【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第29話)#創作大賞2024
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図書館前のバス停で乗り換えがある片桐と山本さんに別れを告げて、丈太郎は佐野と肩を並べて家路をとぼとぼと歩く。先程の山本さんの告白にはしばし言葉を失った。
「私、透視能力があるの」
空気の流れが突然止まったかのように、誰も動こうとしなかった。一瞬息をすることさえ忘れていた。
沈黙を破ったのは佐野だった。
「透視ってあの……。服の中が透けて見えるとか、そういうことですか?」
「ね……。そういう誤解を受けやすいから、なかなか言い出せなくて───」
「え、そういうことじゃないんですか?」
「そういうことはそういうことなんだけど!」
山本さんの頬が赤く染まっていた。
「もしかしたら、今、俺らの裸見えてるんですか!?」
佐野が追い剥ぎから身を守るように、ガバッと両手で体を覆った。思わず丈太郎も股間を隠す。片桐だけ硬直したように微動だにしなかった。
「私ね、そこら辺の分別はちゃんとあるの! 大切な人たちを裏切るようなことはしないわ」
そう言って、山本さんは両手で顔を覆った。
「多分、あなたたちが想像しているよりも遥かに向こう側まで見えるから、もう下着がどうとか裸がどうとか、そういう次元じゃないって言うか……」
「遥かに向こうって……。じゃあ、山本さんは筋肉質な男がいいとかぽっちゃりくんがいいとかのレベルじゃなくて、内臓の形とか柔らかさとか細胞分裂の仕方とか遺伝子情報とかでキュンキュンするってことですか?!」
佐野が悪ノリし出す。
「佐野くん、ひどい」
「で、でも。なんかすごいね! 丈太郎は動物の心の声が分かって、僕は霊視ができて、山本さんには透視能力があって。特殊能力者がここには三人もいる」
場を切り替えるように、片桐が言った。
「俺だけ何もねーじゃん!」
もしかしたら顔を覆った手の下で山本さんが泣いているかもと焦ったのか、佐野はわざと陽気な声をあげた。
ひとしきりの衝撃が鎮まると、山本さんはちょっと拗ねたような顔になって言った。
「私、半径2キロメートル範囲なら容易に網羅できるの。時間の概念にも縛られないから、対象物をちょっと意識するだけで全て分かる。要するに、自分の足で危険な場所に踏み入って他人の家を覗くみたいなことはないってこと。バスが大通りにかかったらちょっと透視してみる。分かった?」
あの場では「はい」と言う以外になかった。
「山本さんってカッコいいな……」
丈太郎は隣を歩く佐野に言う。
「なんで山本さんのフォトグラフィーが人を惹きつけるのか、ようやく分かったよ」
「俺は全然わからん」
ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、佐野は首を傾げる。
「内面を撮ってるんだ。皮膚とか筋肉の向こう側にあるものを。モデルがいいのは確かだけど、あの手のスタイルの子はたくさんいる。それでも、山本さんが撮るとああいうふうになる」
「内面───内臓?」
「もう、いい加減内臓のことは忘れろよ!」
芸術性の欠片もない佐野と話しても埒があかない。丈太郎は早々にこの話題を切り上げた。
「俺、山本さんを好きになってよかった」
ふと足を止め、丈太郎は陽が落ちて暗くなった空を見上げた。うねりながら流れていく分厚い雲の間から、時折月が顔をのぞかせる。
「俺も」
と佐野。
「今聞き捨てならないことさらりと言わなかったか?!」
「丈太郎のはラブ、俺のはライク。っていうかさ、あの時俺がいなかったらお前、山本さんに想い伝えられなくてずっと悶々としてたんじゃないか?」
フフフとドヤ顔をする。
「間違っても手柄だなんて思うなよ! 佐野くんのせいで夢見ていた告白の瞬間を台無しにされたんだからな」
丈太郎は思い出して急に腹立たしくなってくる。
「よく言うわ。フォト垢の山本さんへのコメント、冷静に自分でもう一回読み返してみ。ちょっと怖いぞ。一歩間違えたら変態じゃねーかよ」
「あのアイコンのときは、俺はなに書いても許されるんだよ! いちいちうるせーな! っていうか、山本さんのアカウントから俺のコメントチェックするのやめろよ!」
俺の娯楽なの、と佐野は笑いながら歩き出す。
しばらくどちらも口を開かなかった。アスファルトの上の小石が靴の下で擦れるジャリっという音だけが鼓膜を震わせる。沈黙が心地良いほど、自分と佐野くんは長いこと一緒にいるんだな、と思うとなんだか感傷的な気分になった。
