【翻訳】R.フュルミヒ弁護士&ICICメンバーがロビン・カイザーにインタビュー:スピリチュアルな観点からの世界の変化
まえがき
今回のICICのエピソードでは、ライナー・フュルミヒ博士が、心理学士、哲学者、作家、インフルエンサーであるロビン・カイザーと、世界全体が明らかに取り組んでいる変化のプロセスの背景と大きな文脈について、洞察に満ちた対話を行った。
ライナー・フュルミヒ博士(弁護士)、ジョセフ・モリトリス教授、ダグマー・シェーン弁護士とともに、ロビン・カイザーは、現在の世界の出来事だけでなく、今日に至るまでの社会システムの発展の歴史全体に関わる多層的なテーマを通して、エキサイティングな発見の航海に乗り出す。思いやりのある人間である私たちが、なぜまたここまで至らせてしまったのか。博士、ジョセフ・モリトリス教授、ダグマー・シェーン弁護士とともに、ロビン・カイザーは、現在の世界の出来事だけでなく、今日に至るまでの社会システムの発展の歴史全体に関わる多層的なテーマを通して、エキサイティングな発見の航海に乗り出す。共感能力のある私たち人類は、なぜまたここまでに至らせてしまったのか。
また、いわゆる集合的(形態形成的)な「領域」、その利用方法、そして私たちの精神的・感情的発達に対する重要な影響について解説する。
家族関係、ジェンダー・アイデンティティー、デジタル化、トランスヒューマニズムなど、私たちの社会構造における、いわゆる先進的で "目覚めた " 変化とは一体何なのか、また、これらの人工的な構造物によって、精神的、肉体的、社会的にどのような危険が脅かされているのか、という疑問を探求している。創造物全体と調和した、平和で主権ある生活へと向かう精神的な世界の変化への希望はまだあるのだろうか?
結局のところ、内面における個人的な意識の変化を通じて、外側の世界に影響を与えることができるのは、私たち自身だけなのだろうか?もし私たちが自ら積極的になり、自らを助け、自らの手で人生を切り開くなら、神もまた私たちを助けてくださるだろう。
なぜ、人類は奴隷化プログラムに気付かないのか
ロビン:この激動の時代に、世の中には多くの情報が溢れており、何をフィルターにかけるか、何を取り入れるか、どこを見るのか、何が辻褄が合わないとするのか、非常に重要となってくる。私はここ暫く、トランスヒューマニズムについて、そして人類の原典は何なのかという疑問を扱っていて、その話を今日は出来そうです。
ライナー:過去三年は、覚醒プログラムのようだった。私は仕事柄、以前から司法に関して「確実に何かがおかしい」とは思っていたが、それが腐敗なのだとは思っていなかった。この国の法律家は養成訓練がなってないから、裁判のことが何も理解出来とらん、ぐらいに…実際に、いまから20年前ぐらいに腐敗を暴いた。証拠もあった…(中略)政治的上層部からの信じがたい癒着があった。
この3年の間、はっきり見えてきたのは、どうやら頭がイカれた人たち、政治家などの頭がイカれてしまい、赤ら様に犯罪を犯すようになったということ。これが5年や8年ぐらい前に起こっていたら、刑務所行きになるよう話だ。きちんと内容を説明して同意を得ていなければ致傷罪になるようなことをいけしゃあしゃあと要請し、賛同しなければ失業を迫られるとか、致傷罪どころか死に至るか、もしくは重度の障害が残るものが宣伝されたり。
一体、何が起こってタガが外れたのか?
ロビン:説明するには、すこし時間を巻き戻す必要がある。だって、これらの構造は3年前に始まったわけではなく、今はそれがこんな劇的な形で可視化されているだけで、ずっと前からある種の体制が、非人間的なアジェンダを象徴する哲学を追求してきた。そこでは個人の無力化、権限の剥奪がなされ、制定される法律はどんどん奇妙になってきて、個人の体制国家への依存度がどんどん強化されている。
そこで、私が疑問に掲げたのも「それはどのような構造なのか?」ということ。このような状況を好む人物、つまり、このような権力のある立場に惹かれるのはどのような人物なのか。
これは心理学的な観点から上手く説明できる。権力とお金に関係するほとんどすべての機関のトップマネジメントには、常に自己愛的な特徴を持つ病質的な人物(ナルシスト)がいて、その性格は強烈に人間らしさを失った心理図の中で活動している。こういう人物が心理学士の診断をうけたなら、例外なく病質者と判断される。人間が人間たらしめるものを持っていないわけで、共感能力に欠けている自己愛的人格障害者である可能性、これがひとつ。なぜなら、人間らしい自然の性質や能力といったものをかなぐり捨てて「大災害の後は、自分さえ分け前を得られれば、あとはどうでもいい」という、排他的な哲学を掲げることで、そもそもそのようなポジションに就くことになるからだ。
このような観点で眺めると、このような構造はずっとずっと昔から、容赦なく
人類を蝕んできた。
そうやって現実が歪められてきたことと、その裏にある人口削減などという大掛かりな哲学が、今になってほんの一部可視化されてきた。これを画策している組織と構造は、もはや隠そうともせず、赤ら様にそれを主題に掲げている。それらはあまりにも堂々と鼻先で見せつけられることで、逆に我々の目に止まらない。つまり、いまや主流メディアでは、「我々が認識して信じるべきこと」として堂々と扱われている。
でも、もしもこの数年前から、ある特定の人間像、世界像といったものが「心理的条件付け」として人類に与えられていなければ、いま見せられていることは酷くデタラメに見えたことだろう。しかし、この条件付けは時間をかけて徐々に与えられ、飼いならされてきたことで、人類は自分たちが終いには「幸せな奴隷」であるべき、とされていることにまったく気付かない。
このあるべき体制の逆図というのを、司法、心理学など、あらゆる生活分野で見せられている。全ての構造において、支配層が私たちに売り込んでいるのとは逆さの状況になっている。例えば医療制度なら、病気によって利益を得ている。心理学なら、人々が心理的依存に留まることで存続される。こうしてあらゆる生活分野、まかり通っている学校科学もそうで、古典的な科学や物理学、化学、すべてが経済力というものに興されて生かされる。たとえ、事実に基づいた科学的根拠が提示されようと、システムに整合・同調しないものは全て濾過されてしまう。これらに手を加えた筆跡の全てを検証していくと分かってくるのは、我々の社会体制が報酬を握らされている特定の人物によって潜入されているのは偶然ではなく、ある世界のあらゆる権力構造、金融構造、そして大企業などに、この体制が敷かれている。
これは組織的潜入であり、「世界像」「哲学」が潜入されており、これが我々個々の中で「エゴ」という小さい形をなしている。「エゴ」というのは外の世界では、同じ原理で極端に倒錯されるまで強調されて提示されている。
自己責任放棄と依存からの覚醒
ライナー:つまり、これは今に始まったことではなく、ただこの三年間に氷山の一角がはっきり見えてきただけで、この世の全ての権力構造にこれがあったということか。
人々は、なぜこれを甘んじたのだろうか?
