フィアナ伝説:英雄アサル
聞いたことない…
というのがほとんどの人の思ったことだろう。しかしマイナーなわりに色々なところで活躍しており、また、その人物像も面白そうなので取りまとめようと思う。同時代に何人かのアサルが登場するが、おそらく同一人物か、モチーフを共通させているのだろうと思われる。ここでは英雄アサルの実績などにスポットを当てていきたい。
五つの王の道の発見
百戦のコンという高名なアイルランド上王が誕生した時に、「五つの王の道が発見された」という伝承が存在する。その一つが、コノートの中心地であるクルアハンからミースのタラに至る道であり、発見者である「ドルドヴラス<Dordomblas>の息子のアサル」にちなんでアサルの道と名付けられた。しかしこのドルドヴラスは人名ではなくアサルの性質を示すものかもしれない。なぜなら「五つの王の道」に関する詩「Búaid Cuinn, rígróit rogaidi」の中でアサルについて以下のように讃えている。
Asal, emer úr-ocbaid,
dóenda, doír, domlasta,
úais a rót, rán, rogarma,
dia ronsénsat síthberga
hi féil na Fían fuineta.
アサル、花崗岩の如き輝かしい若い戦士
定命で、不自由で、苦々しい、
栄光ある偉大な名付けの道の高貴なる者、
妖精塚<シイ>の略奪者が彼に魔法をかけた時、
西のフィアナ騎士たちの祭りで。
つまり、不自由で苦々しい、といった意味のdoírとdomlastaを組みあわせた言葉がドルドヴラスではなかろうか。そして不自由で苦々しい若者アサル、という意味になる。
なお、道の発見者であるアサルの敵対者は他の伝説ではミース地方のディーベルガ、単なる略奪者としているが、この詩では妖精塚の略奪者として異界と魔法の干渉を暗示している。<dóenda>を定命の、と訳したが、これらの性質は妖精と対比されているのかもしれない。
マグ・ハガの戦いの勇者
百戦のコンの先代の上王はカサール大王であった。百戦のコンが下剋上するにあたって、行われた決戦がマグ・ハガ<Magh hAgha>の戦いである。互いに引けを取らぬ両雄は一進一退の戦いを繰り広げ、一度は百戦のコンは手傷を負ったものの、ついに激戦の末に勝利を手にするのである。
この戦いにおいて、アサルは功績を挙げたことがCoir Anmannで知られている。
Eochaid Cupa, son of Catháir, why was it said of him? Not hard. In the same battle a combat took place between him and Assal Échtach son of the champion. Assal wounded Eochaid seriously in the combat, and a wave of foam of the blood of his body came through his battle-garb. Wherefore he is called Eochaid Cupa 'Foam'.
カサールの息子のエオハド・クパ、なぜ彼をそのように言うのか?
難しいことではない。同じ場所(マグ・ハガの戦い)で行われた戦いの中で彼と鋭い勇士の子のアサル・エーフタハが一騎打ちを繰り広げた。アサルはエオハドを一騎打ちの最中に深刻に傷つけ、体から血の泡が波のように戦衣を通して流れた。それゆえに彼をエオハド・クパ(クパ=泡)と呼ぶのだ。
マグ・レーナの戦功
百戦のコンが上王となった後に、マンスター軍との戦いが起こった。百戦のコンはマク・ダトーの息子レーナに由来するという平原、マグ・レーナに進軍すると、そこで精鋭部隊を率いて先陣を務めたのが偉大なるアサルだった。そしてマンスター側は誇り高いデザに率いられた精鋭が応戦した。
さてアサルがこのデザたちを撃破すると百戦のコンの軍勢は余勢を駆って進撃し、マンスター軍に勝利したのである。
しかしマンスターのムグ・ヌアザはスペインに逃れるとその後、捲土重来を果たしてエスカ―・リアダによって分割されたアイルランド南部を支配するに至るのであった。
そして両雄並び立たずというように、百戦のコンとムグ・ヌアザは再度戦うことになる。この第二次マグ・レーナの戦いでもアサルはムグ・ヌアザの母方の祖父フランを討ち取るという功績を挙げた。なお、フランは第一次マグ・レーナの戦いで、撤退する最中に追ってくるコノート王コナルに向かって槍を投げ危うく命を落としかねなかったほどの重傷を負わせている実力者である。
アルスターでの復讐の連鎖
百戦のコンには対立する兄弟がおり、エオハド・ベルブゼ(ベルブゼ=黄色い唇)という名前だった。なお、前述のエオハド・クパとは全くの別人である。
さて黄色い唇のエオハドは百戦のコンと争って”重大な暴力事件”を起こしたものの、自力では抗しえないためにアルスターの王から支援を受けてその庇護下に入っていた。
「百戦のコンの死」「フェルグス・マク・レーティのサガ」でこのような筋書きで一致している。しかし前者では、ブレガの山で狩りをしていた黄色い唇のエオハドをアサルを含めた五人の使者が暗殺してしまう。その一方で後者では和平交渉の場で黄色い唇のエオハドをアサルを含めた五人の使者が暗殺してしまうといったシチュエーションの違いが見られる。そしてこの暗殺劇はアルスターとの抗争及び百戦のコンの死を招いてしまうのであった。
なお、保護下にある人物を無断で殺害したことへの賠償がアルスター側に支払われたのであるが、この時に実行犯の一人であるアンミレフの娘ドルンの息子は賠償を支払わなかったため、ドルンは女奴隷としてフェルグス・マク・レーティに譲渡されていた。実はドルンの息子は彼女が無法者に強姦されて生まれた子であったため、父系の血族による援助を得られなかったのだった。
そしてこのドルンこそがフェルグス・マク・レーティの恐怖に引き攣った顔の真実を明らかにした女奴隷なのである。しかし哀れなドルンは怒ったフェルグスによって殺された。
