甘美なる声のバレ・マク・ブアン
ルドラゲの息子ロス、その息子キンガ、その息子カパの三人の孫とはブアン、フェルコルブ、モナハだった。
すなわち、それぞれダール・ムアン、ダール・クルブ、そしてアラドのモナハの祖である。
ブアンのたった一人の息子がバレだった。
彼は海のフェルグスの息子のルガド(あるいはダス・イーの息子エオガン)の娘のアリンの特別な恋人であり、そして彼の物語りが評判となって、彼は男女隔てなく見聞きした者の全てに特に可愛がられていた。
彼とアリンはブレガのボイン川の南岸のラン・マルドゥブのロス・ナ・リーで逢瀬の約束をした。
バレは彼女に会うために北から、エウィン・マハからスリアヴ・フュアドを越えて、ムルセヴネを超えてバレの半島(現在のダンドーク)へ来た。
ここで彼らは戦車の軛を取り外し、馬に草を食ませにやって、楽にさせてやった。
そこにしばらくいると彼らは恐ろしく怪しい人物が自分たちのほうへと南からやって来るのを見た。彼の足取りは粗暴かつ素早かった。
大地を駆けるその様子は崖からの鷹の急降下、あるいは碧海から吹く風に比せられうるだろう。
彼の左側には陸地に向いていた。
(※アイルランドの東岸が舞台なので北上していたということです)
彼はどこへ行くのか、どこから来たのか、どうしてそんなに急ぐのかを尋ねるべくお会いしたいものだ、とバレは言った。
「スリアヴ・スジェ・ラゲン≪レンスターの座の山≫から、北へ今、トゥアグ・インヴィル≪バン川の河口≫へ私は行く。
ブアンの息子バレとの恋に落ちてしまっている、他でもないフェルグスの息子ルガドの娘の知らせを持って。
そして万一にでもレンスターの若者たちによって彼女が襲われて監禁されて殺されてしまうその時までに彼に会おうとしている。
それというのも、ドルイドたちが予言して、彼らに良い予知がもたらされている。
彼らは生きている間に交わることはないが、死んだ後に交わり、その後永遠に分かたれることはないだろうと。
これが私の知らせだ。」
そして彼が碧海の突風のように飛び出していって、彼らは引き止めることができなかったのだった。
バレがこれを聞くと死んでしまって、墓と円い土塁が築かれた。
墓石が建てられて、慰霊祭がウラドの者たちによって開かれた。
そしてイチイの木が墓を貫いて育ち、その頂きにバレの顔の形が見えるようになってそこはバレの半島と呼ばれるようになった。
その後、同じ男が南へ、乙女アリンのいる場所、日の当たる小部屋に行った。
「見知らぬお方、いずこから参られたのでしょう」
と乙女は言った。
「エリンの北半分、トゥアグ・インヴィルからここを通り過ぎてスリアヴ・スジェ・ラゲンへ行くのだ」
「何か知らせはあって?」
と乙女は尋ねた。
「興味をそそるような知らせではないが、私はウラドの者たちが慰霊祭を執り行っているのを見た。
バレの半島で土塁を築き、石を積み上げ、ウラドの王位継承者、ブアンの息子のバレと名を刻んでいた。
彼は愛を捧げた最愛の女性に会いに来る途中だったのだ。
彼らは互いに生きて会うことも、姿を見ることもないと運命づけられていたのだよ」
彼は悪い知らせを伝えると飛び出て行った。アリンは命を落とし、彼女の墓が築かれた。
それから林檎の木が墓を貫くように生えて七年経って大樹に育ち、頂上はアリンの顔の形になった。
七年経って、詩人と予言者と幻視者がバレの墓の上のイチイの木を切り倒し詩人の文字版を作り、彼らはアルスターの未来像や賛辞、睦言、求愛について記していった。
アリンの木も同様に切り倒され、レンスターの求愛について記されていった。