ロビン:いい質問だね。…それは我々が「自分が何者なのか」そして「個人としての自分の意識が秘めている能力」を知らないからだと思う。
我々は父なる国家という制度に頼って、自分の責任の大部分を委ねてしまった。この制度はある種の心理力学的パターンを引き起こした。例えば医療制度によって、我々は自力で自分の体をケアしなくなったし。司法制度によって我々は直感的に正義を養護しなくなった。
全ての制度は、「お前たちは考えなくても良い、我々が引き受けて、解決法を提示してあげる」となっている。そして、それが楽だからと思って全てを委ねると、依存関係へと陥る。
人々の知覚は、そこで既に麻痺して鈍感になっているので、何が起こっているのか殆ど気付かない。
しかし、外の世界で起こっていることが極端になればなるほど、人々は覚醒めていく。荒唐無稽な規制、荒唐無稽な科学的アジェンダ、主流で提示されたこれら全ての極めて不審な事柄が、今現在、促進因子となって我々を揺さぶり、これまで目をつぶったまま何も見ようとしなかった者たちでも自己エンパワーメントへ迫られることになり、改めてこの惑星で何が起こっているのかを感じ取り、調べさせられている。
そうして、「もう、そんなゲームに賛同するのは辞めだ」というムーヴメントが起きている。
ライナー:「我々に任せよ」という白衣を着た医師たちや、黒衣を着た法律家たちっていうのは、実際には人々を依存させていたわけだが、それは偶然ではなくて、意図的にそうされていたのか。
ダグマー:(中略)私があなたのセミナーに何度か参加したとき、私の年代の人が沢山いた。あなたも何処かで一度「長い間スピリチュアリティと向き合ってきた50歳以上の女性たちが一番激しく共鳴している」って言ってた。
質問は、このコロナの3年で、それに何か変化はあった?
ロビン:どちらとも言えない。「何かがおかしい」と感じてリサーチを始めた、すごく若い男性たちも増えているし、人々はまず「政治的」に覚醒する。こうした人たちはまず経済システムや福利について疑念を抱き出したことで政治的に覚醒し、その後徐々にスピリチュアルな分野へと導かれていくケースが多いことに気付いた。なぜなら、片方に関してのみ覚醒する、ということはないからだ。そういった場面での覚醒者は増えている。
世界レベルでの情報洗脳プログラミング
ライナー:権力を持った者、自分のキャリアを失いたくない者、これらは舞台裏で癒着しあっており、(中略)その他の試しみ…例えば弁護士の言葉遣い、性別、女性弁護士はどんな服装であるべきなのか、等々、どんな要素も結局は全く関係なく、公判が始まる頃にはすべて示し合わせてあるので、後はシナリオが自動的に流れるだけ。私はよく同僚たちに「一体何がどうなってるんだ?」って顔をしかめて見せていた。そこでコロナがやってきた。
そして、それまでの職業的体験から認めざるを得なかったのは、我々が法学などの教育機関で教わってきた合理性は全く通用しない、常に『目に見えない何らかの権力が上層にあり、全てはただのショー。宗教的なものもその一部で、様々な戒律や禁止令を設置することで人類を完全統制下に置く」ということ。しかし、私は誰かに指図を受けなくても善悪の判断が出来るので、キリスト教の文化で育ったけれど、そういうものとは関わり合いになりたくはなかった。
そして、どこかで「このままで済まされるはずがない、絶対にいつかバランスが取り直され、整えられるはずだ」という希望を持っていた。それで、スピリチュアルなものにも触れるようになり、君とか君らのコミュニティにいるダグマーのような人ともやり取りするようになった。
恐らく、全力で「合理性」で進もうとしてきた多くの人たちが、それが通用しないことに気付きはじめ、しかもスピリチュアルな理解を深めることで希望を感じるようになった。
ロビン:確かに、合理性では進むことが出来ない。合理性のレベルは、我々が一方通行の袋小路へ入り込むように、プログラミングされているからだ。
学校教育も科学研究も、左脳の強化訓練に集中させて合理的思考と力学的世界像が育つようにしている所以は、人々が「心・直感による知性」ではなく、常識の中にあるときほど制御下におくのが容易になるからだ。
だから、幼稚園教育からそれが始まって、学校、職業訓練とずっとそれがなされているのは、国家が教育を担ってプログラミングを施しているということだ。
それで私は、繰り返し「これは心理戦争だ」ということを呼びかけている。使用される武器は古典的なものではなく、「情報」だ。
科学研究分野を観察してみると、法学を含めたあらゆる分野では、外部に向けた科学というのがあって、これが教育機関で教えられる。しかし、そこには内輪向けに教えられる、いわゆる「真の科学」というのもある。
心理学界で私が気付いたのは、大衆に向けて教えられる心理学というのがあり、それはゲシュタルト心理学だとか精神分析で、患者は10年間も長椅子に横たわってた結果、日常体験はそれまで以上に身体的影響が増すだけで、何も変わらない。しかし、例えば本当に精神的安定が必須になってくる宇宙飛行医学の特定の分野とかいくつかの軍事施設などでは、実際に機能する心理学的手法が用いられているが、これは大衆には与えられない。
心理学の分野に限らず、全ての分野にこのような制度が布かれていることに私は気付いてしまった。司法は私の専門ではないが、上層レベルに行ってその世界を知れば知るほど、何らかの手を講じて下層の努力を無にすることが出来るように仕組まれていることが見えてくるし、もちろん欠陥も見えてくる。そこには支配層が維持され続けるようにしてある保護メカニズムがある。それをはっきり見せられているのが「意識操作」に関する手法で、この心理学的知識はCIAによって大きく駆使されたが、その他のレベルでもこのシステム維持のために、大衆には教えられていない手法が使われている。
ライナー:司法の世界では、あまりにも多くのケースが正義とは関係なく、機会的に済まされることが多いことは確か。従って90%、いや99%の訴訟には意味がない。君のいう支配層は「ガードレール」を設置しており、我々は皆それに引っかかって、真の正義というレベルには行き着けないようにしてあるからだ。真の正義とは、誰かに教えてもらわなくても自分で分かることだ。
私の娘は歯科医学を勉強しているが、すべて丸覚えの世界。複数選択はああっても、一本の歯に起こった問題が身体のどの部分に関係してくるのか、といったホリスティック医学の知識など皆無で、そういう考え方があることさえ教えられない。
つまり、全ての手法や規則は支配階級を維持するためにある、というところに下線を引くべきか。
心理学の分野で私が知っているのはペーパークリップ作戦などの恐ろしいマインドコントロールのたぐいだが、君が見たのはどのようなものなのか?良いものもあるらしいが、どのように機能するのか?
