古いデジカメの話 2000年 35mmフルサイズ600画素のデジタルパック
20年前の西暦2000年、デジタルカメラ創成期に、当時としては画期的なカメラ、リーフでTwiligtTwistを撮った。これは懐中電灯をライティングに使った15秒の長時間撮影だ。
当時は熱を持つので、長時間露光はデジタルカメラではできなかった。CCDのセンサーサイズは、ほぼ35mmフルサイズ。画素数は600万がそだった。残念ながら大きなデータのまま保存ができておらず
画質はどのようなものだったかは不明だ。この写真はかつて僕のBLOGに載っていたものを紹介しているのでサイズが小さい。
画質より、20年前の記事を今読むとどんなふうなのか、
その辺が面白いところだ。
2000年4月の記事
プロ用デジタルカメラ(正確にはデジタルカメラバックという)Leaf Cantareを使用してTWILIGT-TWIST(懐中電灯を使ったライティング)を試してみた。通常のデジタルカメラの弱点は、長時間露光ができないということだ。
しかしこのLeaf Cantareという、Hasselblad(他にMamiya,Fujiにも)に対応したデジタルカメラバックは600万画素、一色あたり14bit/pixel、冷却装置を持ちCCDサイズが(2043x3072ピクセルCCD)35mmフルサイズ程もある。
なんといっても1/1000~32秒もまでもカバーしていることが特徴だ。今回のような、ペンライトを使用した長時間露光撮影は、通常のデジタルカメラでは全く不可能だ。
この撮影この方法は10秒から20秒の露光時間をかけて撮影している。
デジタルカメラの弱点は長時間露光にあるわけだから。だからこのLeaf Cantareはこのような撮影ができる、現在唯一のカメラだ。
感想は、写真を撮るという作業事態、銀塩写真となんら変わることがなかった。違っていたのは、すぐに最終原稿が見られるということであり、現像を待つという、ひとつの情緒的なものがなくなったことだ。
そして瞬時に撮影した原稿ができあがるので、チェックしセレクトすることがすみやかにできる。その写真が最終原稿であるわけないのに(レタッチ等)撮影のOK出しが、その現場にいる全員に平等に公開されてしまう。
セレクションがカメラマンの個人の意思というよりは、
その現場にいた全員の総意になる可能性がある。
冗談のように言えば、カメラマンはただのセンサーのようになり、モニターを見ているディレクターが、写真の意思決定権を持つようになる可能性がある。
カメラマンは写真家ではなく、テレビ局のオペレーター・カメラマンのように、たんにフレーミングするる、肉体的技術者になる可能性がある。
現在の問題点はカメラの価格の問題だけだ。このカメラは350万円もする。いくらフィルムをつかわず、その分が経済的といっても、今の状態では減価償却するには、個人では無理だと思う。
ただ、近い将来、このレベルのデジタルカメラがリーズナブルになれば、
確実に銀塩写真の90%はなくなることは目に見えている。
技術的にはすでに銀塩写真と同等のレベルまできている。
残された課題は経済学だけだ。
ただ写真を撮るという作業は、今までとなんら変わらず、クリエイティブな部分では今よりも広がるので、より自由な表現が可能になると思う。
もっとも銀塩写真が完全になくなることはないと思う。それは写真の歴史の問題であり、写真のたった170年の歴史であっても、表現からいえばすでに銀塩写真で大筋は完成しているからだ。
いくらデジタルで自由に表現をアレンジしたところで、写真を撮るという、究めて写真的な、撮るという作業は何ら変わることがない。
だから最後まで、モノクロームの銀塩写真は、細々とながらも生きのびると思う。かつて写真表現を創造した偉大な先人たちと同じ土俵で生きていたいのならば。
と、言っても実は確実にデジタルに世の中は流れている。
それは、世界的なエコロジー、環境問題の流れだ。水を汚してしまう銀塩写真は、これからますますコスト的に窮地に追いやられるだろう。
そして、フィルムを使わないデジタル写真の優位性は、経済学としても圧倒的に勝利するだろう。
その結果、銀塩写真は、「銀塩写真」というジャンルに封じこめられるだろう。
まあ、古典芸能のように、守られるかもしれないが。
この詳しいレポートはCOMMECIAL PHOTO SERIESのDG[デジタルグラフィティ]の10号、(2000年4月発売)で紹介している。印刷特性などはそちらで確認してほしい。
Model :Lana (Red Models) Stylist: Masako Kato Hair&Make-up :Tomoko Sato
Hasselblad 553EL 50mmf4.0 Leaf Volare Digital Camara back
15sec.f=5.6 TwilightTwist
(この2点の写真はネット用にリサイズしただけで
基本的にデジタル処理はなにもしてません)
2000年4月
PS2020
僕は1991年には、MacFXを使い始めていた。
ただ値段は高価なものの、たしか180万ぐらいしたはず、ディスクライターと含めて200万。仕事に使うのなら最低600万ぐらいになるといわれた。ので、この180万のおもちゃは、地図を作ったり、住所録、エクセルとワープロ状態だった。まあ、事務所に来た客に自慢するぐらいのことだった。それが1995年そのFxを売りつけたCanonの営業が、最新のPowerMacはこの100倍進化して十分写真に使えるという。全部そろえても50万。僕のデジタル人生はそこから始まった。スキャナーとプリンターをそろえ。ただデジタルカメラにはまったく興味がなかった。まだ印刷原稿には使えず、写真集の見本づくりなどに精をだした。
写文集「サイゴンの昼下がり」(新潮社刊)は、
構成やなど見本としてMacを使った。
2000年といえばEOS D30(300万画素)が発売された年。
僕はCanonからテスト機を発売前から貸し出してもらった。もしかしたらこのリーフを知っていたので、画質は満足できなかったのかもしれない。
それが次のEOS D60になってほとんど同じになり、35mmのポジフィルムをスキャニングしたものとコーリティと変わらず、僕はD60(600万画素)から
本格的にデジタルカメラを使いだしている。
であるので、このリーフを使った時は、まだデジタルカメラのことをよく知らず、Raw現像して(これもやってもらった)ネットで使えるこの軽いデータをもらって満足して、大きなデータをもらわなかった。
たしかコマフォトで印刷しているので、どこかにあるのだろう。
だからこんな小さな、あやふやな画像しかないことが残念だ。
これを取材、紹介してくれたサイトはもうすでにない。
PS サイゴンの昼下がりをだして、そのために僕はホームページを作ってもらった。これなら自分でできそうだと思い、ページミルという初歩的なソフトを使って日記など書いたりした。今回その時の記事だ。これをBLOGが始まったころ、NIFTYのココログに載せたのだと思う。
当時はココログは、カメラのことなど書くと、一日数万のアクセスがあった。アフェリエイトをちょっとやったが面倒でやめた。Factbookになったときに乗り換え、そのころからココログに来る人は激減し、Facebook一本でやっていた。いろいろ早くからやっていたのに、今はこのnoteに出会って
やっと自分にぴったりのメディアができたのだと嬉しくなる。