右手の瓶

午前中は、いつものように、大学のカフェテリアの、いつもの席で勉強した。

区切りのいいところで本を閉じ、遅めの昼食をとる。

脳の疲労と、お昼ご飯の消化がはじまって、白昼夢に誘われる。

15分のアラームをセットして午後の微睡みに耽った。

ちょうど現実と夢の狭間で、意識が空中散歩しているとき、雷鳴のようにアラームが鳴った。

望まないタイミングで起こされ、寝覚めが悪く、頭がぼうっとするので、売店へ行ってジュース瓶を買った。

そのまま階段をのぼって、いつものデスクに戻ろうかと思っていたが、無意識に階段を通り過ぎていって、キャンパスの外へ歩いていった。

それはまるで夢遊病のようなものだった。

気づくと僕は、キャンパスの駐車場を通り抜け、広い丘に辿り着いていた。

講義の時間は誰もいないので、だだっ広い芝生の真ん中に、僕一人だけがいる。

カフェテリアと違って、この芝生は自由席だ。

僕は、隣にある、鬱蒼とした松林の眺めがちょうどいいところで腰を下ろした。

買ってきたジュース瓶のふたを空けると、炭酸の抜ける音がした。

炭酸の刺激が、まだ眠りについている身体に巡る。

秋の心地いいそよ風と、木漏れ日が身体の外側を撫でる。

春の日差しと違うのは、希望の代わりに、哀愁が混じっているところだ。

右手に、空き瓶を握ったまま、野原に仰向けになって倒れる。

瓶の底を、大地に叩きつけると、衝突したときの振動が、瓶の中で反響して、右手を伝って大地の不動力を体感する。

空を見上げると、作りたてで熱を感じれそうな綿あめをちぎったような雲が数十キロメートル先に浮かんでいる。

大地に置いた頭の上を疾走するような”印象”が走り去っていく。

こんなに広い世界にいた。

いったいどれほど自分が不自由な身なのかを、思い知らされてしまった。

毎秒ごとに移り変わる、不動の空。

僕が僕として生きていることに、恥を感じる。

思考は消え、頭の中には無限の広さの「空」が広がった。

そこに、どこからか湧いて出てきた、綿菓子のように浮かぶ衝動が、僕の身体を使って表現される。

瓶を握っている右手に、純粋な力が流れ込んでいる。瓶を押しつぶそうとするも、分厚くできた瓶は割れなかった。

右半身のエネルギーが消費されたことを確かに感じて、僕に思考が呼び戻される。

しばらくして起き上がり、来た道を帰る。

誰もいないキャンパスの通りを歩き、ふと右手に持っていた瓶を遠くへ、遠くへ投げてみたくなった。


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