2003年、ベトナム北部、少数民族の土地を訪れた。ラオカイ、サパ、バクハ、ハザン。あの時代、バイクもなく、携帯もない時代。
7分39秒の、Silent なスライドショーです。まだ発売前の、初代Canon Eos Kissデジタル Ⅰ(630万画素)で、全編撮影しました。
初めてベトナムを訪れたのが1994年。それから憑かれたように通い1999年に写文集「サイゴンの昼下がり」を出版した。 次はベトナム北部の少数民族を撮ろうと決めていた。訪れたのが2003年だ。まずSapaを目指した。 西洋人が切り開いた高原リゾートだ。ビクトリアホテルという豪華なホテルに泊まってみたかった。 Hanoiから週何本か専用ビクトリアエクスプレスという豪華寝台列車でLaocaiまで行けるらしい。 残念ながらその予約は取れなかったので早朝出発する普通列車で行くことにした。 Hanoi駅につくとベトナム人と大量の荷物と家畜が溢れていた。通訳のチュン(Trung)さんが 車掌室の隣の一両だけ連絡されている薄汚い寝台車に乗る交渉してくれた。 ベトナムの鉄道のレールの幅は日本の狭軌より狭い1mしかも整備状態は最悪。 いざ発車しても加速することがない。自転車ぐらいの速度でだらだらと走る。そしてたびたびストップする。 300キロの道のりを11時間以上かかった。夕方、終点、中国国境の町Laocaiに着いた。 そこからSapaまでは自家用1Boxをチャーターした。ビクトリアホテルは小高い場所にあり木をふんだんに使用した、 チロリアン風の重厚なホテルだった。Sapaで一番の目的は、土曜の夜に開かれるLoveMarketだ。 昔の日本の田舎にも存在していた「歌垣」のようなもの。今風に言えば合コン、 若い男女が集まり、恋の歌を歌い求婚する。通い妻や、夜這いがあるという。 遠いベトナムの山の中で昔の日本の田舎と同じような風習がある不思議。 中国から見れば周辺の国はどれも少数民族のようなもので、 そういう意味で日本も少数民族として共通の文化と習慣が残っていると何かで読んだことがある。 日が暮れ、黒モン族やザオ族の若者が三々五々教会の前の広場に集まってくる。 広場には周辺にぽつんと薄暗い照明しかなく日が落ちると真っ暗だ。深夜になるとさらに盛り上がり、 闇のなかで歌や歓声が蠢き異様な興奮状態になる。カメラの内蔵ストロボしか持っていなかったでの、 ストロボのチャージが遅くたくさんは撮れなかったがものの貴重な写真が撮れた。 週が明けてからBacHaに向かった。原色の色鮮やかな民族衣装をまとっている花モン族の村だ。 メインエベントはSunday Market。日曜日は暗いうちから続々と周辺の村から美しい衣装を着た彼らが集まってくる。 遠いグループは3時間も4時間もかけて歩いてくるという。その日暗いうち峠に行ってみた。 日が昇り広々とした緩やかな丘陵が眼下に広がった。遥か遠くキャラバンを組んだ花モン族の一行が見える。 その日売るものを背中に担ぎ、馬に乗せ、着飾って毎日曜日歩いてやってくるだの。 1グループは15人ぐらいだった。圧倒的に女性が多い。着飾るという言い方は違うかもしれない。 彼らは農作業中にもこの衣装を来ている。服は手作りで昔は一年中着替えることもなかったらしい。 僕はすっかり BacHaに魅せられ一週間滞在した。 翌年Sapaと BacHaを訪れた。
Sapaのラブマーケットは土曜の夜になっても、 観光客ばかりで1年前のように少数民族は集まらなかった。
BacHaのサンデーマーケットも様変わりしていた。突然バイクが増え、 ひたすら歩いているキャラバンがぐっと減ってしまった。 たった一年で、少数民族の人々の生活も変化する時だった。
その後も訪れるたびにも変化した。かつてマーケットではぶつぶつ交換だったが、お金を使うようになった。民族衣装も母親の手作りではなく、買うようになった。
携帯からスマートフォン。クルマも増えた。
Sapaではラブマーケットは開かれていないという。聞けば山の奥の村では時折開かれているらしい。