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CRP TOKYO撮影会 京成青砥 立石 2020.11月21日pm1時京成青砥駅集合

↑これまでの写真集CRPのラインナップです。

月一度のCRP TOKYOの撮影会もう数えて20回以上。前回は浅草。
今回は京成電車で千葉に向かい、途中の青砥駅と立石駅界隈。
昭和の匂いがプンプンした町。あたりは川面より低い、0m地帯。
京成電車は子供のころからたびたび乗った。住んでいたのが市川市国府台だったからだ。しかしメインはやはり、JR。いや国鉄。
越境通学をしていた中学時代、国鉄総武線で通った。国府台から市川まではバスだ。
かつて市川ー松戸間は、日本1といわれるほどのラッシュ。バスは10台ぐらいつらなり縦隊。京成国府台は立体になる前で、開かずの踏切だった。
京成電車は、京浜急行や都営地下鉄とレールの幅が一緒だ。いわゆる標準軌。新幹線と一緒だと思う。京急も京成もだから曲がりくねった線路を高速で走る。聞くところによると、僕の子供のころ京成と京急は微妙にレール幅が違い、政府の要望で京急にそろえたらしい。
中学時代、越境通学していた学校は御徒町にあった。今はアーツ千代田と呼ばれている。
僕は、小学校時代は、問題児で、はじけていたが、中学時代は暗黒の時代でだった。下校すると秋葉原の電気街を徘徊していた。
なぜだか忘れたが、市川からではなく、京成国府台から上野を目指したこともある。京成は担ぎやのおばさんがいっぱいで、下町気分がぷんぷんだ。江戸川、京成小岩、高砂、青砥、お花茶屋、堀切菖蒲園、関谷など、下町を走る。ただ駅はほとんど下りたことはない。今なカメラを持ってぶらぶらすぐるが、中高生はそんなことに興味はない。
まあ、いまになって人生も最終コーナーに差し掛かると、子供のころのちょっとした記憶が懐かしい。なので今回立石で撮影をしようと提案されたときには、すぐに賛同した。それでも知っているような、知らない町。青砥も僕の記憶のなかの青砥駅とは全く違っていた。
そりゃそうだ。もう60年近く前の記憶だ。
12歳だった僕が、60年前の話を聞かされたら、
1920年代の話を聞かされるようなものだ。ローリングトゥエンティ。懐かしいね。なんて。

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