システマチックな謝罪
何か問題が起きる。
原因よりも今の気持ちを優先する人がでてくる。
そうすると、原因や結果、効果よりもただ場を収めようとする人がでてくる。
謝罪される。気持ちを優先した人は矛先を引っ込める。
で、原因や結果、その効果はなんだったっけ?忘れてしまう。
しばらくすれば同じことが発生する。
また謝罪する。そのうちにまた忘れてしまう。
これを繰り返すドライバーは誰なのか。
もちろん謝罪している側はその一端ではあるけれど毎回同じとは限らない。
トロッコ問題。誰にふさわしくて誰にふさわしくないか。
そんなことあるだろうか。
もちろんあの題材は死が描かれているのでふさわしくない人はいるかもしれない。
それでも、選択しなければならないときにどう選択したらよいか考えることを止めたらいけないのではないだろうか。