フィアナ伝説:クヌハの戦いの原因

フィン・マックールの誕生について描かれた11~12世紀頃の作品です。
また、アルムの地名伝承ディンヘンハスの詩はクヌハの戦いの原因とほぼ同じ内容です。


翻訳

コーマック・ゲルタガイスの息子のフィデルミス・フィルグラスの息子のカサル・モールがタラ王であり、百戦のコンが王位継承候補リードヴナの土地内のケナノスいまのケルズにいた時代に、カサルは有名なドルイドを擁していた。すなわちそのドルイドはブレガの平野のトゥアス・ダスィのフィンタンの息子のブロカンの息子のダスィの息子のアヒの息子のヌアザの息子のタドグだった。将来、自分の遺産となるものがレンスターにあるとわかっていたので、ドルイドはカサルに土地を求めて、カサルは彼に土地を選ばせた。そしてそのドルイドが選んだ土地はアルムだった。ヌアザに嫁いだのはベカンの娘のアルムだった。
それからドルイドによってアルムに砦が建設され、壁が真っ白になるまでアルムミョウバンをこすりつけられた。そのことからアルムと呼ばれているのかもしれない。そしてこのように言われた。

名高き戦いの砦は純白だ、アイルランド中の石灰を受けたかの如く。
アルムミョウバンを彼は家に付けた。
そのことからアルムはアルムと呼ばれるようになった。

ヌアザの妻のアルムはその丘に自分の名前を付けることを求め、その要求が叶えられて、彼女の名前が丘に付けられた。なぜなら彼女はそこに埋葬されたからだった。そしてこのように言われた。

アルム、美しき女性、
アヒの息子の偉大なるヌアザの妻。
彼女は、ただ彼女の名前がその完全なる丘に付けられるという顕彰を願った。

ヌアザは著名な息子を得ていた。ドン・ズヴァの娘のラリュが彼の妻だった。そしてタドグは有名なドルイドでもあった。ヌアザに死が訪れた時、彼は息子に砦を相続させた。そしてタドグは彼の父の場所でカサルにドルイドとして仕えた。ラリュはタドグに娘を産み、彼女の名前はムルネ・ムンカイヴと言った。この娘はとても美しく成長したので、アイルランド中の王子や君侯は彼女に求婚したものだった。
そしてトレンモールの息子のクウァルはアイルランドの騎士団長であり、コン王に使えていた。彼もまた他の皆と同じようにその乙女を求めた。しかしヌアザは彼を拒絶した。なぜならヌアザは彼によってアルムから放逐されるだろうとわかっていたからだった。クウァルの母はコン王の父であるフィデルミド・レフトヴァルの母でもあった。(注:つまりクウァルはコン王の叔父にあたる)
しかしそれからクウァルは彼女を与えられなかったために無法にもムルネと駆け落ちした。
タドグはコン王のところにやって来て、クウァルのしでかした暴挙について伝えると彼を処罰するように煽り立てた。コン王はクウァルに使者を派遣して、アイルランドを去るか、タドグに娘を返すように伝えた。クウァルは、彼女を返さないけれどあらゆるものを与えることで、引き渡さないつもりだと答えた。
そこでコン王はクウァルを攻撃するために彼の軍隊と、ルアグネ族の王であるルガド・コルの息子のウルグリウと、エハドの息子のダーレ・デルグと彼の息子のアイドを送り込んだ。
クウァルは彼らに対抗するために軍勢を集め、クヌハで戦った。しかしクウァルはそこで殺され、彼の部下は虐殺された。クウァルはモーナの息子のゴルに殺された。ルフェットはゴルの目を傷つけて目を潰したので、彼は隻眼ゴルとなった。そして詩人は言った。

アイドとはダーレの息子の名前だった、
名高きルフェットが彼を傷つけるまでは。
重い槍が彼を傷つけたから、彼はゴルと呼ばれた。

ゴルはルフェットを殺した。このような経緯でモーナの息子たちとフィンの間は親の代からの確執があった。ダーレにはモーナとダーレという二つの名前があった。
その後、ムルネは妊娠していたために父親に勘当されて身の拠り所がなかったのでコン王のところに行った。(注:不貞を働いた女性に対する刑罰として)彼は部下たちに火刑に処すように言ったが、コン王の意向に反して敢えて彼女を殺そうという者はいなかった。そしてその少女はどのように行動すべきかコン王に訊ねた。コン王は言った。
「コンヘンの息子のフィアカルのいるテウァル・マルギに行って、そこで出産しなさい」
なぜなら、フィアカルの妻はクウァルの姉妹であるボドヴァル・ベンドロン強い女だったからだ。そしてコンのしもべであるコンラは彼女がテウァル・マルギにあるフィアカルの家に着くまでの案内をするために同行した。そこで彼女は歓迎され、到着が喜ばれた。彼女はそこで男子を出産して、ディヴネと名付けた。
その後、少年は敵対する者の全てから戦利品を獲ることができるようになるまで彼らに育てられた。そして彼はタドグに戦争か一騎打ちをするか、さもなくば彼の父の満額の殺害賠償金エリックを渡すように宣言した。タドグはその場で判断すると言い、絶対的な所有権としてアルムを譲り彼はそこを去るという裁定を下した。そしてそのようになった。
タドグはフィンにアルムを譲り渡すと、彼の父方の遺産であるトゥアス・ダスィに移り、現在ではタドグの丘トゥラハ・タドグと呼ばれているクノック・レーンに住んだ。そして彼はその時から今に至るまでトゥアハ・デ・ダナンと呼ばれている。そしてこのように歌われた。

フィンは君侯の土地のタドグに要求した、
偉大なるクウァルの殺害のために、
すぐさま戦争するか、一騎打ちをするかを。
タドグは気高き公子に対して戦うことができなかったから、
彼に見合うアルムをあるがままに譲り渡した。

フィンはその後にアルムに移ってそこに住んだ。そしてそこが生前の彼が主に使っていた邸宅となった。その後にフィンとゴルは和平を結び、モーナの一族からフィンに彼の父の殺害賠償金エリックが支払われた。そしてマイレナグの息子のバンブ・シナがテウィル・ルアフラでスランガの豚を巡って殺された時に対立が起こるまでは、彼らは穏便に過ごした。そしてこのように歌われた。

その後に彼らは和平を結んだ、
フィンと数百の武勲のゴル、
ルアフラのタラの豚をめぐって
バンブ・シナが死ぬまでは。


脚注

カサル・モール
百戦のコンの先代の上王。ルアグネ族によって殺害された。

王位継承候補リードヴナ/rigdomna
直訳すると王の素材。つまり王たるべき者、王位継承候補。

ルアグネ族
タラの守護者/Colomain Temairと呼ばれる部族。「カサル・モールの遺言状」ではフィン・マックールによって壊滅させられたとされる。

テウァル・マルギ/Temair Margi
マルグ山の高台。

殺害賠償金エリック/eraic
殺害の罪を負った時に遺族に対して支払う贖罪のための金品。

バンブ・シナ/Banb Sinna
古老たちの語らいの中のゴル・マク・モーナの最期に関する詩でモーナ一族によって殺害されたと伝わる。

出典

[ed.] [tr.] MacSwiney, J. P. [ed. and tr.], “Fotha Catha Cnucha in so”, Gaelic Journal 2 (1884): 169–174.



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