ロビン:つまり、何であっても「どの方向に利用するのか」が問題だ。
意識プログラミングの可能性は、叡智と愛をもって使用すれば素晴らしい効果が出る。心理学で発見された、有意義でとても多くの利用分野がある手法があっても、それは教えられていない。
例えばトラウマ療法。非常に有効なものがあるが、多くの機関では支持されていない。つまり、そこにはやはり資金が関わってくる。厚生部門全体が、常に健康保険が賄ってくれるかどうかに依存しているわけで、健康保険というのはあらゆる治療法の閂(かんぬき)の役割をしているのだ。オーストリアでは健康保険が効くとてもよい治療があっても、ドイツでは非常に稀。一応、健康保険が「許可」してはいても、非常に限定的。過去の原因の原因の原因ばかりを探ったり、中には「現状」を把握して前向きに処理する手法などもあるが、これらには効果がない。結局、いつまでこのシステムに頼り切っていくのか、いつになったら自力で探すのか、ということになる。
私が思うのは、いまこそ「自己責任」が問われているときだということ。つまり、全ての批判的に見て、全てに疑問を掲げていく中で、あえて「内的直感・心の声」を聞いていくことが求められている。
私たちの内側には「真実をはかる」機能があり、合理性へ向けてのプログラミングが強すぎなければ、その内なる声を再び聴けるようになっていく。そうなると内的倫理観というのが生じて、それは合理的・論理的構造で構築された法学的見地のはるか上層にあるものだと、私は感じていて、そこでは私たちは「そう、これだ」「いや、これではない」ということ、つまり「それは私の真実と共鳴する・しない」というのが即座に分かるようになる、ということ。この内的倫理観は「直感」「心の方磁石」と呼べるが、これをまた指導して訓練していけば、今我々に流れ込んでくる情報の海の中で、「あれが自分の次のステップで、あそこから先へ進める」というように、適切に動いていける。
「分断して、支配せよ」
ヨゼフ[教授]:(ロックダウンなどで)民衆を個々に孤立化させる、それにはどのような目的があるのか、君の意見は?だって、あれで人々が互いに疎遠となり、自分を見失っていくことになった。このプロセスは赤ら様ではないが、外から人々に持ち込まれたことで、人は自分がわからなくなった。
ロビン:非常に本質的な部分の指摘と言えるね。「分断して、支配せよ」の原理は今でも最も有効だ。もし、我々が個々に心がつながり合っていて、上手く機能している家庭で互いに結ばれあっているのなら、今のような支配の仕方、制御は不可能だ。この小さな単位の社会である「家庭」を破壊するために、多くのことがなされてきて、その次にはコミューンや団体など、大きめの社会単位が破壊されていった。価値の方向性は徐々に個別化へ向かっていることは、社会が何に価値を置いているのか、もしくは我々の文化社会において、どのような職種に価値が見出されて報酬が多いのか、どの社会的分野が無視されて、低所得であるのかを見れば分かってくる。人間哲学はどんどんと個人主義という領域へ傾向している。これは当然我々を弱体化する。なぜなら、私たちは社会的存在であり、共同体として力を発揮するからだ。
しかし、誰もが「自分だけの料理」をしていれば、そこに大きなものはつくれないので、そういう「分離して支配せよ」という原理がシステマティックに構築されている。
ライナー:しかし、それはあるレベルでは矛盾になるのでは?片や、家庭やコミューン単位の集まりが破壊されていくことで、WHO、WEF、そして真髄から腐敗しているUNなどが、上層から統制する存在になっているが、もう一方では我々は個性と、誰にも依存していない個人の自由を取り戻さねばならない。個人の主権とは、所属国家に主権性があるかどうかとは関係ない。本来、我々は何でも到達できる能力があるのに、共同体としての存在を破壊されるのを恐れているという矛盾。独自性というのは一方では重要だが、それは共同体との関連性の中で皆とつながり合ってこそ、やっと力が発揮できるのだろうか。
ロビン:同感。独自性・個性、自己主権から始まって、自分自身と自分の人生に対して責任を担うことから始まり、そこから一歩進むことになる。今現在試しみられているのは、古典的な資本主義システムを新たに布くことではなく、ある種の超社会主義を布いて、デジタルネットワークなどの人工的な繋がりを通して、真に深みのある感情的な親近感の沸かない、見せかけの結びつきの中で我々が暮らすようになることだ。我々が主に繋がり合っているのは、この「反社会的」なネットワークを通してであって、そこでは常に、本来的な人間らしい部分の一部が取り除かれて、有る代用品が与えられている。
ヨセフ:それを「疎隔」と称することが出来る。(ロビンは肯定)
サタニストの逆図
ダグマー:先程の「心理学では有効な手法があるけれど、実際必要なところで利用はされない」という話、これは行刑の分野、つまり刑法でも言えること。公の場で鼻をほじっている人が刑務所に入れられるけれど、企業や役所のトップ階層にいる真の犯罪者には何も起こらない。大した罪でもない人たちが服役していて、社会復帰が本来の主旨であるとのこと。彼らの殆どが実は自己への価値意識を壊されているため、行動が目立つようになったのに、そんな者たちの自己への価値意識を強化することなく、何年間も虫けらのように扱われてどうやって社会復帰ができるのか。
他国では、殺人や障害を起こしてきた服役者たちが刑務所でシェイクスピアの舞台をやったりして、服役者の自尊心を養っていみたら、それが社会復帰に役立った。60年代にそのような努めが出てきていたが、以来なされなくなったのは、システムがそれを望んでいないから。世の中をこのままにしておきたいのよ。
ライナー:今、ダグマーが行刑について述べたことと、明らかに関連してくることは、ロビン、司法とは統制システムの純粋な道具だということ。これまで私はもう30年も掛けて、例外なく、グローバル大企業に抵抗する消費者側や中小企業の弁護をしてきたが、そのプロセスにおいて例外なく常に、遅かれ早かれ「止まれ」の標識に出くわした。下層の裁判では、我々に味方してくれる判事もいた。しかし、ドイツ全国で何よりも明らかに支配のためのツールとなっているのが刑法だ。更に、それが何よりも明らかなのが、広範囲において民営化されている米国の行刑だ。
米国で所有している私の牧場は郡庁所在地の近くで、この郡庁所在地にいる全員が以前は無職の牧場主だったが、今では全員が大きな民営刑務所で働いている。そこには当然「社会を妨害する者」たちが入ってくるが、彼らはダグマーの言ったように犯罪者ではない。
ロビン、君も最初に「病的な人」たちがトップに座っていると言ったが、当然彼ら全員が贖罪不能者ではない。贖罪不能者とされるのは、自分が何をやっているのか理解出来ていないとか、自分の行動を制御出来ないときだ。今の政治屋はみんな贖罪能力があるが、こいつらが「刑務所に入る人物」を決定している。ドイツの検察庁はこれが特に顕著で絶対的命令権があるため、この検察庁に目をつけられる場合、その裏には必ず政治的な理由があるという疑いがある、ということは欧州裁判所が確認したため、ドイツの検察庁は国際指名手配を発行・実行することは許可されていない。純粋なる支配ツールだ。
ロビン、先程君は「全ての分野においてそうだ」といったが、特に医療。これは特に、明らかに、健康が危険に晒されていると見せかけて、人々を弄び、支配するために繰り返し利用されている。
結局は、権力者たち(そしてその下手人である政治屋など)が主張することは恐らく、現実で起こっていることの真逆なんだ。
このことは、カーリン・ジョージェスキュという元UNの職員が話していた。UNで「平和」について語られた日には、それは戦争を意味しているのだと。なぜなら、そうやってUNを支配しているオリガルヒは金を稼ぐからだ。彼らが「透明性」について語る日には、隠蔽を意味する。彼らが「健康」について語るときは「死と病気」を示唆している。
