恐らく死ぬまで忘れない話

https://www.buzzfeed.com/jp/sayakainai/mami-san

Twitterのおすすめ欄で出てきたので読んだ。
子供の性被害、特に子供から受けたそれはかなり軽く見られがちだと思う。
そういうのを大人が諫めて行かねばならないのだけど、
子供の悪戯だし…と目を瞑られるのがほとんどだ。

幼少期の苦い苦い思い出の話

隙あらば自分語りしていくスタイル。
というわけで、私も幼少期に受けたあれやそれやの話と、
被害を訴えられた諫めるべき立場の大人がどういう対応をとったかを書いていきたいと思う。

幼稚園

地元はほぼ平地が存在しない山に囲まれた土地で、
その幼稚園もそこそこ高い山のてっぺんに存在していた。
カトリック系の幼稚園で、遠方から通う信者の子供達と
近所だからここに行くべ。と徒歩で通学する地元の悪ガキが混在していた。
勿論私は後者だ。
今思えばとてもじゃないが穏やかでいい園児が集まる幼稚園とは言い辛いメンツだった。
入園児に既に大きな悪ガキ派閥とスクール(幼稚園だが)カーストができていていた。
カトリックの信者さんは年少から、そうでない地元民は年中から入園するのがお決まりのようで、
信者派閥と悪ガキ派閥が完全に出来上がっていた。
信者でもなく悪ガキとのツテもない私を含めた数人は完全に孤立した存在になっていた。
(後に大人になって知った事だが、悪ガキ派閥はいわゆる某学会員のグループだったそうで、
子供を園に送り届けた後近所の学会員の家に集って子供たちが下校する時間までお茶会や食事会をしていたそうだ。
そら結束も強いわな。と妙に納得してしまった。)

悪ガキグループのボス、Wという女の子がいた。
片岡鶴太郎にそっくりな顔をしていて、髪の毛は昔の工藤静香。親の趣味だ。
とにかく口も達者で手を出すのも早い。彼女は途端に悪ガキグループだけでなく信者グループまでも屈服させた。
彼女はAという一人の女の子に固執していた。
正確は穏やかで背が高く面倒見がいい。W以外にも彼女の周りには常に彼女と遊びたがる園児がいた。
WはAを独り占めしたかったのだろう。彼女に近づくすべての園児を拳と口撃で追い払った。
Aと家が近所だからと遊んでいた私も、ある日クラスの男児たちに囲まれ、袋叩きにあったらしい。ボコボコに殴られ蹴られ暫く園のエントランスに倒れていたと聞いたが記憶がない。

Aに近づかなければWや男児一派からこういった攻撃に遭う事はない。
しかし問題が一つあった。下校の時間である。
山のてっぺんから延々と急な下り坂と100段近くある階段を下り大通りで車やバスで通園する信者グループが分かれるまで
集団下校をしなくてはならなかった。
みんな仲良く二列に並び、隣のお友達と手を繋がなければならない。
列は男子、女子と交互に並ばなければならない。
これが毎日憂鬱で仕方がなかった。
Wはクラスの一番後ろでAと手を繋いで帰る。

そしてこう指示するのだ。「女子のスカートをめくってパンツを降ろせ」と

制服のスカートは膝丈だった。
片手は隣の園児と手を繋ぐため塞がっており、もう片手で必死で守ろうとしてもスカートはあっけなくめくられ、下着はずるりと降ろされる。
急な下り坂で脚の自由が奪われ、女子たちはみんなアスファルトに転がった。
毎日擦り傷を作り、階段を転げ落ちそうになりそれでも大人は守ってくれなかった。
先生たちは「あらあら男子ったら」とくすくす笑い、
親たちも似たようなもんだった。
ならばと園長先生に泣きながら抗議に行ったこともある。
しかし返ってきた言葉は

「あなたたちがキャーキャー騒ぐから男子が興奮するのよ」
「そんなに悔しいなら男子のズボンを降ろしてやりなさい」

だけだった。
女子の制服と違い、男子はサスペンダーでしっかりと止めてあるので
先生の言った通りズボンを降ろしてやろうと頑張った女子もいたがびくともせず、そこに気をとられている間に背後から違う男子にパンツを降ろされ
結局女子は毎日アスファルトに転がされるしかなかった。

結局それは卒園して各々が違う小学校へ進学するまで続いた。
先生は何を言っても助けてくれない。と学んだ。
卒園してしばらくたったある日、Wの指示に従って私を袋叩きにしてエントランスに転がしたり、スカートめくりをしていた男子の中の一人から
「あの頃俺はお前が好きだったんだ。」と突然言われた。
好きなのにどうして危害を加えたり辱めたりするのだろうかと不思議でならなかった。
その男子に何と答えたのかは覚えていないが、その後はできるだけ関わらないようにと必死で避けて生きた。
その後その男子は身長が伸びスポーツの才能に目覚め、
学年や後輩たちのあこがれの的となる。
私はみんな見る目がないなぁ…と冷めた目で見ていた。
風の噂で聞いたがその男、現在×2だそうだ。
まぁそうだろうね。と言う感想しか出てこなかった。