サウィン祭が始まり、それからコンの息子アルトによって祭祀が執り行われると、詩人たちや全ての学識者たちが祭に参加して、慣例の通りに、彼らは自分の文字版を持ってきた。
そしてあの文字版もそこに持ち込まれていた。アルトがそれらを見て持ってこさせた。
二つの文字版が持って来られ、彼はそれらの面を突き合わせるように手に持った。突然、その一つの文字版がもう一つに向かって撥ねて小枝に絡む蔓草のように一つになった。そしてそれらを離すことはできなかった。
それはエンダの息子ドゥンラングに燃やされるまで、つまり彼がタラで王女たちを焼いた時まで、タラの宝物庫の他の宝と同じように保管された。
詩に曰く:
高貴なアリンの林檎の木、
バレのイチイの木、ささやかな産物
それらは詩に謳われているが
無学な人々には理解されていない
そしてコンの孫コルマクの娘曰く:
私がアルウェに喩えるものは
バレの土塁のイチイの木。
私がもう片方に喩えるものは
アリンの林檎の木
ローナンの息子フラン曰く:
コルマクに正大な感覚で決めさせよう
その故に彼は大勢に羨まれる
彼に思い出させよう、輝かしい聖人、
ブアンの息子バレの半島の木
その下で同胞たちが競技することができる樹木が育った、
彼の顔の形をその樹冠に現す、
彼が裏切られた時、真実が裏切られた、
それは彼らがコルマクを裏切ったのと同じ手口である。
解説
甘美なる声のバレの物語のモチーフはディアドラとノイシュの物語「ウシュナの息子たちの放浪」と共通しているようです。二つの物語にはいくつかの共通点があります。つまり、ドルイドにより不吉な未来が警告されていること、恋人の仲が引き裂かれる悲恋であること、恋人の男性は歌が上手く人に好かれること、二人の死後に墓地に木が生えること、木が絡み一つになること等です。
また、コナル・ケルナハによるレンスター王メスゲグラの殺害の折に、メスゲグラの妻ブアンは夫の後を追って戦車から身を投げて自殺してしまうのですが、彼女の墓からはハシバミの木が生えました。仇の戦車から身を投げて死ぬというのはディアドラの死と共通する点ですが、一方でブアンという名は甘美なる声のバレの親の名前でした。
ブアンのハシバミは他の物語にも表れます。コルマク王がマナナーン・マク・リールに宝の代償として奪われた妻を取り戻そうと追いかけた霧の中から突然現れた屋敷には泉があり、その泉の近くには9本のブアンのハシバミが生えていました。ハシバミは鮭のいる泉に実を落としていました。
このハシバミは神話的によく使われるモチーフです。泉のほとりに生えているハシバミの木から落ちる実を食べるのは智慧の鮭です。
この泉とハシバミと鮭に関連付けられるのが女神ボアンです。ボアンの泉は秘密があってそれをボアンの夫のネフタンが見てしまったと言われているものの秘密がなんだったのかは伝承では語られないのですが、その秘密がハシバミの実と智慧の鮭であると推測されていおり、様々な伝承の関連から見ても特に異論はないと思います。
甘美なる声のバレの物語でバレの墓から生えるのはイチイで、アリンの墓から生えるのはリンゴの木ですが、共通するモチーフについては念頭に置いておくべきでしょう。もしかすると死後に生える木が一種の生まれ変わりであると考えられて、神秘的な智慧と結びつけられたのかもしれません。
また、詩人としての特徴を持つ者やドルイド等の知識人が多く登場します。このことも甘美なる声のバレの物語は悲恋だけではなく、智慧の物語でもあることを暗示しているように思えます。
さてバレの恋人であるアリンの祖父、海のフェルグスは先述のメスゲグラと同時代、アルスター伝説の人物です。ですからバレとアリンが生きていた時代はアルスター伝説に近いでしょう。
