【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第30話)#創作大賞2024
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第十章 それぞれの人生
片桐と一緒にバスに乗っていた時間はわずか十分足らずだった。だが同時に、様々な感情がぎゅっと詰め込まれた濃密な十分でもあった。きっと、ここから先の未来のどこかで、自分は不意にこの瞬間のことを思い出すかもしれない、と星来は思う。
進路の話をした。私は東京の獣医学部のある大学を受けるけど、片桐くんは? そう尋ねると、片桐は逡巡したのち、地元国立大の教育学部を目指していると答えた。特に志しがあるわけではなく、小学校教諭の両親の勧めで何となく決めたという。
「でも、少しは教育関係に興味があるんでしょ?」
勝手な先入観だが、片桐はもっと自分の人生を真剣に生きていると思っていた。両親の勧めで進路を決めたというのが意外だった。
「自分でもよく分からないんだ」
そう言う片桐の横顔に浮かんだ微かな笑みが、写真部の代表会議のとき、浮かれて近づいてきた他校の女子高生二人に向けた笑みと重なった。どこか余裕のない貼り付けたような笑顔。
「あまり他人と深く関わる職業には就きたくないってのが本音なんだけど、心のどこかでは自分が子供たちの人生の一部に片鱗だけでもいいからなれればいいなっても思う。それはポジティブな意味でね。……ただ、色々考えると向いてないような気もしたり。大学に行けばもっと熱い気持ちが芽生えるかもしれないから、それに期待する」
「人と深く関わるのが怖いの?」
まさかそんな問いかけをされるとは思っていなかったらしく、片桐は星来をじっと見つめたまま固まった。
「変なこと聞いちゃった。ごめんなさい。答えなくてもいいから」
星来は慌てて撤回した。片桐は足元に視線を落とすと、呼吸を整えるようにわずかに肩を上下させた。吐き出す息が少し震えていた。
やがて意を決したように口を開く。
「人と深く関わることが怖いのかって聞かれたら、多分答えはイエスなんだと思う。その人そのものをただ受け入れられればいいんだけど、どうしても背後に憑いているものが頭から離れなくなる。言動に違和感を感じてしまうと、この人にはこういう霊が憑いているから仕方がないんだって、全部関連付けてしまうんだ。直したい悪癖だね……」
最後のほうはどこか諦めているかのようなトーンだった。
「どうしたら治るかな」
冗談なのか本気で聞いているのか分からず、星来が返答に迷っていると、片桐は続けた。
「だから、他人とは広く浅く付き合うのが僕にはとてもラク。ずっとラクなほうラクなほうに流されて、これから先もずっと逃げ続けて……」
片桐のような繊細な気質を持っている人間の苦労が分からないわけじゃない。ただ、今まで周りにいなかった。親友の茉夏はどちらかといえば鈍感なタイプだし、中学や小学校の頃の友人もその場のノリでワイワイ盛り上がるような子たちばかりだった。
考えすぎ、気楽にいこう! というセリフがどれだけ彼らを傷つけるかを理解していても、なぜそこまで自身を消耗させなければならないのかまでは理解できない。
「でも、丈太郎くんや佐野くんには自然に振る舞っているように見えるわ」
星来がそう言うと、片桐は少し困ったような顔をして前髪に触れた。
「あの二人は特別。丈太郎はエネルギー量が膨大すぎて憑いてるものが見えないし、佐野は背景にあるものがほとんどカオスだから判断の材料にならない」
「カオス?」
「コーヒーゼリーみたいなぷるぷるしたやつとか、文字が立体的になったやつとか、ずっと奥のほうには昔の洗濯機みたいなものがあったり。ちょっと聡明そうな着物の女性霊もいるけど、こちらの気を逆撫でするような佐野の言動のほうが際立ってるから、あの女性霊のせいで彼は……みたいには間違ってもならない」
「なるほどね」
星来は思わず笑ってしまった。
「そういえば死霊も憑いてたな」
「死霊?」
「死んで比較的時間の経っていない幽霊。まあ、ほとんどは気がついたらいなくなってるからなんの害もないんだけどね」
「佐野くんってバラエティ豊かなのね。ちなみにだけど……私の後ろも視える?」