そして「フェルグス・マク・レーティのサガ」ではこの後、フェルグスが名剣カラドボルグを用いて水竜ミルドリスを打ち倒したところで終わるのだが、法文書集「シェンハス・モール」とその註解にはこの後のことが記されている。
それによるとフェルグスとの間に結ばれた協定に従い、コノート側はドルン殺害の賠償を要求したのだがアルスター側はこれに同意しなかったため、牛の強奪という形で強制的に取り立てを行った。この時に牛を強奪しにアルスターへ赴いたのがアサルだった。
アサルの素性
1.百戦のコンの息子
2.フォルマーイルのフォラナーンの子
3.ドルドヴラスの子
4.勇士の子
アサルの親は上記のようになっている。「シェンハス・モール及びその註解」、「フェルグス・マク・レーティのサガ」では1.百戦のコンの息子として説明される。これらは古アイルランド語文献である。そしてその内容では賠償や取り立てといった法的な責任について百戦のコンとアサルの間で保証や代行の関係が認められる。
「百戦のコンの死」では2.のタイプとして説明されている。
「フィンゲンの夜警」「タラの伝説集」では3.のタイプだが、おそらくこれは先述のように実際の親子関係ではなく、不自由で苦々しい若者アサルというあだ名のようなものだろう。
その他では勇士の子だと言われている。
ここで問題なのが、2.フォルマーイルのフォラナーンが誰かという点だろう。このフォルマーイル(Formáel)という言葉に由来すると見られる地名は研究では30以上もあるらしく、フォラナーンという人物についても事績が調べた限りでは伝わっていない。またフォルマーイルは荒野、岩場を示すので、フィアナ騎士団について言及する文脈では特定の地名ではなく、荒野、岩場といった狩場としての領域のことを示す場合もある。例えば、フォルマーイルのフィン、あるいはフォルマーイルの君主フィン・マックールといったような言葉にそのことは表れているのである。ゆえに、この場合にはフォルマーイルは固有の地名というより荒野という領域を示したものではないだろうか。とするならば、フォルマーイルのフォラナーンという名はアサルの性質を補完するものかもしれない。
なお、17世紀の歴史家ジェフリー・キーティングのアイルランド史ではアサルを百戦のコンの息子として数えていない。(そもそもアサルという人物について言及されない)
またアサルが「五つの王の道」を発見したタイミングが百戦のコンの誕生した時なので、アサルがコンの息子というのはありえないように思える。しかし、あくまでこれは象徴的な出来事であり時系列の整合が取れていたとは考えにくい。例えば百戦のコンが誕生した時に起こった奇跡の一つとして、女神ボアンが死んでボイン川が形成されたという奇跡が起こったと言われるのだが、百戦のコンが産まれる前から当然のようにボイン川は存在していたのである。
余談
アルスターに逃れたエオハド・ベルブゼはどのような暴力事件を起こしたのだろうか。おそらくこの”暴力事件”はエオハド・フィン・フアスアルトによる凶行と関係あるかもしれない。この事件は、韻文地域伝承によれば百戦のコンの兄弟であるエオハド・フィン・フアスアルトがコンの息子のクリナを殺害したうえでその首をタラの宴に持ち込んでアルトを脅かしたというものである。ジェフリー・キーティングのアイルランド史ではクリナに加えてコンの息子のコンラも殺害されたと記されている。
エオハド・ベルブゼとエオハド・フィン・フアスアルトが同一人物であることを匂わせているものは他にも、アルスターとの軍事的な連帯がある。
例えば、エオハド・ベルブゼはアルスター王の庇護下にあった。そしてエオハド・フィン・フアスアルトはコナル・ケルナッハの子孫であるアルスターのルガド・ロイグセハと共同してレンスターに傭兵として移り住んでいる。
つまり、これらを考慮すると「暴力事件」によって「追放」され、「アルスターと軍事協力」した「エオハド」という両者に共通する人物像が浮かび上がるのである。
出典
Whitley Stokes. (1897). Cóir anmann (Fitness of names). Irische Texte mit Wörterbuch, 3, 285–444.
Edward Gwynn. (1935). The metrical dindsenchas. Todd Lecture Series 12, 5.
Petrie, G. (1839). On the History and Antiquities of Tara Hill. The Transactions of the Royal Irish Academy, 18, 25-232. Retrieved July 15, 2021, from http://www.jstor.org/stable/30078991
Binchy, D. (1952). The Saga of Fergus Mac Léti. Ériu, 16, 33-48. Retrieved July 15, 2021, from http://www.jstor.org/stable/30007384
Bondarenko, Grigory. (2008). King in Exile in Airne Fíngein: Power and Pursuit in Early Irish literature. Etudes Celtiques, 36, 135-148.
Bondarenko, Grigory. (2014). Búaid Cuinn, rígróit rogaidi—an alliterative poem from the Dindṡenchas. Studies in Irish mythology , 127-154.
Bergin, Osborn. (1912). Oided Chuind Chétchathaich annso. Zeitschrift für celtische Philologie, 8, 274–277.