そしてバレとアリンが死んで木になり、書字版が出来上がるアルト王の時代にはフィアナ伝説のフィン・マックールが活躍しています。そしてアルト王の息子のコルマク王の時代になると、宝物として保管されていたバレとアリンの書字版が焼けてしまいました。
それはエンダの息子ドゥンラングに燃やされるまで、つまり彼がタラで王女たちを焼いた時まで、タラの宝物庫の他の宝と同じように保管された。
ドゥンラングはコルマク王の舅であり、レンスター王でした。彼がタラのクルアン・フェルタで多数の王族女子を焼き殺した時、バレとアリンの文字版は王女たちと一緒に焼けてしまったようです。
異教の時代のアイルランドでは女性が未婚に生涯をささげていた。
タラには、王家の血を引く処女以外は誰も入ることができないという類の王家の聖地があった。
そこはクルアン・フェルタ≪墓の野≫と呼ばれていた。彼女らは初めに誓願を立てた時から屋敷の敷地から出なかった。
これらの処女たちの義務は、ベル(太陽)とサウィン(月)の火を絶えず燃やし続けることであり、これはフェニキア人の祖先から借りた習慣だった。
エンダの息子ドゥンラングは、同じように見捨てられた多くの哀れな人たちと共にこの禁足地に侵入し、処女を冒涜することができなかったので、彼らを剣で撃ち殺した。
コルマクは主犯らを死刑にしただけでなく、彼らの後継者たちに毎年同じ色の子牛を連れた白牛30頭を、これらの牛には30頭分の真鍮製の首輪と、乳搾りの間に静かにさせるための30本の鎖をつけてタラへと送り送るように命じた。
こちらはジェフリー・キーティングの「アイルランド史」の脚注から引用したものです。ドゥンラングが王女たちを剣で殺したその後、おそらくクルアン・フェルタで守られていた聖火でなにもかも焼けてしまったのでしょう。
なぜドゥンラングがこのような凶行をしでかしたのかは語られません。ですがおそらく、レンスターに課せられた税である「牛の貢納」が関係があります。
この「牛の貢納」の伝説は往々にして王女の死が伴います。例えばレンスターの書の牛の貢納に関する一連の伝説では、トゥアサル・テクタウァル王の伝説では彼の娘たちがレンスター王によって死に追いやられたことのつぐないとして牛の貢納を要求しました。
ところで、コルマク王の娘がバレとアリンの書字版について詩を作っていますが、このコルマク王の娘とはアルヴェという名前の王女のことだと思われます。
アルヴェは知的な女性であり、フィン・マックールの妻となる王女でした。彼女は様々な伝承に登場します。例えば先に述べている、コルマク王の冒険では、マナナーン・マク・リールが最初にコルマクから奪う家族とはアルヴェのことでした。このようにブアンのハシバミとつがなりがあるわけです。
そしてさらに、レンスターの書にはアルヴェの作詞とされる興味深い詩が掲載されています。その詩は「ルウ・ラネの寒い日/Úar in lathe do Lum Laine」と呼ばれているのですが、下記の通り甘美なる声のバレの詩と酷似しています。
ルウ・ラネの寒い日
Is fris samlaim Lom Laine
fri ibar Ratha Baile;
fritotsamlor a Thethna
frisin abaill a hAle
甘美なる声のバレ・マク・ブアンの物語
Es fris samlaim Aluime,
fri hibor Traga Baili,
fris combaroim aroili,
frisan abaild a hAili.