思い切って尋ねてみた。実際にこうして片桐と会うのは今日で3回目だが、何となく、自分も丈太郎や佐野と同じように受け入れられているような気がした。勘違いではないと思う。
「うん……」
だが、片桐は言い淀む。嫌な胸のドキドキが腕のあたりまで伝播した。急に聞くのが怖くなる。
「山本さんには───」
目の奥深くをジッと見つめられた。
「男の人しかいない」
「え?」
思わず気の抜けた声を出してしまった。
「多分、みんなお医者様。どの霊も目が強くて口元が引き締まっている。ちょっと衣服に血を付けている人もいるけど、しっかりと胸を張って立っている。弱者を助けることに誇りを持ってる感じかな」
「そんな立派な人たちが憑いてるなら、私も片桐くんを失望させたりしないようにしなきゃね」
「山本さんに失望したことなんてないし、これから先だって絶対にない!」
片桐は慌てたように身を乗り出した。思ったより顔が近づいて、あっごめん! と俯く。
その様子がおかしくて思わず吹き出すと、片桐も困ったようにハハハと笑った。
「僕、丈太郎には感謝してるんだ」
やがて、改まった様子で片桐は言った。
「丈太郎が友達になってくれなかったら、僕の高校生活は味気ないまま終わってた。生まれて初めて自分の人生を生きてるって感じがする。だから、このまま時間が止まればいいなって割と本気で思ってる」
「うん。それは私も思う。でも、時間は待ってはくれない。だから今を大事にしなきゃ……」
「今」
「そう。今よ」
力を込めて言ったが、片桐の顔には諦めのような色が広がっていた。霊視能力というのは残酷だな、と星来は思う。身体は「今」にあるのに、片桐くんの目が映すのはいつだって過去の残像だけ。丈太郎くんたちと過ごすかけがえのないこの瞬間を噛み締めながら、すでにその目はすべてを過去に変えてしまっている。どうしたら、彼の目を今に向けさせることができるかしら───。
「あのね、片桐くんほどではないかもしれないけど……」
星来は思い切って切り出した。一瞬、説教くさく聞こえて煙たがられたら嫌だなとも思ったが、なにか一つでも、自分の話がきっかけになって片桐の苦悩を緩やかにしてあげられたらなと思った。
「私もこの能力のせいで周りから理解されないことが結構あって。それなりに傷つく経験もしてきたわ。でも、私の性格的にそういうモヤモヤした感情を自分の中だけで処理することができなくて。その都度ママに相談してた。あ、うちって能力のことは隠しつつ、バレない程度にどんどん使いなさいって感じのちょっと変わった家だから。だから気兼ねなく相談できるってのもあるんだけど。───でね、あるときママに言われたの」
本音を語るってなんでこんなにドキドキするのだろう。星来はじんわりと出てくる額の汗をハンカチで拭った。
「星来は他の人間が見ることのできない遥か遠くまで見通せるのに、わざわざ目の前に壁を作って、どうでもいい靴の中の石ころに集中してるのねって。その時、頭から胸に向かって光の矢が突き立ったみたいに震えた。私が悩んでいたことって、悩みでも何でもなかったの」
「悩みでも何でもなかった?」
どこか疲れたような表情で片桐が復唱する。
「そう。全部現象。どんなに気をつけていたって靴の中には石ころが入っちゃうものでしょ? なんで私の靴に入るのよ! って怒ることには意味がない。だから、それは悩みではなく現象なの。そうとなったら、あとは立ち止まって石を取り除くなり石が入りづらいピッタリ目の靴に変えたり対策すればいいだけ。靴の中の石ころには可能性がない。だけど、靴の外側に転がっている石には水晶の可能性もあれば琥珀の可能性だってあるし、サファイアの可能性もある。だから、私は靴の中に集中しそうになったら、外側に意識を拡張させるようにしてる」
上手く伝わった自信はなかった。けれど、横に座る片桐の瞳が心なしか輝いているように見えた。
「意識を拡張させる……」
「簡単に言えば鷹の目になるってこと。全部客観的に見れるくらい遥か上空に視点を置く。するとね、本当に全てが面白いくらいちっぽけに思えてくるのよ」
「僕にもそういう視点、持てるかな」
「絶対持てるわ」
言いながら声が震えた。感情の昂りを感じる。アンナを見つけるという四人の共同作業の中で、片桐の心をどうにか今に向けさせたい。心の底からそう思った。
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