映画「ラストプリンセス」 突っ込みどころ満載の考えさせられる映画 それでもしっかり韓流映画であり もっともっと深い人間模様がすけてくる。
大好きなソン・イェジン主演のラストプリンセス、2016年だからちょっと前の映画、韓国の日本たたき真っ最中に作られた映画で、その気運がかなり入っているが、決して日本たたきというわけじゃなく、史実との違いや、日本軍や、朝鮮労働者の部分が、きちんと描けていたらと思った。ただ映画作りの実力として、ぞんぶんに泣かせてくれる。
史実と違うと言えば、明治維新にしても、二次大戦にしても、何が真実だったかは、わからない。小説や漫画などでは、荒唐無稽の歴史は多々語られる、そういう偽歴史映画だとしても、きちんと作っているかどうかが問題で、その嘘だらけは実は映画の一番の本質的なのだろうか。映画とは映像化したもの語り、現実ではない。どんな映画も、面白ければ、面白いほどファンタージーだ。まあ、うまくだましてくれたらご喝采というところか。中途半端はつまらないよね。
さて、韓国人も、ましてや日本人も誰も知らない、李王朝最後の皇女、おひめさまの悲しい物語だ。
1910年 朝鮮 韓国併合
1912年 皇女、徳恵翁主(トッケオンジュ)とくえいひめ
彼女の生まれた1912年は、日韓併合の2年後なので、大韓帝国最後の皇女とうのは違うだろうに。
とはいうものの、映画ラストエンペラーも、満州国を認めなければ、茶番のエンペラーだったわけで。
1920年4月 (大正9年)李 垠(り ぎん、イ・ウン
日本皇族の梨本宮守正王・同妃伊都子夫妻の第1女子:方子女王と結婚する。
この映画の最初の突っ込みどころは、強制的に連れてきた、朝鮮人労働者、老若男女どころか、幼い子供までを強制的に働かせ、なんと指もとんでしまうような作業まで。そんな大勢の彼らを前に、皇女さまがなぐさめの演説!
映画のなか、オリジナル(吹替はなく)は皇女ラストプリンセス(徳恵翁主トッケオンジュ)のことば。
最初はお仕着せの日本語で、
途中から韓国語であたたかく、熱く話すくだりだろう。
まあ、ありえない設定だし、ただ韓国の今の時代の気分を、映画でも反映しているのいるのか。むりやり三・一運動のシンボルにつなげたいのか、ご都合主義で、ちで映画としてもちょっとむっとした。 3.1別参照
それと大好きなソン・イェジンが、あれだけ演技力ある彼女の日本語があまり発声から日本語ぽくないのに、がっかりした。
笑えるのが、吹き替え版では、ソン・イェジンそっくりの声といい調子で日本語と韓国語(もちろん吹替なのでどちらも日本語)を話している。オリジナルを尊重したのだろうけど、なんか変だなって感じ)日本語だとソン・イェジンの魅力が半減するというのも面白い。
皇女、徳恵翁主(トッケオンジュ)
こと徳恵姫、とくえい姫は、
1921年 9歳から京城(ソウル)の日の出小学校で学んでいる。
そこでは日本語で歌の作詞が得意で、盲目の箏の名手で作曲家、宮城道夫が曲をつけて京城で発表もしいてる。
だから日本語はぺらぺらなはず。少なくとも発声とイントネーションぐらいネイティブに聞こえるようだったら、どんなにそんな演説はありえないといっても、だまされてみたのだけどな。あ。
こういうのは日韓合作で作ったほうがいい内容になったかも、大好きなソン・イェジンが、その才能を爆発できたと思う。日本語以外はさすがってお思ったけれど。
1925年(大正14年))12歳で日本に渡ってくる。
東京女子学習院。このころから活動的な子どもではなくなったといわれる。
彼女を迎えたのは、李方子 イ・バンジャ。りまさこ←彼女の人生はすごい。
日本の皇族から韓国の皇太子と結婚した、李方子 イ・バンジャ
が、李家と政略的に結婚された話は何となく知っていた。
旧、李王家東京邸(旧赤坂プリンス旧館)
1926年(大正15年)の純宗の薨去に伴い李王家を承継した。
李方子は、李朝皇太子とここに住んでいた。
彼女の話もドラマにしたらすごいことだろう。
祖国からひとり連れてこられてホームシックな皇女、徳恵翁主(トッケオンジュ)とくえい姫、を李方子はかわいがっていたらしい。
1926年 13歳 父李王の見舞いに短期間帰ることはできた。
異母兄見舞い。
1929年 16歳 実母の死に短期間 京城に戻っている。
1930年 17歳ごろから奇行が始った。
検査して早発性痴ほう症(今でいう統合失調症、かつてのいい方は分裂病、鬱になってくる)奇行。
1931年 18歳、旧津島藩士、宗家の伯爵 宗健志と結婚。
1932年 19歳 長女を生む。
病気を繰り返す。
1945年 太平洋戦争終戦
帰国拒否 韓国李承晩政権は李朝を嫌い、李徳恵は帰れなかった。
在日韓国人となった李垠・方子夫妻は帰国を試みるが、
日本と大韓 民国の間の国交は樹立されておらず、
その上、帝政復古を疑う李承晩大統領の妨害などもあり、
帰国できなかった。
1946年 精神病院 松沢病院に入院
1947年5月3日 日本王皇族喪失 1952年無戸籍。
1950年 韓国人新聞記者 李徳恵を韓国に紹介。
1955年 徳恵 宗健志と離婚 長女自殺
1959年 英親王(李垠 - 高宗の子)昏睡状態。
日本に立ち寄った朴正煕大統領と面談。
1960年 李夫妻帰国。
1962年 徳恵 50歳 帰国 韓国籍取得
私は楽善斎でずっと暮らしたかった
殿下 妃殿下お会いしたい
大韓民国 私の祖国
1970年5月1日 英親王(李垠 - 高宗の子)死亡。1897年10月20日生まれ
妃だった李方子とともに昌徳宮内の楽善斎に住む。
1984年(昭和59年)徳恵は長らく病に伏していたという[
1989年(平成元年)月4月21日、78歳 同所にて看護師2名に看取られて逝去した。 9日後、4月30日 義姉李方子も逝去している。
李朝崩壊、日韓併合、太平洋戦争、日本敗戦など激動の時代を生きた女性ふたり。史実通りに描いても、時代にほんろうされた二人の物語は成立すると思う。日韓合作し無理だけど。テーマ的には、映画より、ドラマのほうがその時代を描けて傑作になりそう。まあ、歴史認識で両国が違いすぎるので無理だろうな。いや、史実に忠実なんてことは、ありえないんだから、長年ドラマとしてテレビではなく、ネットフリックスで作ったら面白いね。
蛇足
十代を演じた若い女優と、ソン・イェジンが似ていて驚いた。まあ、韓国の女優や男優は、同じような顔の人たくさいる。まして子供時代からの連続性なんて、わりとリアルにできるんだろうな。それだけ今、韓国映画、ドラマは役者がそろっている。
日本時代を描こうという心意気、方向をすこしまちがっていたけど、韓国映画の実力はよくわかった。
だから70点かな。ソン・イェジンの日本語がよかったら80点あげてもよかった。
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