ロビン:まったくの同意見。心理学が利用されているところも、まったく同じ原理がまかり通っている。180度の転換。私はこれを「サタニストの逆図」とよんでいる。彼らの、いわゆる「筆跡」は、特に今の時期、全てのコントラストがはっきりしてきている時期に、至るところで明らかな「法則」として我々に提示されてきている。主流メディアではその筆跡はどのように放映されているか。そしてその裏には似たような、もしくは同様の構造、同様の力が掛けられて、全体を構成している。
ライナー:我々に残されている道は、我々が「何をやるべきで、何をやっても良いのか」誰かに指図されることを必要としていないということを思い出すしかないのだろうか。少なくとも私の見解では、我々は自分で自分の健康管理も出来るし、正義を齎すことも出来るし、生きていく上で必要なそれ以外のことは全部自分で出来るのに、何十年…もしかするともっと長い間、我々自身ではない他の存在が「もっと上手に出来る」と思い込まされて、その認識は封印されてきた。
ヨゼフ:イマヌエル・カントの『啓蒙とは何か?』だ。1784年。
ジェンダー議論:人類の起源とは
ダグマー:「ジェンダー・性・女性vs男性」というテーマについても質問したいのです。これは今持ち上がってきているテーマなので、それについて意見を。
ライナー:性別の破壊か。
ロビン:その件についても、いくつかのことが領域には投じられている…その目的は、アイデンティティの混乱。性別を互いに混ぜこぜにすることで、私たちには「自分が何者なのか」、分からなくなるようにさせられている。非常に多くのことが領域には漂っていて、私たちは「生物学(バイオロジー)」なによりも「遺伝学」を超越する能力があるかのような観念を与えられ、自分とはある種の「変項」として遊んで良いことになっている。これは、どんどんと試験管ベビーへ志向し、つまり、子供の性別を恣意的に選べるとか、その他子供の誕生にまつわるあらゆる自然なこと、自然分娩など自然なプロセスの全てが病理化されていくだろう。
…私は、もしもトランスヒューマニズムのアジェンダがこのまま進められていくのだとすると、数年後には「人類がどうやってこの地上に誕生したのか」という根本的なプロセスが、どんどん人工的代替案で補われていくだろう、という主張をしたことがある。自然分娩は何らかの病原菌の感染が懸念されるとか、危険度が高いなどと言われ、人工代替案で育成した方が安全だ、として技術を駆使して複製していけば、自然な人間らしさは更に失われていく。
性別というレベルのアイデンティティには、新しい性別範疇が導入されていき、私たちのもつ能力・力が身体的なものから来ているということも不明確になっていく。
今やられているのは、実際には性別同士の戦争だ。健全な男性性はまるで加害者、女性性には被害者の役割が付与されている。これらが心理力学的にずっと張り巡らされており、加害者被害者の永遠の循環が維持されている。
「癒やされた」ことで神聖となった男性的パワーと女性的パワーが合わさるときには、最も偉大で美しいものが生じうるわけで、このありえないほどの力を発揮するものを、「明日はこうで、明後日はこう」という日和見的な性別アイデンティティを持たせて行けば、人々は混乱し、アイデンティティは危機に晒され、更に深く忘却・乖離へと沈んでいくだろう。
特に技術圏にしか出入りしない多くの若者たちは、そこから何となく情報を得て酷く混乱している。どのような特徴となるイメージがそのソサイエティから作られているのか、その心理学的性質を分析してみると、どんどんと病的になっている。自然で、原初的で、力強いもの、というのの重要度が下げられており、それは我々人類がそれを甘んじていて、自身の主権に踏み入らないからだ。
心の隙間
ライナー:それは本当に明らかだ。しかし、同時に明らかなのは大勢の者たち、− それが大部分だという暗示がなされているが、そうではないと私は思っている − 大勢の者たちが賛同しているからだ。性転換が望まれる個々のケースはあるだろうが、これが正常化され、しかも子供に「誰でも簡単に」というような印象が与えられているのはけしからん。どうすればこのネズミ競争から降りれるのか考えさせられている。そして、同僚から聞かされた話だが、最近国連(UN)は、子供も性パートナーを持つべきだと公に宣伝し始めたと聞いた。これが本当なら、国連を取り調べるときがやってきた。沸騰点に達しようとしている。
このジェンダーのテーマを支持しているのは80%だと見せかけているが、実際は逆のはずで、これが進められて行くと大勢が、ゆっくりかも知れないが確実に立ち上がり始めるだろう。
私にはもう他の道は考えられないんだ、ロビン。これまで沈黙してきた人々が可視化される形で蜂起することが必須だということに気付かないと。
それとも、他になにか道が有るのだろうか?もう、そんな当たり障りのない転換など、ありえないほど行き過ぎたと思うが。
ロビン:物理的なレベルでは、非常に多くのことが淀みきっており、これはきっと爆発的な形でバランスを取り戻されねばならないだろう。
同時に、自ら問い正さねばならないのは、「いったいどのような意識で私たちはこの世界で行動しているのか」ということ。
私たちの行動は、「体制への抵抗・復讐」が目的なのか、それとも「自己の内なる真実と繋がり、NO、やめろ、これ以上は賛同しないぞ」といいたいのか。これらは2つの異なった意識の持ち方だ。
だから、物理的な活動レベルに入って蜂起する時に重要なことは、何かに反抗する意図からではなく、自らの内的意識から起こったことならば、自分が倒そうとしている対象と自分自身を同等に置かないこと。
自分の内部に何かがあることに気づいたなら、私は自分でそれを解消することが出来るはず。そこで起こそうと思う行動は、反抗心からである必要はない。だって、抵抗をすれば新たな抵抗を生むということを、私たちは知っているからで、それでは先に進めない。
即ち、私にとって明らかなことは、癒やしをもたらして有効なアクションというもののそもそもの基盤となるのは意識レベルで起こる、ということ。なぜなら、意識レベルで解決されていない間は、ドン・キホーテが風車を巨人だと信じ込んで退治しようとしたように、敵という存在の影と闘うことになり、そこから先へは進めない。
私たちにとって非常に重要なのは、「投影」というものの基礎を認識することだ。世界とその舞台に登場する役者たちは、我々の知覚上における「投影」によって生じているわけで、目の前で繰り広げられている場面は常に、自分自身の一部であるということ。この自分と世界との投影的関係性を見抜くことが出来た時、私たちは盲滅法に抵抗運動などに走らなくても良くなり、世界と意識とを統合することもできるだろうし、私たちは「それは真実で、そのために自分は慄然と立ち、私はそれを認める。そして限界はここまでだ」とはっきり示すことが出来る。
そして、ライナー、先程君が触れたのは、システムとその支配層はもちろん、未だに「これでもか」とばかりに更にもう一杯の土を被せてくるのだが、それでもいつかは…まさに子供が危険に晒されてくるときには、誰よりも母親たちが立ち上がり始める。私の印象では、今やってきている状態の中で、大きなムーヴメントの多くが母親たちや女性たちの領域から出てきているのは、女性たちの方が左脳の合理性プログラミングに掛けられきっておらず、まだクリアな感性を失っていないからだ。大学教育などで完全に洗脳されていない者たちのほうが、このアジェンダというものをしっかり見抜いている。
ヨゼフ:一日16時間スマホにぶら下がっている15歳の若者の「意識レベル」について、君はどう思う?
