正しい文章の書き方
この場で文章を綴るようになってから、膨大なる月日が流れてしまった。私が憤りを覚えるのは、悲しいかな、文章の、その正しさを知らぬままに筆をとる者たちの存在である。今回は、その正しさを知る私が模範となり、皆へと正しい文章の書き方を伝授しようかと思う。胸の高鳴りは巣立ちのごとく、大空への飛翔をうながすべく、そのことわりを今ここに鮮明に書き記すとともに、その背に翼をさずけるとする。
まず正しさとはなにか?人の誕生以前に、そのような概念は存在しなかった。ただ流れゆく時の中で、世界に光と宿りし、その目の者は、瞬きながらも繁栄を重ねた。その過程において現れた人が、人たり得る英知をさずかった時に、それらしきものが初めて産声をあげたのだ。しかし、それは真の正しさとは、ほど遠い代物でしかなかった。本物の正しさを知るのは、人を超越した階級に属する者と、その契約者の一部のみである。
ゆえに私が文章を書く時は、常に召喚された悪霊と精霊を、この身に宿し、その権能を、この目と、この手に介して綴る。センテンス以前の概念は悪霊の呪いをもってして言の葉に形成され、精霊の祈りによって季節をも彩る庭園のようにと構成される。もしも、どちらか一方との契約しか済ませていないという者には、お得なパックでの割引プランの契約を推奨する。無論、その他の数多のコンテンツに同じく解約の仕方は、なにをどう調べてもわかりにくく、そもそも退会させる気がまったく感じられない事は、あらかじめ念頭に置いていてほしい。
実生活において有用性のないマガイモノの言語情報、つまりは芸術的、文学的、詩的などと、うたわれるセンテンスの、それ以前の概念は、すべて別脳によって生み出されている。本脳の周囲を公転する別脳の引力により、そのポテンシャルを、どれほど引き出せるかは、その存在を明確に認識し、その性質への深遠なる精通が、地道にみえて、なによりの近道である事を、ここでは述べておこう。甘いものは別腹、マガイモノは別脳、その道のりは決して甘いものではないが、強く求めようとする、その思いこそが、暗い夜道の歩みを照らす、転ばぬ先への灯りともなろう。そして、闇に潜みし悪霊と、光を纏いし精霊の、満ちた力を背に宿す時、内なる性は解き放たれる。まだ見ぬ境の果てまで吼えよ。
どれほどに優れた技術を備え、秀でた素材を手にいれたとしても、描写すべき世界の仕組みを、それに付随する己の在るべき姿を、本脳が完璧に理解していなければ、正しい文章など書き得るはずもない。それは虚構の世界の風景画と等しく、顔のない自画像に同じ、その筆つかいも色づかいも、無意味と浪費に終わってしまう。的外れである事と有用性から逸脱した言語を御するのは、まったくの別ものである。しかし、情報不足、経験不足、想像力不足により、その域から、ほど遠い者の数は、器のハジッコに抜き出されたピクルスにも匹敵する勢いで増加の一途をたどっているのが、悲しいかな現状である。ゆえに私が人として生きる宿命を定められた、この世界の正体を手っ取り早く、今ここに訪れた者にのみ、こっそりと先生には内緒で教授しておこう。新たなるステージへと駆け上がり、飛び立つ準備はよろしいか。ならば、その彼方までの光景をも見据えんと、導く声を受け入れ、真書の表紙をめくるがごとく、鳴り止まぬ鼓動に覚悟と、開眼せよ。
つまり世界とはスペーシーなコミュニティでピースフルなイズムのデマンドによりアソシエーション内のエターナルかつインフィニティなるテリトリーでのアメイジング レッド スパークからアルティメット ビッグバンへのブーストによりスピリチュアルなベクトルでマチュピチュの昇華を果たしたスカラーがカラムーチョなシガラミアを生み出すツンデレラとのコミュニケーションをもぷっちょしスカーレッド アンガーマネージメントの副作用として暫定的ナンデヤネンと化したサイケデリック アルコール イリュージョンの暴走に誘発されたファンタスティック エクスプロージョンを伴う煩悩系ヒューマノイドの誤作動により加熱したスイート サマー メモリーの冷却化をはかるべく行使されたフローズン スムージー パピコでの補完によりパルムの宮廷の利権をもげっちゅした学術会オカルト倶楽部でのエンドレス サマーバケーションを有力視するザ ベスト オブ フレーバーを崇めしチュッパチャプスの声にかき消され永らくチャブダイン上の空論とされてきた開発者ピクミンの所有する拡張型非電子頭脳ソロバインによって弾き出された解析結果に基づきオーシャンビューとは名ばかりの崖っぷちにてスコぶる逆境での覚醒を差し迫られたレッドぶる飛躍へのカルマに由来するエクステッド トキメキ アドベンチャーである事を、ここに定義しておこう。
注意すべきは、その付属として文章を書く者の中には己だけは特別であるという恣意的な思念の深さゆえに奇抜な作風を好む者も少なからず存在する。正しい文章を書く側の者として、最後に悲しいかな、そのような者が綴る言葉への短評をもってして、掲げた命題を締め括らせていただくとする。断定しよう
論外である
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