02 ぼくのアサヒカメラ 休刊のつづき
アサヒカメラは、どこで読んだか忘れたが、公称3万数千部で、推移していたらしいが、このところ広告が減ったばかりか、売れ行きも2万台に低迷して問題になっていた。編集長が変わり、今年からジャニーズを使ったりして、この数号もちなおしていたらしい。それが新型コロナで、すべてが崩れたが、前の号でも書いたが、それをチャンスととられた幹部もいたのだろう。ただコスト上のことだけなら、ページ数にしても、いろいろ削減の工夫をすれば、解決できる余地も残されていた。いやカメラメーカーだって新型カメラがでて、広告を打たないなんてかっこ悪いことはできないだろう。カメラショーであるCP+がなくなったのも大きい。カメラの売れ行きは超激減だたと新聞にも載っていた。
さて、カメラ雑誌は、2000年すぎに始まった出版不況は、デジタルカメラのおかげで回避できた。しかしその分、この20年間、昔と変わらない雑誌を作り続けてきた、つけが回ったのだろう。
日本の雑誌の弱点は、情報量を増やすことで、解決しようと思っている。
ファッション誌を見れば一目瞭然。素晴らしく上質な紙に、1ページ何十枚もの写真と文字、老人には、老眼鏡があっても読めなような文字の情報。
海外のファッション誌が、シンプルなデザイン、写真はできるだけシンプルに作っているのに、貧乏根性の日本人は密度の高い、ぎっしり詰まった情報に価値を見出していた。それは紙メディアが、単純に利益をだすものだからだろう。紙メディアのステイタスには日本の雑誌はたどりつかなかった。
利益に徹したために、日本は世界一の雑誌国となった。どこにいっても、書店は雑誌で埋め尽くされている。出版不況と言われる現在もそれはかわらない。
外国の書店にいくとわかるだろう。雑誌はある一角だけ。ほとんどは
店内のほとんどは写真集のようなグラフィックな本にあふれている。例えば園芸などの本は、素晴らしく美しいが、日本だったらどうやってこの値段で売れるのか、不思議だと思う。
それは大量販売、大量流通という、日本の本や新聞の流通制度にからんでいるのだろう。
再販制度は、大手出版社や新聞社の大量流通には適していても制度だ。その再販制度は、写真集や、ふんだんに写真を使った立派な園芸の写真集のようなものはビジネスにならない。
海外の書店は、書店オーナーが、他の物販のように買い付ける。写真集は高額商品だ。店の一番いいところに並ぶ。一冊当たりの利益が違う。
日本の書店は、場所貸しだ。ちょっとでも売れない本は返品してしまう。
雑誌はそれでよいが、高価な本は隅に置かれ売れることはない。
出版社も余裕があったときは、採算度外視で出版しても文化的価値を見出していた。そういう本で利益は不要、文化活動だったのだ。
そのかわり、日本では雑誌本という混血児、ムックを発明した。別冊のことだが、まあ、同じ園芸の本だとしても、海外のものとはコーリティが違いすぎる。
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