クアルンゲの牛捕り―その原型のある伝承―

某ソシャゲで有名になった感のあるアイルランド神話のクーフーリンさんですが、その伝説の中でも最も有名なお話がクアルンゲの牛捕りでしょう。この話は、アルスター地方のクアルンゲという半島にいたという伝説的な牛を求めてコノートの女王メイヴと彼女の軍勢がアルスターの英雄クーフーリンと戦うというものです。

このクアルンゲの牛獲り伝承は古くからアイルランドで語られていたと見られ文献でも確認できます。今回紹介するものは7世紀中頃に活躍していた詩人、ルクレスの作とされる詩です。しかし古い時代の伝承は今に伝わっているものとは異なるストーリーだったようです。最も大きな違いはクーフーリンという名前の人物が登場しないという点でしょう。なぜクーフーリンという名前が出てこないのかは、後の考察に譲りますのでまずはその内容に触れてみたいと思います。


なぜ、北方の亡命者たちがマンスターに来たのか。これは、キアリーと四氏族からなるアラドとダル・メドルアスがマンスターに来たことに起因する。事の発端は、イー・ネールとコノートが彼らの祖父への敵意からアルスターを攻撃したことだ。それというのも彼らが祖とするロス・ロイヒの息子のフェルグスの戦いのためである。フェルグスは女の戦争、すなわちクルアハンのメイヴの戦争、彼の部族に対する女の暴虐な殺戮と攻撃からアルスターを見捨てたのだ。
三つの家族が亡命の中で彼の元から離れた。モガ・トイスの家族の末裔がキアリーであり、フィル・デオダイの家族の末裔がダル・メドルアスであり、ダル・フィル・トラフトガの末裔がアラドである。彼らは当初、エオフの息子ニアル(ニアル・ノイギアラハ)の時代まではタラに居住していた。
ドルナの息子フアと、マウグルンの息子エンが最初にルガドの子のコークとイルルアハーを支配した。アニルマイの息子のコルプが行った。セガの息子のコニュはドゥン・コネンとコマースに居た。コエル・ウラの三人の息子がクルフーにおり、彼らの一派がアドニュにおり、彼らの他の者はドゥブケハーに居た。

キアリー、アラド、ダル・メドルアスとはフェルグス・マク・ロイヒの子孫たちと称する氏族です。彼らは主にマンスター地方に居住するようになるのですが、そのきっかけはコノートとその傍系のイー・ネール王族がフェルグス・マク・ロイヒの子孫たちを攻撃したことにありました。フェルグス・マク・ロイヒの子孫たちはアルスターを出た後にはレンスターのタラに住み着いていましたが、さらにそこからマンスターへと逃れていったのです。また、この逃亡劇の発端であるフェルグスを強く非難しています。

フィンタンの息子のケセルン(コルク・ソルギンの先祖である)はフェルグスによって殺された。フェルグスの息子のフェル・デオダイが彼を殺害したのである。
フィアクを殺した罪によって、アルスター人はケセルン(の家族)を追放していた。その理由は彼は彼の父親を見放さなかったからだ。ナナカマドの槍が放たれた。ケセルンの死はドルイドの忠告され、彼の娘に予言されていた。ケセルンの息子ソルキンがフェルグスの子フィアクを殺した。無学な者たちはコルク・アルキンと呼ぶが、正しくは詩人たちがコルク・ソルギンと名高きソルキンにちなんで呼ぶのだ。
キアラの子のルクレスが以下の話を歌ったのはそれらのことである。

ここで、フェルグスの指図によって殺されるケセルン・マク・フィンタンという人物がいます。現在に伝わる一般的な伝承ではクーフーリンがライバルであるフェルディアとの決闘を終えた後にアルスター軍の先遣隊として登場し、大暴れして死ぬという勇敢な戦士で、それ以上のことは語られません。しかし様々な文献をひも解くと、ケセルンとフェルグスは近い親戚だったようです。なぜ彼が殺害されたのかは不明ですが、ケセルンの息子のソルキンは復讐を行い、アルスターから追放されることになります。また、ケセルン殺害の実行犯であるフェル・デオダイもフェルグスの元を離れたのはこの事件がきっかけとなったことでしょう。そして近親者を裏切りによって殺すという凶行の報いはフェルグスの身を滅ぼすことになりました。そして、フェルグスの子孫キアリーの一員である詩人ルクレスが詩を歌いました。

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