ルウ・ラネの寒い日という詩はコンの孫の娘テスナと彼女の恋人ルウ・ラネにまつわる内容なのですが、ルウ・ラネは明らかに詩中の半分の衣服という語をもじって作られたあだ名です。一方でテスナの父親はコンの孫であり、タラの王です。コンの孫の中でタラ王になったのはコルマクのみなので、詩の作者アルヴェは彼女の姉妹とその恋人について歌ったということになりそうです。実はテスナとルウ・ラネとはそれぞれグラニアとディルムッドの偽名・仮名ではないかとマーイリーン・オダリーが指摘しています。
ルウ・ラネには寒い日、
半分の衣服に身を包み喜びを追いかける、
コンの孫の娘にも寒い、
彼女は髪を満杯のたらいで洗う。
ルウ・ラネに喩えるのは
バレの土塁のイチイの木、
彼のテスナに喩えるのは
アリンのリンゴの木。
背の高いアリンのリンゴの木、
小さい土地のバレのイチイの木、
彼らは詩に歌われていても
無知な人々は彼らを理解してはいない。
ルウ・ラネに喩えるのは
ドリグネンの牡鹿、
彼のテスナに喩えるのは
ドリグネンの尾根の雌鹿。
ルウ・ラネに喩えるのは
ハシバミの白い枝、
彼のテスナに喩えるのは
ミルクの上澄みの暗い影。
ああ、ルウ・ラネ、あなたはブランの川のレク・ダ・べルグ≪勇士の二つの墓石≫まで来てしまいましたか。
私はフェルタ・マゲン≪墓の野≫※1まで来ました、
東に位置するスジェ・ラゲン≪レンスターの座≫※2の近くに。
ああ、ルウ・ラネ、私を前に行かせようとしないで
吠えたてるばかりの犬※3に捕まらないように、
もしルガドの砦の墓石がなかったのなら
エン・ビク・バレ≪幻の小鳥≫※4がいたのだろうに。
北のタラの王の娘、
私のつつましい望みは心からの愛。
私が心から愛するのは、冷たいアルムの若い戦士。
ああ、ルウ・ラネ、私を前に行かせようとしないで
あなたは強大な勝利者、軍勢の太陽、
私たちの行く道がこのようであるならば
私たちに死が訪れる日※5が来るでしょう。
※1 Ferta Maghen 墓の野の意味で、甘美なる声のバレ・マク・ブアンの物語に出てくるクルアン・フェルタと同義。
※2 Suidhe Lagen レンスターの座の意味。レンスター人の集会場と予想される。甘美なる声のバレ・マク・ブアンの物語にもあらわれており、山地のようだ。
※3 meschoin muaid 苛立たせる(無力・不毛な?・吠える)子犬が原義だが、eDILでは嫉妬深い夫の暗喩としている例を挙げている。また、ディンシェンハスではネフタンの妻の女神ボアンの子犬について言及されるが、先述のことを踏まえるとこの小犬がボアンの後を追っているのは実のところ浮気の監視をしているのかもしれない。仮にテスナとルウ・ラネがグラニアとディルムッドのことだとすれば、この犬はフィン・マックールの暗喩だろう。
※4 eoin bic baile 幻視の小鳥の意味だが、女神ボアンの子であるオェングス神はスコットランド伝承において恋人たちにキスをして、彼のキスは見えない小鳥になって別れた恋人たちに互いの家に行くまで愛の思い出や歌をささやくと言われることに注目したい。また、ディンシェンハスでも同様にオェングスのキスが鳥になりささやくという記述がある。
※5 úar 寒いという意味でつかわれるúarであるが、時間・期間も意味する。ルウ・ラネの寒い日という冒頭の語句は詩の最後になって最後の日を暗示していたと判明する。
ここでブアンの息子バレについて再度、考えてみます。ハシバミや泉と鮭の伝説からブアンはボアンの変名であるとすれば、バレとは幻視という意味なので、女神ボアンの息子オェングスの幻視の小鳥に通じるものがあります。ディンシェンハスではオェングスの幻視の小鳥はドルイドの術によって木に封じられることになりました。この逸話はバレが死後木になったのと同類であるとみなせます。
このように「甘美なる声のバレ・マク・ブアンの物語」「ウシュナの息子たちの放浪」「ルウ・ラネの寒い日」などの物語や、女神ボアンとオェングスの伝承は所々でモチーフを共有する関係にあるのがわかると思います。
思いがけず恋人たちの伝承の深掘りをしてしまいましたが、いかがでしたか。ケルト神話を楽しむ一助となれば幸いです。
出典
Eugen O'Curry, Lectures on the Manuscript Materials of Ancient Irish History, Dublin 1861, 465–468.
Keating, Geoffrey , Comyn, David (ed.1898), Díonḃrollaċ fórais feasa ar Éirinn (1634)
Stokes, Whitley (ed. and tr.), “The Bóroma”, Revue Celtique 13 (1892): 32–124, 299–300.
O Daly, Máirín, in: Carney, James, and David Greene (eds) , “Úar in lathe do Lum Laine” , Celtic studies: essays in memory of Angus Matheson 1912–1962, London: Routledge, 1968. 99–108.
Stokes, Whitley (ed. and tr.), The Prose Tales in the Rennes Dindshenchas