ロビン:この世界では、多くの者たちが迷子になっていて、選択肢を探している。拠り所を探し、人生の方向性となる何かを探している。そしてソーシャルメディアは当然、人々が「そこが隙間になってる、何かが欠けている」と感じているまさにその場所で待ち構えていて、当然その欠如が常に維持されるようにしてある。
もちろん、君が誰の話をしているのかはわからないけれど、そのようなデジタル環境に強く根ざして生きている者は、感情面で大きな欠如を抱えているため、何らかの形でそれを埋めようとしているといえる。
ライナー:なるほど。
ヨゼフ:そうやって、彼らが何をみて、何を内面化すべきなのかが目の前に置かれるわけだ。
ダグマー:それは、ヨゼフ、親が介入しないと。
ヨゼフ:確かにそうだが、親にどんなチャンスがあるっていうんだ?
ダグマー:“仕事が忙しいから”って放ったらかさないで、親が魅力的な世界探検に子供を連れ出さないと。身体レベルでね。小さい子たちは喜んで、大人と森でキャンプに行くわよ。
根源へ還る:意識の持ち方
ライナー:“自然へ還る、根本へ戻る”、これが解決だと私も思う。全ての分野において私たちを煽動し、互いに対立させ、不穏な空気が流れるよう、暴動が起きるように仕向けることで、彼らは利益を得るという歴史が重ねられてきた。例えば移民、しかも武器を持った若い男性を大量に入国させる、ドイツ人と移民側の両方、互いへの敵対心を起こさせている。
もし、このゲームを演出している輩がいることに、我々が気付いたなら、誰を相手に闘えば良いのか分かるはず。シナリオはいつも同じで「分断と征服」、問題を起こし、問題の解決法を提供する。これが最も単純に描かれていたのがコロナ・ストーリーだ。ありもしない問題を創り出して、我々が危機感を投影したところへ、「解決法」としてワクチンを投入した。しかし、これが至るところで起こっているんだ、ヨゼフ、家庭を壊し、個性を壊せば、代用のものが必要になってくる。物理的な友人がいなくなってしまえば、Facebookで見つけようとすることになり、すると君の友人はCIAになる(笑)。
ヨゼフ:親や家庭は、仲間グループ(ピア・グループ)というものと取り替えられ、そこに圧力が生じる。若者たちが親以上に友人たちの言葉に耳を貸のは今に始まったことはない。しかし、今は技術が大きい役割を担っている。
ダグマー:もうひとつ、ロビンに質問してみたいテーマがあって。
ライナーはいわゆるこの世界的な大虐殺の下手人を裁判で裁くために奔走しているわけだけど、中には「私たちは皆、分断に走らず互いに歩み寄るべき」といった、「赦し」というテーマが持ち上がってくる。あなたの意見は?
だって、私たちの同僚のシースラー氏は22歳の息子が自殺した後、90際の母親がワクチンの後で亡くなってしまい、そうなると「赦す」ことは容易ではないでしょう。
ロビン:その場合も、どのような意識で自分はそれを行うのか、が重要。
何かを追討したならば、世界では更に闘いが増えることになる。
自分の意識の姿勢が、何かへの復讐を望むものだったりすると、その方法では問題を強化することにしかならないので、その先へは進めない。つまり、特定の意識、特定の思考の内部で引き起こされる問題というのがあるため、自分が同じ意識で同じ考えの中に留まり続ける間は、全体の解決には向かわない。この時、自分は一段上のレベルへ移らねばならない。
もちろん、法的なレベルで何らかの手法を講じて「これ以上、なんでもかんでも甘んじはしない」という境界線を示すことは出来るが、同時に、私個人としてはこの世界の法治主義を、もはや全く信頼していない。私が信頼をおいているのは「高次の法則」だと言いたい。高次の法則によるバランス調整、高次のパワー、これらは最終的には転生を超越して機能する。このような、バランスを取り戻すという単純な力、カルマと呼んでもいいが、誰もが自分が撒いた種の結果を得ることは、私が霊的に感得するところから確信がある。
これは非常に根本的な共振原理で、もちろん人生においてありったけの金と権力を得るために、全てを掛けてきたならば、その力には全体を仕切り直す反動がやって来ることになる。
そこで議題となるのは、正義と秩序について語ろうと立ち上がっているこの自分の立ち位置とは、どこなのか?ということ。
「私は自分の多くの我を手放し、高次の秩序も協力してくるはずだと信頼していきます」と思えるのか。
その時、当然物理的レベルでの、自己の権利主張がある。
「ここは自己防衛します」
「それには付き合いません」
「そこには私は明確にノーといいます」
といった具合に。つまり、そこでも意識が物をいう。
もし、司法が闇の勢力という存在によって構築されたのならば、彼らをやっつけるために、その手段を使うことが出来るのか、ということを問うてみるべき。
その手段・手法はもう、前もって酷く腐敗した形で型どられているため、彼らを害するために使うことは出来ないのではないか?
