ドクターマーチンを磨かせていただきました
お客様のご依頼でドクターマーチンを磨かせていただきました。
いつもありがとうございます🙏
3足磨かせていただきましたが、三者三様のデザインでどれも素敵ですね。
今回はそんなこれら以外にも多くのデザインのあるドクターマーチンが、どのようにして今のようになったか歴史を少しお話しいたします。
よろしければお付き合いください。
1945年 戦後のドイツのミュンヘンで兵役に従事していた医師のクラウス・マルテンス(クラウス・マーチン)博士が、スキーで足首を怪我した際に軍から支給されたブーツを使用したが、怪我を負った足には適していないことに気づく。そこで彼は怪我をした足の負担を和らげるユニークなエアクッションソールを開発します。
「ドクターマーチン」という名前は開発者の博士の名前からきています。
1947年 機械工学の知識を持つ旧友のヘルベルト・フンク博士とパートナーシップを結び、使用されていない軍事用品を素材に独自の靴を生産し始めます。
物資不足の中で新しく良いものを開発する姿勢は私たちも見習いたいですね。
このビジネスは10年も経たずに軌道にのり、40歳以上の女性を中心に人気を博しました。
今では若者に人気ですが、最初は40歳以上の女性の方の人気が高かったのは意外でした。
1950年代 イギリスの靴製造メーカーのグリッグスグループがドイツで作られているユニークなエアクッションソールに目をつけ、製造するための特許を取得し同社は幾つかの変更を加えました。
改善を加えたヒールと丸みのあるシンプルなアッパー、トレードマークである黄色のウェルトステッチと溝のついたソールエッジで仕上げられたブーツを製造します。
今のアイコンにもなっている「Air Wair」とブランドは命名され、生産ラインが1960年4月1日に開始したことから「1460」という品番をつけられた、ドクターマーチンの代表的な靴である8ホールブーツが誕生します。
ブランド名や靴の誕生秘話を知ることができるとだからこういう名前や設計になっているのかと理解できて、より靴により愛着が湧きますね。
初めは2ポンド(現在だと大体8000円〜10000円程度、安い!)で買える靴として、労働階級の郵便配達者や工場労働者などに多く履かれていましたが、1960年後半以降、若者達の間ではおしゃれや音楽が流行していたため、実用的なワークブーツがサブカルチャーに欠かせないファッションアイテムになっていきます。
1960年から1970年代末までのイギリスの時代背景をよく知ると、ここの結び付きがさらに深く理解できて非常に面白いです。
この頃のイギリスは経済不況の中にあったり人種差別もあったため、労働階級の人々が生活に不満を持っていてデモ活動も頻繁に起きていたそうです。そんな中で上流階級の家柄でありながら労働者に関わる問題の解決に注力していた議員が、ドクターマーチンを履いて演説したことからその議員を支持する者達も履くようになり、反体制派の若者達であるスキンヘッズというギャングや有名なミュージシャンが履くことで若者にまで広がって、社会規範や権威への反発だったり、自己の表現のシンボルにまで成長します。
ひとつのブランドの靴がここまでの物になるって相当すごいことだと思います。ジャンルやマークなら色々ありそうですが、特定ブランドのアイテムが象徴になるというのは他には私は知らないです。
1980年代には若い女性達がドクターマーチンをカスタマイズして履いたり、アメリカのバンドがイギリスから持ち帰ったことにより、アメリカのサブカルチャーにまで浸透していきます。
1990年代には世界的なフェスティバルカルチャーの盛り上がりと共にフェスシーンの代名詞になります。
そして2000年代以降から現在まで様々なファッションデザイナーやブランドとコラボをするようになり、履くだけで個性を表せる独創的なデザインを生み出すことで、現在でも多くの人々に愛されています。
長々とドクターマーチンの歴史を紐解かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
ドクターマーチンを所有している方はより今お持ちのドクターマーチンを愛せるようになったら幸いです。
また持っていない方はこの記事で興味を持っていただけたら大変嬉しく思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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