Linhof Technika リンホフテヒニカ4x5(しのご) vol.01
TOPの写真、装着されているレンズは、伝説の超ワイドレンズシュナイダー スーパアンギュロン 65mm f8。このレンズがあるだけで、このカメラの存在意義がある。どんなに頑張っても、このような描写は、このレンズでしか不可能だ。高価なf5.6では普通にしか写らない。この小さなF8レンズは、もともと6x9用なのかな、イメージサークルが4x5だとぎりぎりだ。そのため周辺が光量が落ちている。その落ち方が美しい。僕のは絞り開放レバーがついているが、多くはバルブにて開放になければならないタイプだ。たしか篠山さんのも解放レバーがついていなかったような。このレンズはかつて流行っていたようで、篠山さんが使っていたことはもちろん、カメラ雑誌で高梨豊さんが使っているデータを見つけたことがある。
このテヒニカは、1977年に銀一カメラから手に入れた。距離計と連動カムがついていたけれど、プレスカメラとして使うわけではないでの、最初からはずしてもらった。
今でこそぼくは、35mmづいかであるのだけれど、
かつて仕事では6x6、6x7、4x5、8x10がメインだった。
35mmカメラは海外の取材や、モノクロ作品(スナップ)、もしくはコダクロームフィルムが指定の撮影のとき使用した。
雑誌の撮影では、4x5で、人物もよく撮影した。僕の前の世代は、ファッションは4x5で撮らなくてはならなかったらしい。雑誌のカラー印刷は工程がタイトなので、大きなカメラの方が有利だった。
フィルムは、僕はコダックのEPR(エクタクロームプロフェッショナル)
後半はベルビアやプロビアを使っていた。ベルビアの時代は、クイックロードになり、フィルムホルダーに入れる準備が不要になった。その辺も違う回で紹介する。
モノクロは当初はシートフィルムではく、コダックTRI-Xの16入りモノクロパックを使った。(モノクロパックはフジもあった)最後まであったのはコダックだ。
このカメラ、レンズの代表作 1995年阪神淡路大震災 倒壊した高速道路
テヒニカレンズ装填
65mmレンズの装填は、ちょっと特殊で、ピントレールではなく、内側のガイドレールにセットして、ピントは後ろの
バックティルトで調整した。合わせるというより、調整だ。前のガイドレールでも若干の調整はできた。
そして、こんなふうに、前ふたを下に落とす。
ハスキーの三脚も、通常とは90度回転させてセットした。テヒニカのことは、たくさん書くことがあるし、
写真もかなりあるので、おいおい紹介したい。こういうカメラがデジタル時代にデジタルとして使えないのが、残念だ。
いや、まだわからないぞ。