誤解

電車の中、私の背後で
「乗る順番を抜かされた
ケツ蹴ってやろうか!」
と、二人組の女性の一人が怒っている。

電車内の席はすべて埋まっており、人の配置も多少電車に乗るのが前後したところで乗り心地は変わらないと推測する。しかし論点はそこにはなく、彼女の怒りは至極真っ当なものであり、そして、その怒りの対象はおそらく私である。

彼女は己が愛すべき世界において、マナー違反をするような人間の存在を憂い、思い描いていた理想と現実の差異に嘆き、やりきれぬ思いが熱を帯び、そこから発した言の葉に怒りが宿ってしまったのである。大義である。

しかし、私の言い分はまったく違う。そこに悪意は微塵も存在しなかったのだ。彼女がその怒りをあらわにするまでは、その自覚すらなかったのである。心拍数は目下急上昇中である。

私がよく利用する別の駅での体験を語ろう。到着した電車の扉が開き、私は並んでいた列の自分より前の人が電車に乗り込むのを待っていた。しかし一向にその者は乗ろうとしない。結局、その者も私も乗せることなく目の前の電車はいっちゃったのである。ゆえに遅刻しちゃったのである。やっちゃったのである。

無理矢理、乗ろうと思えば乗れたかもしれない。しかし、駆け込み乗車は大変危険なのでお止めしなければならないのだ。あんなもんに真っ二つにされ裂けるのだけは避けたいがゆえに時間を割くのは待つほうにである。

数分後にその者の目的が次の電車にあることを知る。次の電車になるべく前の位置から乗ることが、その者の真の目的だったのだ。武道でいうところの後の先というヤツだ。知らんけど。

都会に住むようになってから、このような事例は何度も経験するようになった。その度に私は心の中で「乗らんのかーい!」と叫びながらオーバーロードしてゆく運びとなるのだ。

彼女が真に憎むべきは別の電車に乗るにも関わらず同じ列に並ぶシステムそのモノであり私ではない。彼女の逆鱗に触れぬには、私はあまりにもあざむかされ過ぎたのだ。でも人はそんなに簡単に憎んじゃダメである。

後日、先日よりも少し早い時間なのに同じ駅のホームでその二人組と遭遇してしまう。私の存在には気づいてはいない。もしかしたら、もう忘れてしまったのかもしれない。

言えなかった、告げられなかった、伝えられなかった、そんな言葉が頭の中だけ駆け巡る。人の内に秘められた数多の真実は、今日も世界を包むモヤとなり、あらゆる景色を霞ませているのだろう。

気の強そうな女性に
「ケツを蹴られるぶんには
私は一向にかまわない」のに……

 







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