この疑問は、基本として考えてみるべき。
ライナー:分かる。私は100%君と同意見だ、ロビン。
善と悪:二元性から離れる
ライナー:このシステムは壊れすぎている。潜入されているからではなく、このシステムは制御と権力駆使のために設置されているからだ。
私一人ではなくて、多くの同志が望んでいるのは彼らを被告席に連れてくることだが、この素晴らしい弁護士チームの人たちは復讐を念頭においているのではない。昔は私も「復讐こそが刑罰の目的としては最も合法的で、それ以外は全部哲学的な戯言だ」とか思っていたが、今では…我々の刑務所で社会復帰だって?ありえん。人々はぶっ壊されている。特殊予防、一般予防、カント、ヘーゲル、フォイヤーバッハ…これらの刑罰目的に関するあらゆる理論は素晴らしく聞こえるが、現実では機能していない。
だから、彼らを裁判にたたせるのは、絶対にこのシステム内ではない。君の言うように、ここにはバランスを取り戻してくれる高次の力が働くはずで、彼らは代償を払うことになる。何人かは既に払っている。
しかし、何かアクションを起こすことには意義がある。「自らを救わんとするとき、神が救いに現れる」ともいう。私たちだって、宇宙の一部ならば、何かをすべきだ。
私が望むのは正義であり、復讐ではない。正義がもたらされないところに平和はないからだ。だって、誰でも好き勝手に人殺しをし、かっぱらいをしても何のお咎めもないなら、そこに平和な共存生活があるはずない。
次の三点に絞れば、上手く行くと思うんだ。
1)高次の力が存在する、ということを信頼する。君が描いたような高次の形での正義。
2)我々は自分で一歩を踏み出さないといけない。「自らを救わんとするとき、神が救いに現れる」という原理だ。しかし、現存のシステムの中ではやらない。
3)だから、デクスターというアフリカの友人であり同志の弁護士がマオリでの足場を作ってくれた時「これだ」と思った。マオリには「ティカンガ法」という何百年も前から存在する法律制度があり、これは司法を超えている、「生き方」だ。つまり、非常にシンプルな規則で成り立っていて、平和を取り戻すのが目的だ。そこで私がもっとも印象を受けたのは、この「世界に平和を取り戻せ」というのが突然国際法になったことだ。そして、彼らは50年も前から今の状況がやってくることを、霊的に調べて知っていたため、「今こそ、自分たちが世界に平和を取り戻すとき」だという。だから、彼らを断頭台に送るつもりではないが、高次の権威が別の形でやってくれるとは言え、裁判には立たせねば。
しかし、私やデクスターなど同志たちは判決を下しはしない。証拠を提示するだけ。「ティカンガ法」のチーフたちが、プレゼンされたストーリーから判断する。
ヨゼフ:では、「これは善と悪の闘いだ」と極端化した雰囲気の中で多くの人たちが思っている中で、それをどのようにやるんだ?「お前はどちら側なのか?」と問われている。
ライナー:私の見解では、多くが本当に真っ黒ではなく、誘われたり買収されたり、もしくは恐喝されたりしたグレイゾーンの衆であり、彼らは自由な意思で判断していない。彼らは邪悪な存在とは言えない。糸を引いている輩は邪悪なことは確かなので、代償を払うことになる。糸を引くものでなくても、自覚してやった者は代償を払う。ファウチ、ドロステン、その他政治家たち。
しかし、我々のイニシアチブによって、マオリだけで留まらない結果が出るだろう。バタフライ・エフェクトみたいに。
ヨゼフ:「今こそ、神が介入する」と多くの人が言っているのを最近よく聞く。「神が悪を征して正義を取り戻してくれる」と。
ダグマー:神は介入してくれるのかしら、ロビン?
ロビン:私は少し…ここで「善と悪」という図式に触れておこうと思う。
なぜかというと、それもプログラミングの一部だから。そのような思考パターンはプログラミングによって我々に与えられているんだ。「あっちが善で、こっちが悪」だと言われるんだが、実際にはその両極から栄養を得ている勢力が、この二元性ゲームを維持しようとしている。しかも、とりわけ「善と悪」という図式の両極から栄養を得ているんだ。
感覚世界という舞台において、「善良なアメリカ人、邪悪なロシア人」等等、我々の思考パターンが保つように、そこでは常に善人と悪人の登場を見せられている。
そして、結局見えてくるのは、その二元性の裏にはある勢力があって、どのように表現されようと、それは同じものだ。
私たちの使命とは、自分の感覚、自分の意識を以て、その「善悪ゲーム」の二元性の裏へ抜け出て、「私自身がそのどちらも備えている」ということを認識することだ。
もし、外の世界に邪悪な者たちがいて、我々が善側ならば、その哲学を辿った先には「加害者・被害者の投影」という因縁の輪廻を継続させることになる。
そこで、世界の善人とされてきた者たち、「全なるキリスト教徒」とか、その軌跡を眺めてみると、自身を「善」とした者たちが「悪」とされた者たちへ戦争を仕掛けたために、大量の血の跡が残されていたりする。
ここで我々はどうやって二元性という意識から抜け出すのか、一歩下がってよく考えて、そしてこう言うんだ。「自分は両方を備えており、全ては自分の中にある」と。
ヨゼフ:その二元性というのが今、激化している。(ロビン:まったくです)。
戦争にしても、パンデミックにしても、気候変動にしても。これらのテーマ全てが激化していて、だからこそ、一般の単純に生きていた人たちには、「一歩下がって自分の意識をチェックしよう」とかは難しい。人々はその両極端へ追い詰められたので、そこから戻るのは難しい。
ライナー:私はよく分からなかったのだが、ロビン、君が言っているのはもしかして、そうした「善悪図式」の思考パターン − 刑法では善悪ではなくて、「有罪か無罪か(責任義務)」だけだが − そこから一歩出るというのは、誰が裏で糸を引いているのかを識るということだろうか?だって、誰かが操り人形を使って糸を引いているんだ。
マティアス・デスメット教授、彼も心理学者だが、彼が言っていた「大衆変容(マス・トランスフォーメーション)」のテーゼで言われていたこと。ちなみに私にはこれがよく分からなかったんだが、「最初はソーシャルメディアなどの代用品で社会的接触を得ている間に、そこらに浮かんでいるとらえどころのない不安感が膨らんでいたので、コロナなどが起こると『やあ、やっとはっきりとした不安の対象に出会えた』となって、喜んで頑張ってしまいたくなる」という。それで彼は「このマス・フォーメーションは独りで(勝手に)に起こる」と言っていたが、それは違う。誰かがパンデミックが信じ込まれるように、目的をもってその「とらえどころのない不安感」を撒いたんだ。操り人形を使って裏で糸を引いている彼ら(もしくは勢力)には責任がある。
善良なアメリカ人、邪悪なロシア人とかいうのは確かに、その裏をみないといけない。さもないとウクライナについて主流メディアが語っていることをも信じてしまいかねないが、 そこにはやっぱり裏に責任を取るべき者がいるんだ。
それとも、君の見解は違うのか?