小学校

学級崩壊に近いような状態の私たちを受け持ったのは新任の若い男性教師だった。
何かあれば怒鳴りつけ、学級会では一番の悪ガキたちに木の棒を持たせて教室を巡回させ、
少しでも身じろぎしたりすれば殴られる、そうでなくても彼らが気に入らななら殴られる。
先生からあいつをやれと粛清の指示が飛ぶと彼らはにやにや笑いながらやってきて粛清をする。時には先生の指示なく独断で暴力をふるう事もあった。それを平然と許すようなとんでもない教師だった。
私も学級会での話をメモに取っているのを見咎められ(おそらく落書きか何かをしているとでも思われたのだろう)顔面を木の棒で殴打され鼻血を出して昏倒し保健室に運ばれたことがある。
保健室の先生は「あなた達のクラスの子が保健室に来た時理由を聞いたら「殴られた」とか「突き飛ばされた」って言う子が多いけどどういうこと?」と面倒くさそうに聞いてきただけで、正直に理由を話しても特に事態が好転することはなかった。
給食は時代を先取りして個食(机を目いっぱい離して一言もしゃべってはいけない)だった。
少しでも喋り声や食器の音を立てると木の棒で殴打された。

ある日のこと、移動教室から帰ってきた私に飛び掛かってくる男子がいた
木の棒で私を殴ったFだった。
彼は私の胸を掴みぎりぎりと強い力でもみくちゃにした。
ぱいぱいもみもみ!!!と絶叫するのでクラスみんなが私たちの方を見た。
やめてくれと振りほどく。げへげへと笑うFから遠くへ逃げ、廊下の隅で
あまりの衝撃と恥ずかしさ、どうして私がこんな目に遭わねばならないのだという理不尽に耐えかねて泣いていると、Fが追いかけてきていた。
逃げねば。と思ったけれど足が竦んで動かない。
気持ちが悪い。目の前の男子が化け物に見えた。
Fは両手をがばっと開き今度は私の尻をがっしりと掴む。
おしりもみもみ!!!!と廊下中に響き渡る声で絶叫する。
今度は他のクラスの人たちも何事かと出てきて私たちの方を見る。
やめろと叫んでようやく動く足を必死で動かしてトイレに逃げ込んだ。
そこから次の授業が始まっても私は教室に戻ることができなかった。
当時、私のランドセルにつけたキーホルダーやペン、消しゴムなんかが次々と消えていた時期だったので先生はおろか同級生も友人と思っていた人たちですら信じることができなかった。
とにかく人の気配がなくなるまでこの鍵のかかる個室で息を潜めていることしかできなかった。

キーホルダー事件等で私は「なんかすぐに泣く面倒な女」として名を馳せていたようなので、おそらく「いつものことか」と思われていたのだろう。
幸か不幸か誰も私を探しに来る気配のないまま掃除の時間が終わり下校のチャイムが鳴る。
トイレ掃除の人たちが来た気はしたが、鍵をかけて閉じこもっている個室をこじ開けようとする人はいなかったし、そこまでして掃除を完遂しようとする真面目な生徒は存在しなかったので私は存分に引きこもっていられた。
遠くで吹奏楽部や、サッカー部の練習の音が聞こえだした頃、ようやく私はこっそりとトイレの個室を抜け出した。
ランドセルをとりさっさと家に帰ろう。できれば下校途中に車が私を轢いてくれたらいいのに。そう思いながら教室の引き戸を開けると、
中には担任が待ち構えていた。

「Fはお前の事が好きなんだそうだ。」
「セックスって分かるか?キスをしてセックスをしたいくらいにおまえのことが好きなんだそうだ」
「だから許してやってくれないか」

担任は大まじめにそういう事を言った。
他にもお前は生理が来ているそうだからセックスくらいわかるだろう。
もう子供を産める年なんだから理解してやれ。という内容を言われたように思う。
私はどうやってその場を抜け出したかわからないが、気が付いたら家にいた。
首を縦に振ることは決してなかった。
なぜ私が生理が来ていることを担任が知っているのか?
それは過去に持ち物検査をした際、ランドセルと一緒に持ってきていた手提げかばんから
ナプキンが出てきたことで知れ渡っていたからだ。
担任は「学校にこんないやらしいものを持ち込むな」とニヤニヤしながら
私の予備のナプキンをお気に入りの男子生徒に配ったし、
男子は壁に粘着面をくっつけたり引き裂いて綿を出して遊んでいた。
一部の頭の回転がいい子が他のクラスの女性の先生経由で抗議をしてくれたのでその後の持ち物検査でナプキンが出てきてもそういう目に遭う子は出なかったと記憶している。

