スクラッチチャンス
世は大キャッシュレス時代。
働き方改革やデジタル化の推進に伴う法整備に後押しされ、急速に広まったキャッシュレス決済は、日常生活から現金をほぼほぼ駆逐した。飲食店では「cashless only」の表示がされていることがほとんどで、自動販売機も現金が使えるものはもはや珍しい。ビルの隙間に小ぢんまりと挟まるタバコ屋のおばちゃんも、慣れた手つきでQR決済を処理してくれる。
社会人3年目として働く僕も、現金を見かけなくなって久しい。子供の頃は小銭を握りしめてお菓子を買いに行ったこともあったが、自分で自分のお金を管理するようになる頃にはもうQR決済を主に使うようになり、思い返せばそんな時期にはもう現金は珍しいものという感覚だった気がする。今となっては子供が持つ見守り用スマホ端末にもQRコード決済や電子マネーの機能がついており、小学生が当たり前に買い物をしている光景を目にする。
ある日、会社の役員の親族が亡くなった、という知らせが会社の掲示板にアップされた。下っ端である僕がその人と関わる機会は主に会社行事の飲み会くらいだが、温和なオーラがにじみ出る人で、子守歌のような優しい喋り方が印象的だった。関わりは薄いが、通夜くらいは参列しておこうと思った。
通夜。着慣れない礼服に身を包み、会場に足を踏み入れる。こういう場に慣れがないので昨日の夜は「通夜 マナー」で検索して予習してきた。頭の中でシミュレーションしてみる。ネクタイを含め全身黒色。スマホは振動音もしないようサイレントモードにし、受付に向かったら「この度はご愁傷様でございmst…」と頭を下げながら尻すぼみに挨拶し、ポケットからスマホを取り出す。このときスマホの画面は事前に白黒のモードにしておく。受付に設置してあるQRコード決済の読み取り端末にQRコードをかざすことで香典を支払う。そうすると受付の人が香典返しを渡してくれるので、それを受け取って会場へ。会場に入ってしまえばこちらのもので、周りの真似をしながら故人に手を合わせれば大丈夫。みんなが帰り始めたら帰ればよい。…予習はばっちりのはずだ。
若干の緊張を孕みながらも受付に向かう。挨拶をしてスマホのQRコードをリーダーにかざす。
\ペイペイ!!!!!!/
しめやかな場に相応しくない、底抜けに明るい声が響く。心臓が大きく跳ねるのを感じた。信じたくはないが僕の手元から聞こえたように思う。スマホはサイレントモードにしてきたはずだ。現に画面端にはサイレントモードのマークが表示されている。
\スクラッチチャーーンス!!!!/
僕の焦りと混乱を無視して、スマホは追い打ちをかけてくる。何がチャンスだ。ふざけるなよ。頼むから静かにしてくれ。
デレデレデレデレ……デン!!
\あたりーーー!!!/ \イエーイ!!!/\パチパチパチ/
僕の心の中での懇願も虚しく、スマホはスクラッチチャンスの大騒ぎをやり遂げ、満足したように沈黙した。ふと受付の人に目を遣ると、唇をきゅっと結んで目線を逸らされた。口角が上がるのを必死に我慢しているように見える。
逃げるように早足で会場に向かう僕を、受付の人が小走りで追いかけてくる。
「あの!フッ…フゥッ」
限界を迎えたダムが決壊するのを必死に堪えながら僕を呼び止め、「これ…」と香典返しを差し出してくる。そうだった。昨晩予習した内容だったのに、完全にそれどころではなくなっていた。どうも…と短くお礼を言って香典返しを懐にしまいながら会場に向かう。早くこの場を離れて多数の中の1人になりたかった。椅子に座ってすぐにスマホの電源を切った。
他の参列者が帰り始めるのに合わせて僕は会場を後にした。お坊さんのありがたいお話の内容はほとんど覚えていない。
調べたところによると、この決済サービスの決済音はサイレントモードにしても消えないらしい。普段からそれなりに使っていた決済方法ではあったが、静かにしなければならない場所で使う機会がなかったため、そのことに全く思い至らなかった。恨みを込めて決済音を最小の設定にした。
スクラッチチャンスは結構大きな当たりだったようで、1,500円のキャッシュバックがあったようだ。コンビニに寄り、いつもより少し豪華に、先ほどの出来事を帳消しにするための食べ物とデザートをかごに入れ、レジに向かう。
\ペイペイ!/
相も変わらず明るいが、どこか申し訳なさげに小さくなった声が響いた。
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