろいろなことしたい…
あれ?自分は何者なんだろう。
自分にしかできないことってなんだ?
どうやって生きていきたいんだ?
ん?んんん・・???
よくありがちな典型的な悩みで、気が付くと3月の中頃には真っ暗闇の宇宙まで堕ちてひとり浮いていた。
指先で触れられるくらいの距離にかけらがそこらじゅうにたくさんあって、
でもなにひとつ掴めやしない。
まるで実体のない球の中にいるみたいに、かけらはその一定の距離から近づきも遠ざかりもしない。かけらもふわふわと浮いている。
わたしはそこでジタバタともがいてる。
ただなんとなく、何かが変わりそうな予感も感じてた。
でもまたこの予感がするのもつらかった。
焦るな、この苦しくてつらい時期を耐えるんだ。
答えを求めようとするな。きっと答えは向こうからやってきてくれる。
そう言い聞かせてた。
3月の終わり日本に帰ってきて、ネパールに一緒に行った友だちとカフェで朝ご飯を食べていた。
いい感じの歌が流れてて、調べてみると
You Are Not Alone
その子が「一人じゃないんだね~」とつぶやいた。
そのとき、そのジタバタもがいてた自分から急にカメラが引いて、
その自分はちっちゃくちっちゃくなっていって、
大きな、大きな、とっても大きな自分が現れた。
顔までははっきりとは見えなかったし、体の輪郭も風船みたいに膨らんでたから自分じゃないのかもしれないけど、
それはわたしだった。
周りには花びらがたくさんあるタイプで手のひら(指は含まない)より一回り小さいくらいのピンクと黄色の花がたくさん、たくさん咲いていて、
わたしは宇宙だ。
そう言うことにした。それしか単語が見つからなかったからだけなんだけど、宇宙という言葉はあまりにも心に合致していた。
頭のてっぺんから指先、つま先まで気体と液体の間のようなもの(6:4くらい)で満ちていて、
まるで脳の神経シナプスみたいにすべてがすべてとつながっている。
ひともものもことも細胞みたいに存在していて、愛おしい。
もちろんじたばたしている自分も愛おしい。
ネパールの人たちはとっても毎日生き生きしていて、日本に帰ってきてブランド品が壮麗に並ぶ百貨店を見ては、どっちが幸せなんだろう、なんて考えていたけど、
どっちも幸せ。みんな幸せ。
一緒にいたその子に「何事かと思った!急に空見て微笑みだしたんだもん!」って笑われたけど、
突然降りてきたんだから仕方がない。
ちょっと前に【どうやって生きていきたいか】じゃなくて、【どんな自分でありたいか】を大切にね、と言われ、これまた悩み、でも「素敵な人でありたい」という答えに出会っていたのもちょうどよかった(これも友達と突然話してて降りてきた)。
今でもだれかのことを想って何かをしようとしたり、新しい挑戦をしたりするときは、
ネパールの子どもたちとつくった歌を口ずさんで、腕を斜め下に伸ばして、深呼吸する。
そうするとおなかに容器としずくが現れて、液体と気体の間みたいなものが全身を満たして、
わたしは宇宙になっていく。