棚橋弘至の“受難”はいつまで続く?もう膝攻めは見たくない!
棚橋弘至選手の“受難”が続いています。
『ワールドタッグリーグ2020』開幕戦で、試合後にグレート-O-カーン選手から膝への椅子攻撃を受けてしまった棚橋さん。昨日の小松大会でも “宿敵”デンジャラステッカーズから “ユニオーネのなんちゃら”(技名言いたくない💢)などの膝攻めを受け、ほとんど動けなくなってしまいました😣
ヘナーレ選手の孤軍奮闘も虚しく敗戦。棚橋さんはバックステージコメントで、「俺いま新日本プロレスに完全に要らない子になってる」と😥 棚橋さんにこんな言葉を言わせてしまうなんて…。私は怒りと悲しみが同時に込み上げて来ました。
いつまでこういう試合が続くんだろうか。
棚橋さんが膝を痛めているというのは周知の事実。これまでもタイトルマッチなどで膝を狙われることは多々ありました。そういう攻撃に耐えて耐えて最後に勝つ!そこに至るまでのハラハラならば私も喜んで耐えます。でも最近の棚橋さんは、耐えて耐えてボロボロになって負けることが多くなってしまった…。
特に今年はG☆Aを発端に、同じ相手に同じパターンで負けるというデジャヴの繰り返し。「いい加減にしろ!もっと『100年に1人の逸材』を大切にしてくれ!」と悲鳴を上げたくなってしまいます。
このままではいけない。メンタルが持たない。どうにかしなければ…
そうだ!ここは初心に戻ってアレを…
そうです。私にとっての棚橋さんの教科書。『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』。きっとこの中に答えがあるに違いない。
…ありました。そして私は忘れていました。棚橋さんが「青鬼」だったことを。
少し長くなりますが引用してみます。
昔から「泣いた赤鬼」という話が好きだった。
僕は仲間のために自分を犠牲にした青鬼にすごく魅かれた。誰かのために、何かをしたときに感じるカタルシス。これはどんな仕事、どんな会社にも当てはまることかもしれない。
人を活かすことで自分も活きる。組織の中にいると、損な役回りばかりを押しつけられる人もいるかもしれない。だけど、嫌だと拒否すれば組織は成り立たないし、誰かがやらなければならないことなら他人に押しつけるのではなくて、自分から進んでやるほうがいい。
そこは思考の転換で、自己犠牲を払ってでも何かに貢献できたことに充実感を感じられるようになると、それは「損な役回り、犠牲者」ではなく「やりがいのある仕事」に変わるのだ。
《飛鳥新社「棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか」より》
泣いた。棚橋さんは自己犠牲の塊だった。
こういう棚橋さんの思考を理解したあとで昨日おとといの試合を見れば、感じ方も変わってくるのかもしれません。
でも一方で棚橋さんは、「プロレスは残酷であってはいけない」とも言っています。棚橋さんが痛めた膝を必要以上に責められ続けるのは、私にとって残酷そのもの。苦痛以外の何物でもありません。それでも見続けているのは、 “エースの復活”を信じているからなのです。
私は昨日のブログで、高橋ヒロム選手に“次世代のエース”を感じたと書きました。それでも、私の中では今も棚橋弘至がエースであることに変わりはありません。棚橋さんの自己犠牲の精神は素晴らしいと思います。でも、エースの復活を待っているファンもいるということも忘れないで欲しいと思うのです。
ただ、ここで思い出さなければならないのは、棚橋さんはプロレスラーであるということ。
普通に闘って勝つよりも、悲惨な、情けないような負け方をして話題になる方が、反響が無いよりもいいと思っている可能性もないとは言えません。棚橋さんは“勝負師”だから、裏の裏の裏まで狙っているのかも…??
そう思わせてしまうのも棚橋さんの魅力のひとつではあります。全ては“棚橋弘至の手のひらの上”なのかも知れません…。