フィアナ伝説:ギラ・イン・ホヴデドの詩のフィンに関するエピソード
概要
解説をしておかないと難解のような気がするので概要しておきます。
まず、フィン・マックールの埋葬から詩は始まります。
それからの詩の内容は概ね、①フィンの幼少期の業績、②フィンの宝物、③フィンの家族の三つです。
①について時系列に着目すると、フィンは七歳まで不遇を囲っていたものの転機が訪れ、[フィンホヴァルをリー湖の下で見る]「コノートの周りを巡る」[フィンにとっての最初の狩猟]といった出来事が起こりました。
八歳になり[タラで蝋燭と竪琴を持ったアレーンを殺す][フィンタンの息子のケセルンから詩を教わる][フィドガの子孫のアイドを殺す][スリアヴ・スランガの女妖精から財宝を得る]という出来事が起こります。
また、[リア・ルケアの殺害と鶴革の袋の獲得]は幼少期の出来事でコノートのモインモイで起こりました。そしてMacgnimartha Findではこれはフィンタンに詩を教わる前の出来事とされています。
②フィンの宝物については、ブレサ・ネヴェドで語られる三つの婚礼の品かもしれません。この詩でフィンの妻として登場するのは百戦のコンの娘のサズヴのみです。
③フィンの家族については、良く知られるクウァルとムルネが両親ではなく、父グレオルと母トルバの子として語られています。また、フィンの姉妹が存在し、その息子がカイルテとなっています。そして妊娠した女神マハの競争と出産の話に類似している、カイルテの誕生の逸話が語られています。
本文翻訳
三つの平野のマスケリーのアルド・カレにある不吉で苛酷な運命!
彼の首は狐石に対して西に向き、フィンは王の宝とともに埋葬された。
グラシュディグが彼の元々の名前だった。モーナの息子たちが彼をフィンと名付けたのだった。七年間、彼は窮地にあってリー湖の下で美しい助けを見つけた。
フィンの最初の競争――それは選ばれた走路だった――
彼は常にモーナの息子たちの前を走り、美しき楯のコノートを周って、リー湖からコリブ湖に行った。
そしてコランの平野へ、アサローへ、永遠なる名声のブレフネの牛の放牧に寄り添い、シャノン川の河辺に沿って――なんと悲しきかな!――
そびえたつエフティ山まで一日で。
彼が八歳の時に、ダスィーのタラを訪れた。彼は手に竪琴と蝋燭を持っている者を殺した。
「眠りの竪琴だ」と皆が言った。
毎年の慣わし、サウィンごとの習慣。
煽動が続き、蝋燭は輝き燃えていた。
偉業の後、フィンは堂々とした王冠の見目麗しきサズヴと共に眠った。
そしてサズヴはフィンを夫として家族のように連れ添った。
剣猛きコンを恐れて、フィンは高貴な詩を学びに行った。
フィンタンの息子のケセルンが彼の詩作の教師だった。
宴の後にフィアナ騎士団はオルクベルの復讐をするためにフィンを連れて行った。
スリーヴ・ドナードの女妖精は恐ろしく大胆な行為をした。
彼が華々しくフィアナ騎士団に加わった時、その夜に旅をした。
君主の相続地、ブリー・エリーからエドリコンの息子のマルグの山へ。
滅多にない業績、マルグ山から西のアヌの乳房山へ。
彼はコンヘンの息子フィアクラハの鹿とともにインヴィル・コルブサに走った。
インヴィル・コルブサから高貴なアルスター人のスリーヴ・ドナードまで、それは記憶に残されている。
そこから、真っすぐにインヴィル・コルブサまで凄まじい勢いで追跡した。
オルクベルの復讐として、フィンはコンヘンの息子のフィアクラハの槍でアヌの乳房山の西においてフィドガの子孫のアイドを殺し、勇敢なる偉業を成し遂げた。
フィンがアヌの乳房山の塚で二つの詩を聞いた。
「屈強なフィドガの子孫が殺されました」
これが、詩の正確な始まりだった。
「槍は毒です」
これが二つ目の詩の力強い始まりだった、―私は知らない。
その輝かしいサウィンの勇ましい功績の後、彼はそれらの詩を聞いた。
―勇敢で不屈な奮闘―有名なフィアナ騎士団のリンゴの木で、名誉を讃えられる七年の終わりに、スリーヴ・ブルームを通った七頭の鹿がフィンの最初の獲物だった。
スリーヴ・ドナードから出た女が栄光の金と銀で満ちた杯を彼に与えた。これが彼が偉大な分配のためにフィアナ騎士団に持って行った最初の美しい宝物だったことは確かだと我々は知っている。
彼の栄えある母親はケルヴナのエーラン族の者、エフの純潔の娘トルバだった。英雄的な強さのラヴレーの王、グレオルの息子のフィンは彼の母が生んだ子だ。
策謀のカイルテの父親はレスィ・レサンヘルドと呼ばれた。詩によれば、カイルテはフィンの美しく綺麗な姉妹の息子だった。
コルマーンの輝かしい集会で、徒歩の女性に対してロスの王の馬が輝かしく競争をした後に、尊敬すべきカイルテが産まれた。
彼はフィンのフィアナ騎士団の中で素晴らしい血統が残されている唯一の者だった。素晴らしいことだ!カイルテからカイルテの子孫が広まった。
フィンの周りには八人のカイルテ(の一族)が集まっていた。