ロビン:糸を引いている存在は本当にいる。しかし、問うべきことは「自分たちには何が出来るのか?」ということ。そこで手始めとなるのが「意識」なのだ。
「平和」に行き着くためには、意識から始まる。二元性のプログラムから降りるには、意識から始める。今迄「善人・悪人」として売り込まれてきたものの背景を知ろうとすること。
全ての活動は「我々は善である」という基盤の上に成り立っていて、生贄としてそこに置かれているものを成敗しようとしている。
しかし、これに乗っかるということは、全てのプログラミングを推進させることになる。私たちが本来は自己主権を取り戻し、自由へ向かうために使うはずのエネルギーが、システマティックに方向をずらされて、全く関係のない分野へ向けられてしまう。
今現在、若い人たちが気候変動デモを行っていて、その裏にある彼らの意図は善意かも知れないが、そのエネルギーはある路線に乗せられて、人工的に操縦され、実際のCO2の値を見れば分かることだが、まったく無関係の分野へ流れている。
そうやって、本当に価値のあるものから、我々の意識は計画的に注意を逸らされている。
だから、人々は個々の問題に対して、自分自身の意識をよく振り返らねばならない。「自己の主権を強化し、自分の周囲の人々が世界で何が起こっているのか注意してみるように促す次の一歩を踏み出すには、自分はどんな意識にあるべきのか」ということを、よく振り返ること。
そして、ここで私は「邪悪」というものを「無明(理が分かっていないこと)」という解釈に換えたい。あのようなことが出来る者たち、「自分たちはこれをやっていいのだ(正しいと思っているのか、自分にはそういう権利があると思っているのか)」という者は、実は自己の存在の本質にまつわる深い知識を見失っているからだ。(頷くライナー)
そして、その理由は、私たちが「自分たちは本来何者なのか」ということを忘れてしまっている、ということが根底にあるから。そこからあまりにもかけ離れたところへ行ってしまった者たちを、我々は「邪悪」と呼んでいる。
ダグマー:ひとつ言わせて。二元性と二極性の違いについて、私が分かってきたのはそれほど前じゃない。二極・両極というのは、例えば昼と夜のように「あるべきもの」だけど、二元性はなくてもいい。健康でいるために病気になる必要はない。平和を齎すために戦争をしなくてもいい。この違いを最近アルミン・リージから教わった。二元性とは人為的にもたらされるもの。二極というのはそこにあって、全てに応用されている。男性と女性、プラスとマイナス、そこに電流(エネルギー)が流れるので、二極は必要。理解は正しいのかしら?(ロビン:同感だ)。
宇宙の法則・高次元の理
ライナー:今話していた輩たち、その中にビル・ゲイツとか、あの変なハラリだとかがいて、私は彼らを「邪悪」だと感じてはいるが、彼らは本当に「分かっていない」のだ。残念ながら強制収容所で亡くなったディートリヒ・ボンへーファー氏は素晴らしいと思う。彼は「愚かさとは、実際には邪悪よりも危険である」といった。真の極悪人は見れば分かるし、予測がつく。愚者は見た目では分からず、納得させることも出来ない。彼らは議論でやっつけられそうになると砂に潜って動かなくなる。私はそう思うね。「分かっていない」、それは愚者の姿で現れるが、これは知性や教養とは関係なく、むしろ逆で…しかしそれは裏付けされていることだろう。なぜって、この状況が操作されているということは、ひとりでに起こったことではない、と思っていいだろう。操り人形たちも、さっき述べた意味合いで、全員が邪悪だとも言えんだろうが、では操っているものがいるとすると、それは誰なんだ?責任義務を追求できないような、ヒトではない存在なのか?意見を聞かせてくれ。
ロビン:「無明(理を知らないこと)」、即ち「無理解と邪悪のスペクトル」について、もうすこし説明させて欲しい。「知らない」というのは合理的な思考が出来ていないという意味ではない。君の言ったように、知性や教養が足りないということではなくて、「知らない」のは、高次元の理のことだ。彼らは自分が「永遠の神的な存在である」ことを忘れている。自分とは「存在しているものの全て」であることを忘れてしまっている。もし、自分が誰かを殺したのなら、自分自身の一部を殺したのだ、ということ。「分離した意識」の中でしか殺人など起こらない。この世界舞台全体で起こっているショーは、分離した意識の中でしか維持され得ない。しかし、ワンネスの意識を得た途端、他人を扱う時、私は自分自身が望んでいるよう扱おうと思えるんだ。なぜなら、「私は相手である」からだ。自分と相手との区別はもうしなくなる。
この話は、地上領域からありったけの何かを吸い取るために、計画的に的を狙って試しみている、ある特定の力が事実そこに存在しているということを否定してはいない。私の感知するところ、この力というのは、地球上のもの・人間的なものだけではない。私たちは高次元の周波数が存在する多次元宇宙にいて、この物理的レベルで起こっている多くのことは、高次のアストラル・レベルから操作・操縦されている。
ライナー:ふむ。そうやって工作されているんだな。しかし、我々は今は物理的に見えている人間を相手にするしかない。少なくとも今の時点では。だから、見えているもの相手に正義をもたらすという努力をすることになる。
マーティン・シュワブ教授(コロナ委員会の顧問もしてくれていた法学部教授)は、敬虔なキリスト教徒だが、彼も「見えている輩から始めるしかない」と言っていた。証拠が出てきたら、それも扱う。
しかし(口ごもりながら)…実際にされている工作があり、君が「我々はもうちょっと意識拡大が必要で、全体で何が起こっているのか眺めてみるべきだ」ということは、私も理解出来る。そうすることでやっと、全ての下手人が暴かれる…君のいう「無明の衆」の姿を見る、という結果に至れるからだ。しかしそれは決して、彼らが責任義務を負わなくても良い、ということではない!
ロビン:この舞台上で紹介されている役者たちは、確実に、ただの手先の手先だ。本当の大物たちは主流舞台には絶対に現れてこない。彼らは見えないところから影響力を及ぼすことで、自分たちの威力を発揮できるということを、よく知っているからだ。
ライナー:その通りだと思う。でも、下っ端プレーヤーたちを取り去るか、暴くかすればが、彼らの威力を壊すことが出来るが、君の云う通り、黒幕の大物をしょっぴくことはきっと出来ないだろう。ただ、我々は自分たちの出来る限りをする。「自らを救わんとするとき、神が救いに現れる」がモットーだ。残りは、全ての力の裏にある力、宇宙の法則に委ねることになる。
ロビン:私の感知するところでは、ピラミッドの天辺に居たものは、もうこの物理領域には居ない。つまり、本当に何千年もの間この惑星にいて、黒幕として糸を引いていた者たちはもう居なくなっている。それは誰かというと、高次元のデーモン的な力であるエネルギー体で、それらはこの地球からもう去った。
私たちがいま見せられているのは、首を切られて頭のない蛇の体がまだうごめいているようなものだ。システムは歯車を回し続けて入るが、それを噛み合わせてまとめていた存在はもういない。
ライナー:それを聞くと、とてもホッとするよ。ということは、後は片付けをするだけだな。つまりそれは、我々にできることをやって、啓蒙と正義をもたらすことしかないが、それで十分なのかも知れない。
領域(フィールド)という概念
ダグマー:「領域(フィールド)」という用語を皆が使うようになったけれど、これは新しい語彙よね。ロビン、フィールドとはどのように影響するのか、フィールドとは、何を意味するのか…説明をお願い。