「俺さ……」
丈太郎はずっと考えていたことを言葉にしようとして躊躇した。
「何だよ」
それに気づいた佐野が首を傾けて覗き見るようにする。
「いつかのタイミングで、もう一度……」
心の整理がついていないことをどうして言おうとしているのか。丈太郎は自分で自分が分からなくなる。
だが多分、山本さんのせいだ。透視能力をまるで便利な道具のように使いこなしている山本さん。帰りにちょっとアンナの家を確認してくる。そう言った時の余裕を湛えた表情が、とても雄々しく見えた。
ニナが映像をうまくこちらに伝えてくれないことに苛立っていた自分なんかとは、桁が違う。わけも分からずニナの意識に同化してしまって、戻るすべもなく気を失った自分なんかとは。
「言いたいことがあるんならはっきり言えよ。長い付き合いだろ」
「そうだな。じゃあ言うよ。あのな、俺決めた。いつかのタイミングでもう一度ニナの意識の中に入る」
「ダメだ」
佐野の即答。
「絶対あれだけはやめろ。第一、あれはアクシデントだろ。入るとか入らないとかじゃないよな」
「ずっと考えてたんだ。もしかしたらコントロールできるんじゃないかって。あのときは確かにアクシデントだったけど、見方を変えれば、ああいう方法もあるってことだろ。幸い片桐先輩は全部視えてるし、本当に危ないってときは助け出しくれると思う」
「それでお前が戻れなくなったら、先輩は一生深い後悔を背負って生きていくってことだぞ」
「それでも、俺はもう一度試してみたい」
「……山本さんのためか?」
丈太郎は首を横に振る。
「自分のためだよ。ほんっと恥ずかしいけどさ、俺、自分の大切なものがキラキラしてるのを見るのが大好きなわけ。キラキラしていなかったら、どうにかしてキラキラさせたいんだよ。多少身の危険があっても、ベルやニナには絶対に幸せを取り戻してやりたいし、それが山本さんを幸せにするならやっぱりそれは俺の幸せでもあるし。言いたいこと、何となく分かるだろ?」
「分かんねーよ!」
投げ捨てるように言うと、佐野は駆け出した。
丈太郎は慌てて後を追う。
「おい、早いって!」
ほっそりした佐野の後ろ姿がどんどんシルエットに変わってゆく。
「佐野くん!」
パタっと突然前方で佐野が足を止める。
「なんかさ……」
「え?」
丈太郎は追いついて肩を並べる。
「そういうの、気に食わねえんだよな。自己犠牲精神っての? なんで自分の身危険に晒してまでやる必要あんだろうな」
佐野は苛立ちを隠そうともしない。
「俺が冷たすぎんのかな」
丈太郎は返す言葉が見つからなかった。
「ベルやニナに幸せでいて欲しいのは俺も一緒。だけど、大事な幼馴染がまた前みたいにおかしくなるのは見たくない。平穏な日常が壊れるくらいならアンナの所在なんて別に見つからなくてもいいんじゃないかって思っちまう。だってそうだろ。ベルはお前のじいちゃん所で可愛がられてるし、ニナだって山本さんちでそれなりに平和じゃねえか!」
キッと睨みつける佐野の鋭い目が、月明かりで一瞬テラっと光った。
「別になにも言わないでいいからな! きっと俺一人がおかしいんだから」
「そんなことない」
「そんなことある!」
「ないって!」
「しつこいな!」
口の端を歪ませて、佐野は舌打ちする。
「佐野くんには軽薄が似合う」
「はぁ?!」
思ってもみなかった言葉だったのか、佐野は片眉を吊り上げて丈太郎を睨みつけた。
「俺も山本さんも片桐先輩も妙な能力があるせいで、きっとどこかで自分の力を過信してしまうことってあると思うんだよ。そんなとき佐野くんみたいな冷めた人間がいないと、誰が過剰になった熱を冷ますんだってことだよ」
「おい、褒めてんのか? 貶してんのか?」
「さあ、どっちだろう。───でも、きっと佐野くんみたいな考えをする人間ってのは必要なんだ。だから、なにもおかしくなんてない」
佐野はしばし不思議そうに丈太郎を見つめた後で、ハァーッと大きなため息をついた。その後、突然丈太郎の顔に指先を伸ばしてくる。
眼鏡を取られそうになるのをギリギリのところで阻止し、丈太郎は佐野の首に腕を回した。
「俺のこと心配してくれてんだな? 優しい優しい佐野くん」
「うるせーな! まず第三者視点であの時のお前の狂態見せてやりたいわ。俺は本気でお前が目の前で死ぬんじゃないかと思って……。とにかくトラウマもんなの!」
体を捻りながら丈太郎から離れると、佐野はバーカ! と悪態をついて今度は確実に丈太郎の眼鏡を奪った。
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