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50年後のプレゼント 田中長徳結婚式

photo by Chotoku Tanaka

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田中長徳は、日芸のひとつ先輩である。学生で初めてニコンサロンで写真展を開催した。僕が、学生だったとき、4人の学生写真家が気になっていた。流行通信の、細谷秀樹と達川清。コンポラの田中長徳だ。そして僕の写真の先生だった高木松寿。
もちろんカメラ雑誌は、カメラ毎日だ。
田中長徳の写真で印象的だったのはたぶん車の中から撮ったのだろう、小高い丘の上の十字架が光を浴びて反射しているスナップ。こんなカッコイイスナップがあるのかと感動した。
僕は日芸を卒業して、就職がなく、日本デザインセンターの暗室でバイトしている時に、社員だった本物の田中長徳に会った。ランチを食べに、ライオンに誘われた。その時多分オリンパスワイドという古臭いカメラを持っていた。歩きながらスナップする、その間合いが恰好が超絶カッコよかった。
この写真は1971年の12月。目白のカテドラルで彼が結婚したときの写真だ。もう50年前のことである。僕の先生だった高木松寿が、堂々の実力でセンターに入社し、その時田中長徳を紹介された。後に写真部長になる高木は先輩である田中長徳を、長徳と呼び捨てだった。なので僕は今でも、長徳だ。
なぜ結婚式に参加したのか覚えていない。が当然のように行った。そこには彼の友人のカメラマンがたくさんいた。僕はいつもカメラを持っていて、なんでも撮っていたいので、彼の結婚式も同じように撮った。頼まれたわけじゃない。かなり撮ったので、後日、プリントして大キャビネサイズの50点ぐらいを簡易製本した手製の写真帳を作った。それをプレゼントするつもりだった。
その後、僕は著名な写真家のアシスタントになり、忙しくなり、彼はウイーンだったかな、声楽家の奥さんについて行っていなくなり、会うことがなくなった。なのでその写真帳を渡すことはなかった。
彼がニューヨークから帰ってきたとき、碑文谷ダイエー裏にあるギャラリーミンのオープニングでたびたびあった。が、写真帳を作ったことはすっかり忘れていた。
2004年にキャパについて書いているとき、コンタックスについていろいろ取材した。そのころすでに、クラシックカメラの大家だった。
2006年に僕の、「あの日の彼あの日の彼女」の写真集を作った時、パルコで写真展を開催しのだが、その時トークショーを受けてくれた。
そこで彼の結婚式の時のエピソード、たくさん写真家がそろっていたのに、式の最中もかなり写真を撮っていたはずなのに、だれも写真をくれなかったという。
だから新妻にあきれられたという話を聞いた。
後日、榎本敏夫が数葉くれただけだとう。
やべー、一番撮っていたのは、おれかもしれない。
たぶん僕は大学から本格的に写真を始めたので
初心者らしく、いつもカメラを持ちあるき、なんでもがつがつ撮っていた。
式の時もまるで専属カメラマンのようにふるまっていたのかもしれない。そのため他の写真家たちは遠慮したのだろうか。
トークショーの時に、僕は、写真をまだ渡していないことが気になった。いつしかその写真帳は所在不明になっていたのだ。
当時僕は、銀塩はほとんどをやめ、デジタルになり暗室も始末していたので、再度スキャンしてプリントしようと思っていた。
それから15年も経っている。
今、お茶の水のギャラリーバウハウスで長徳は
写真展「Today Tokyo 1964/2020」を開催中だ。
(4月24日まで)休、日、月、祝
僕のスナップの原点でもある長徳の、
若かりし頃に撮った東京のシリーズだ。
全部Newプリントだという。
10日ぐらい前に見たときは彼は在廊しておらず
オーナーの写真家小瀧達郎さんと話している時、
土曜日には来ると言っていた。

僕は、もう50年もまえの写真を、渡す使命をおび、
数えたら、フィルムは全部で4本分だ。
昨晩それを全部スキャンしてselectした。
そのなかから10枚をプリントした。
今年は彼らの金婚式だという。
ああ、まにあった。

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今の仙人然とした風貌とは違い、僕のなかの田中長徳はさっそうとスナップする、かっこよさにあふれた、シリアスフォトグラファーで、おしゃべりな彼の、カメラ偏愛の話ではなく、写真界、や写真の話、その造詣はいくら聞いても聞き飽きることがない。



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