多くの人は「自分には何も出来ない」って言うんだけど、私はよく「あなたがそのことを考えてみるだけでも、あなたは何かを変えることになる。なぜならそれはエネルギーなので、あるエネルギー領域で作用するから。水面に水輪が広がるように。
でも、この用語は結構新しい等いうか、まだ集合意識には至っていないわ。
ロビン:まだ集合意識に至らないのはなぜなのか、ということ(笑)。
一番わかり易いのは101匹目の猿の話。ある島にいたある種族の猿に特殊な能力が芽生えた時、世界の全ての島にいた同じ種族の猿たち全部が突如として同じ能力に芽生えたという観察研究結果だ。つまり、猿同士を介するというモデル学習無しのレベルで、何かが伝達された。これは人間が持っている能力についても同じで、それは集合意識と云う形で顕れる。
つまり、もし私が自分の内面で成し遂げたことがあれば、同時に私は高次元の意識領域(フィールド)にアクセスすることになり、私は自分に可能になったことをその集団意識へとアップロードする。そしてその領域(フィールド)に意識的にアクセス出来る人々は皆、相応の情報と能力をダウンロードすることになるのは、皆でひとつの集合意識領域(フィールド)の中にあるから。
そして、そのことを我々人類は知らなくて、別々にそのことを体験すると思っているので、この教育システム全体が機能すべくして機能している。人類は、何かを学びたければ、情報とエネルギーは「外から取り込むもの」だと思いこんでいる。しかし、我々全員が繋がっている集合意識領域との直感的な結びつきというのが、実は人類が互いに伝達しあったり、世代から世代へと伝承したり、何かを学ぶための原初的な方法だった。
ライナー:例え話だが、オーストラリア出身のアメリカ人、沢山の著作を書いたリリー・ブレットと云う78歳ぐらいの女性を知っている。彼女の両親はアウシュヴィッツで酷いことを体験し、驚くべき形で生き延びたが、娘にその話はあまりしなかった。しリリーは後になって、父とポーランドに行き、話を聞いて識ることになったが、何も知らないときから両親と同じ恐怖を感じていた。
これを物理学的に説明するには物理学者・数学者のバリー・トラウワーとのインタビューに言及するが、彼は学者だが、いや学者だからこそ、「合理性のみでは到達できない限界」があることを知っていて、「我々の身体から振動周波数が放出されていることは証明されているが、その身体をとりまく周波数は、地球と宇宙全体を通っている周波数とシンクロ状態にあらねばならない。これがちゃんと機能していれば、コミュニケーションも取れる」と言っていて、つまり彼は「偉大な知識ネットワーク」に繋がれるということを仄めかしていた。
私はそれを信じられる。もちろん、合理的思考の法律家としては信じられないが、限界にぶち当たった時は、それ以外の説明があるということだ。その意味で、私にはその『領域(フィールド)』がある、というのは信じられるね。誰だったっけ?ルパート・シェルドレイクかな、「形態形成場(morphogenetic field)」を唱えたのは?これと同じ「フィールド」のことかな?
ロビン:その通り、それが私が話している「フィールド」のこと。
そして、今君が話してくれたことは、「世代を超えた後成学(transgenerative epigenetics)」でも説明できる。後成学というのも科学的に証明されている。世代から世代へとものごとは遺伝する。トラウマなどが遺伝するんだ。世代をどれぐらい遡ってトラウマ的体験が我々に蓄積されるのかを総計算すると、我々が現社会でいる場所が説明できる。私たちが体験してきた多くのことが、後成学的に継続されているからだ。
そこで、我々がやはり考えていくべきことは、どうやってこの感情・思考のうずまく濃いフィールドから抜け出て、自分を内面的に建て直して高次のエネルギー領域と繋がるのか、ということ。
ライナー:理にかなっているな。しかし、そのためにはそういうことがあるということ認識すること、そしてその認識をもって、巨大な知識から吸収するための可能性を得ることだ。
ロビン:そして、それは思っているよりも簡単なんだ。
私たち全員、直感的にアクセスできる能力がある。知覚能力の拡張をちょっと訓練すれば、誰でも出来る。誰でも、高次の意識フィールド、その永遠のエネルギー&情報フィールドに直接に繋がれる。
問題は、「どうやって自分の内面を整理すれば、そこへ繋がる管がきれいに通るのか」ということで(皆が頷く)、それこそが、私たちの本来の課題。自分たちの意識、そして知覚能力を成長させ、成熟させるのか、ということ。
ライナー:これは、全体のバランスとしてポジティブなメッセージだ。
君は、「実際にはもう、黒幕はいない」といった。しかし、まだ舞台上で続いていることを、よく見極め、賢く対応していかないといけないということだ。そして、運が良ければその高次の意識レベルにも至れるらしい(笑)。このことは、多大な人たちが常に伝えてきた。インドのヨギとかは象徴だ。
ロビン:そう、この世にはまだまだ、我々が発見していないことが沢山ある。条件付けのプログラミングを受けたマインドでは、まだ想像もつかないことが。
単に、心を開いて、発見することを楽しみ、好奇心をもって探求していくんだ。
ダグマー:そして、ロビンはやっと29歳になったばかりなのよ(ライナー、爆笑)、想像できる?驚かされるわよね。
ロビン:それは僕の身体の年齢だからね(笑)
ライナー:私もそんな印象を受けているよ。君の裏には何か別のものが隠れている(笑)。君の悟りは、その肉体での経験から来ているものではなく、君の背景にある、他のところでしてきた経験のはずだ。
とにかく、我々は君との対談で大きく前へ進めた気がする。思考世界と感覚の増補、というだろうか、それが必要だという事実だ。これが決定的だ、と私は理解した。つまり、これまで「プログラミング」として私たちが吸収してきたこと − 教育、法学、医療と言った「教養」とか呼ばれているものも、それに含まれる − をそのまま利用して先には進めない。 今、新しい方法を考えないといけないし、それをやろうと思う。
ロビン、まだ何か私たちに言っておきたいことは?気をつけるべきこととか。どう反応すべきかとか、なにか情報とか。
それとも、全体像はこれでいいのかな。もちろん、細かいことはキリがないだろうが…
ロビン:多くの分野をシェア出来て、全体像を話せたと思う。
そこで、常に繰り返し思い出しておくべきことがある:舞台上で演じられていること、それは集合意識が顕現されたものだということ。私たちが自分のエゴから集合的に創り出したものなんだ。
どういうことかというと、多くの人々が「自分自身の中」で戦っている、戦争を行っているんだ。私が自分自身の中で戦争を推進しているわけなので、そんな中、否応なしに集合レベルで起こることは何だというのだろうか。
大宇宙としての「舞台」が、我々の前で上演するのは、我々の小さな内部で起こっていることが、歪んだ形で拡大され、強調されて映し出されているものだ。
我々の課題とは、自分自身の意識状態の整理から始めて、修正、統合、変化へと働きかけることなんだ。これをやっていけば、自動的に道は開かれていく。
ライナー:ふむ。理にかなっているな!
やあ、ロビン、もう疑問は残っていない。またでてくるかも知れないが、君とは次のチャンスがあるだろう。今はやりかけのことがあって、良い方向へ進んでいる。このコースを維持することになるだろう。君のサポートも極めて重要になりそうだ。
とりあえず、ありがとう!とても素晴らしかったよ。
ロビン:僕からも、お礼を。
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