横木安良夫「サイゴンの昼下がり」のオリジナルプリントを販売しています。
1994年 はじめて訪れたベトナム
その年、ベトナムはアメリカからの制裁が解除された。
それまでベトナムは今でいえば北朝鮮のように、
世界から孤立した国だった。
僕の世代にとってベトナムは、「ベトナム反戦」と何度も叫び、
それでいてベトナムの何も知らない傍観者だった。
枯葉剤、べとちゃんドクちゃん、北爆、ゲリラ、ボートピープル。
アメリカに勝ったといえども、その後、ポルポトのカンボジアに侵攻、
平和を勝ち取ったはずのシンパシーは、一転、世界から批判され孤立した。ベトナムを助けたのはソ連だけだった。
ある日、人気テレビ番組、
「兼高かおるの世界の旅」
の最終回、世界中で、もう一度行ってみた街はどこの質問に、彼女はサイゴンと答えた。
僕は驚いた。
貧しく、悲惨な国ベトナム サイゴン。
彼女はサイゴンを東洋の真珠と呼んだ。
いや、それは過去のことでしょう?
すっかり破壊されているに違いない。
それでも、そんな国、そんな街サイゴンに、彼女は行きたいと言った。
彼女の言葉は、僕の記憶の底にはりついた。
1994年、僕はベトナムを訪れるチャンスを得た。
実は、悲惨さを確認する旅だった。
すこしも期待していなかった。
到着したのは深夜。ホーチミン市、サイゴン地区は寝静まっていて、
奇妙に静かだった。レストランやBarはほとんどが閉まっていた。
バイクも少なく、車はなく、静かな深夜の街に、洒落たバーが一件だけ開いていた。
QBarというBarだった。
そこでB52を飲んだ。
翌朝、まだ暗いうち、ホテルの外から歓声が聞こえた。冷房が効きすぎて目が覚めた。
まだ暗い、がらがらの広々としたメインストリート、
そんな街灯の下、裸足でサッカーをしている青年たちの歓声だ。
ベトナムの朝は早い。
その日の朝、訪れたベンタイン市場で、ベトナムは悲惨でも、貧しい国ではないことを知った。
この写真にはさまざまなエピソードがあります。
タイトルは「サイゴンの昼下がり」
1994年10月 ベトナム、ホーチミンン、
サイゴン レタントン通り
。⇩このサイトから申し込んでください。
この写真は、1994年10月、初めて僕がベトナムを訪れたとき、
ホーチミン市、サイゴン地区、レタントン通りで偶然見かけ、
無意識にシャッターを切ったなかの一コマだ。
望遠レンズを使用しているが、演出写真ではなく偶然捉えた奇跡の一枚です。
この写真のエピソードの一つに、
作家、沢木耕太郎氏が、この写真を見てサイゴンに行きたいと思ったと、「一号線を北上せよ」というエッセイに書いてあります。
⇩ サイゴンの昼下がりの秘密 沢木耕太郎との因縁
⇩沢木耕太郎「一号線を北上せよ」を読んだ感想。
憤慨。そして彼の失敗談をあつめたエッセイ集「ポーカーフェイス」のなかでの、彼の言い訳。 「言葉もあやに」
この写真「サイゴンの昼下がり」を販売しています。
撮影されてから、もう30年もたっているので、
この写真が、当時、さまざまなところで使用されたことはご存じないと思います。
都写美で、ベトナム特集があったとき入り口に大きくプリントして展示していました。
注文はこちらから。⇩
額装代、郵送料すべて込みで¥120,000です。
★横木安良夫のオリジナルプリントのすべては、
横木自身がデータを制作し、自身でプリントしています。
ペーパーは、一番好きなEPOSONのアートペーパー、
ウルトラスムースを使用ています。
右下に、AlaOとサインが入っています。
額は楢材の額にオーバーマットしております。
スチールの額との違い室飾るとき、
室内のどんな場所にもフィットする額です。
この写真には、エディションはありません。
多くの人にこの奇跡の写真を味わっていただきたく思います。