Fとはその後ろくに会話もしなかった。ブロッコリーのような天然パーマを見るだけで気持ちが悪くなり徹底的に避けた。
私を好きだと言うのも本心かどうかわからないし、もし本心だったとしても
好きだから体を触っても構わないと考えてしまう脳みそが気持ち悪くて仕方がなかった。お前が私の事を好きだとしても私はお前がこの世で一番嫌いだよ。
もしこの話が生徒たちにも知れ渡っていたのなら
Fはあなたの事が好きなのだからもっと優しく、仲良くしてあげてとおせっかい焼きな仲人タイプの人間が騒ぐのではないかとも思ったがどうやら広がってはいなかったようで安堵した。
更に元々Fは素行も悪く、下品で暴力的なのでクラスの女子の大半は彼を嫌っており
どうしてFを避けるのかと聞いてくるのは担任だけだったので
担任からも徹底的に距離をとり残りの期間を必死でやり過ごした。
その後進級と同時にFは家庭の都合で転校し、
担任も変わり、元のついた担任も数年後には他所の学校に転勤になっていた。
当事者はもう近くに誰もいないのに、私は一人傷を抱えたままでいた。

大人になってたまたま見ていたローカルニュースで
当時の担任が教育委員会に入った上に教育論みたいなものをドヤ顔で語っているのを見てしまい
私はトイレの個室に駆け込んで盛大に吐いた。
あんなに歪んだ説教をした人間が教育委員会で教育を語っている事実に打ちのめされた。

中学生

自家用車が新車になった。
買い替える予定ではなかったが、当時乗っていた珍しい色の車を
たまたま見かけてどうしても欲しいと食い下がった顧客がいたそうで、
そっちの客に貴方の車を譲ってください。とD社に頼み込まれ
譲ることとなり(この時点でなんかおかしいとは思う)
その代わりに全く違う車種の車を買う事となった。

D社から自宅まで試乗も兼ねて家族全員で車って帰宅した。
その際に私は眠ってしまっていたらしく、気付いた時にはほぼ初対面の担当男性と私の二人きりになってしまっていた。
私の家の車庫が当時の車が入るギリギリの広さで体の大きな大人は車庫に入る前に車から降りなければ出られなくなってしまう為先に降りたのだ。
目を覚ますと私と見知らぬ男性しかいない(運転席と後部座席という離れた位置ではあったが)事にパニックになり、
そんな私を窓越しに「やっと起きた」とニヤニヤしながら見ている両親を見てさらにパニックになった。なんで起こしてくれなかったの。
後部座席で回りを見回す私を見て担当が
「お嬢さん今からおじさんとデートに行こうや」
とニヤニヤしながらこちらを見た。
単に冗談を言っただけだ。
しかし私の頭に過ったのは先述のFの事だった。

私なんかをデートに誘う人がまともな人なわけがない。
このまま連れ去られて嫌な事を沢山されるかもしれない。
見知らぬ土地に放り出されて置いていかれるかもしれない。
もうパニックどころじゃない私は徐行で車庫に入ろうとしている車のドアを開けて飛び出そうとした。
閉まっているロックを解除する音で私が外に出ようとしているのを察知した両親は
「何をしているの!!中に入っていなさい!」と怒鳴りつけた。
身の危険を察知して逃げようとしているだけなのにそれすら許されない。
と私は泣きじゃくった。
その後納車を終え担当が帰った後も
どうして車のドアを勝手に開けて飛び出そうとしたのか。
お前のせいで新車のドアに傷がつくところだった。
担当さんもお前が泣きじゃくって困っていたぞ。と延々なじられたが
両親すらも私を守ってくれないのだと私は一人で絶望していた。

今でも私は画面の向こうの存在こそ好きになれど
現実世界、私の近くで生きている人を好きになることができない。
自分が異性を好きなのか、同性を好きなのか、無性の人を好きになるのか、
そもそも誰も愛せないのか、それすらわからない。
他人に触れられるのが怖いし心底気持ちが悪い。

私に好意を向けてくれる人は今まで何人か存在したが
私なんかを好きになる人がまともな人なわけがない。
向けられる好意がただただ恐ろしくて、そうと分かるとすぐに逃げた。
私はまだあのアスファルトの上やトイレの個室の中に取り残されたままなのかもしれない。
あの時、少しでも大人が相手を叱ってくれたなら、少しは違っていたのだろうか。
ナプキンの件で元担任に抗議してくれた他のクラスの先生のような人がもう少し傍にいてくれたなら違っていたのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?