つまり、コラ、ウア・ダヴ・デルグ・ディーリン、キャス、クル、エスクル、アスネ、オル、そしてネナ・ヌアグニセ。
クリウァンの将棋はフィンが見つけた最高の宝だと私は確かに知っている。
運命のフィアフラはそれをクリウァン・ニア・ナールの土地に隠した。
有名な遠征だ。かつてフィンが美しい河底はすべて銀だった小川を見つけた。それは湧き出てサンザシの木を過ぎて南東へアルヴィネの近くに流れていた。
オシーンは言った。
「フィン自らが見つけた最も素晴らしく繊細な宝、それはクロスランの密織りの美しい頭巾だ。曖昧でよく知られていないということはない。」
布地は金色で、肌に優しい裏地は銀色。
それを回して変えると、犬、人、そして鹿になれる。
それは五十人の女奴隷の価値があり、三十年間喜びの野で、約束の地で五十の……で作られた。
学識のない人の知ることではないが、三十の宝石をフィンは広大な浅瀬でのグロナとリア・ルケアの殺害の後に鶴革の袋の口から取り出した。
脚注
※美しい助け/Findchobair
Arthur C. L. Brownによれば、フィンの養母ないし母親の名前の可能性がある。
湖に沈むフィンの養母は、民話にも語られる。また、古老たちの語らいにはフィンの姉妹が竜のいる噴水/湖で溺死する話がある。これらの類話であるとも考えられる。
※スリーヴ・ドナードの女妖精
フィンの少年的偉業/Macgnimartha Findを参照。
※君主の相続地(?)/dúthaig tor
UCCの訳では a veritable tower、eDILではpatrimony of princes (?)とある。ここでは後者に従う。
※トルバ/Torba
フィンの少年的偉業/Macgnimartha Findでは、クウァルの前妻とされているが、ここではフィンの生母とされる。
※グレオル/Gleoir
フィンの少年的偉業/Macgnimartha Findでは、ムルネの再婚相手とされているが、ここではフィンの実の父である。
※レスィ・レサンヘルド/Lethi Lethancherd
cerdは鍛冶師の意味。他の物語でもカイルテは鍛冶師の息子とされることが多い。
※徒歩の女性
徒歩の女性とは、フィンの姉妹でありレスィ・レサンヘルドの妻、そしてカイルテの母のこと。ここで描かれているのは「鍛冶師の妻が徒歩で王の馬と競争して子供を出産した」という逸話だろう。レンスターの書には次のような話がある。(原文からの訳なのであまり正確ではないかもしれない)
”Ocus is i in t-Sidhe sin ingen Cumaill ro choimhrith fri dha gabhar in righ Eoghain Mhoir i n-einech Colmain. Ro bo iorrach tra Sidhe in inbaidh sin ro coimrith fri hechaibh in righ, Ro tusimh Sidhe a toirrchus iar sin for chenn na blai iar forgbhail na n-gabur 7 rug mac .i. Cailti. ……”
「(レンスターの)コルマーンの貴族たちの(集まりの)中で、エオガン・モール王の馬と競争したのが、クウァルの娘のシディだった。王の馬と競争した時はシディにとって静かだった。シディは馬を捕まえた後に境界の隅で分娩し、息子、すなわちカイルテを産んだ。」
これは女神マハの伝説にも類似している。
※クリウァンの将棋
クリウァン・ニア・ナールの将棋盤のこと。Annals of the Four Mastersによれば、百個の透明な宝石がはめ込まれた金のチェス盤とのこと。来寇の書によれば女妖精であるナールとともに一か月と14日間冒険に出て、それから将棋盤や武具等の貴重な宝物を持ち帰って死んだ。
※クリウァン・ニア・ナールの土地/airiur Chrimthaind Níad Náir
英訳では土地/landとあるが、eDILによれば海岸、国境の意味とあるのでおそらくクリウァンが冒険から帰ってきて死亡したホウス岬のことだろうか。
※アルヴィネ
アルヴィネの河口のことか。ダブリンの北にある現在のデルヴィン川の河口。
※クロスランの頭巾
回すと変化できる能力を持つ頭巾。
ブレサ・ネヴェドによればフィンの求婚の三つの婚礼の品の一つとされます。そのため三つの婚礼の品のうちの残る二つは鶴革の袋、クリウァンの将棋盤かもしれない。
出典
Kuno Meyer, The Finn episode from Gilla in Chomded húa Cormaic's poem "A Rí richid, réidig dam" in Fianaigecht. , Dublin, School of Celtic Studies, Dublin Institute for Advanced Studies (1910) (1937) (1993) page 46–50