「相手が変わらない」なんて、偽りは止めよう
人が他人に不満を持つとき、その不満を掘り下げていくと、
「自分は何かをやってほしいのに、相手はやらない。」
「自分はこうなってほしいのに、相手はなってくれない。」等の、
「自分の要求が叶えられない事」に、大抵は帰結します。
あなたのため、将来のため、なんのためかんのため
どんな理由をつけても建前で、本当は、
誰かに何かを変えて欲しい時は、必ずと言っていいほど、自分が何かを得たいときだ
昔、これに気付いて、これを自分で認められたとき、なんかこう、達観できた気持ちになって、周りの景色が一変したので、まとめておこうと思います
1万円を投資しなよ。絶対誰かが100倍にして返してくれるって!
確約も無く、無責任な言葉です。
でも、これに近い言葉はたくさんあります。
「勉強しなさい。将来のあなたのためになるから!」
「この仕事をすれば、成長する。君のために言っているんだ!」
「苦しくても耐えろ。それが君のためだ!」
「なぜやらないの?やらないと何も変わらないよ!?」
他責だが、行動を強制する言葉は、人を動かす魅力に欠けますよね。
愚痴なら良いんです。本気で言ってる人が割といる。
人生の使い方は、その人が決める
大前提として、その人の人生はその人が決めます。
子供も大人も、自分で決断して生きています。
他人に流されるという決断も、本人がしていますよね。
子供は決めるための経験が少ないから、経験を大人が補い教えてあげます。
でも、やる・やらないは、本人が決めています。
あなたが、親や親友、上司や部下、どんな立場にいたとしても、
その決定を否定し、覆すことは、基本的にできません。
できたとしても、再度違う決定をするよう促すだけですね。
相手が言うことを聞いてくれない。と感じるとき、それは相手の決定により、NOと言われた。ということです。
これを、「あなたのためだから」理論で会話してしまうと、極論
僕のために、あなたの人生変えてください。それがあなたのためだから。
って言ってますよ。という事ですね。
長くなりましたが、こんな不毛な問いかけをする事はもうやめませんか?
もっと前向きなコミュニケーション取りませんか?
というのが、この記事の主題です。
期待と強要
相手の人生の決定を心配し、提案する事は悪い事ではありません。
でもそれは、「相手に対する期待」であり、「相手に対する要望」です。
相手の人生の決断を、自分の思うようにさせる。というのは、ただの強要でしかありません。
共に解決する仲間になる
強要するのではなく、相手に寄り添ってみてはどうでしょうか。
相手に行動を促す時、相手に期待する結果が必ずあります。
その期待を事前に提示し、相手にも理解を求め、そのうえで、それが相手のメリットになることを話し、相手にも考えてもらいましょう。
期待する結果が得られるのであれば、どんな行動でも問題ないはずです。
腹落ちする合意形成が、死ぬほど大事
「期待」と「強制」を分ける境目は、相手のスタンスにあります。当然、自分の都合は自分に決定権がありますが、相手が賛同するかは相手が決める事です。ここで、相手にも賛同してもらうことを、「合意形成」と言います。
この合意形成ができないから、相手の行動も変わらないんですよね。
良くある失敗例としては、自分の期待はひた隠しにしておいて、期待に応えられなかった相手に「期待外れ」「こんなはずじゃなかった」と、愚痴るケースですね。
例えば、勉強しない子供に勉強しなさいと言っても変わらない時、
1)勉強する事で、何を子供に得て欲しいのか。
2)それを子供が得て、自分がなぜうれしいのか。
を考えてみましょう。
例えば、結論が「幸せになって欲しい」なら、勉強することで幸せになるのかどうか、子供と会話することですね。
なぜなら、「子供が幸せになる」は、「子供が幸せと感じるか否か」なんですから。
「幸せになって欲しい」と思うのは期待です。
「幸せの形を指定する」のは強制です。
この差は、子供の納得感によって、違ってきます。
そもそも、勉強しなさい。と言う事すら、お門違いかもしれません。
大切なのは
自分が望む結果に対し、相手に合意を得て、相手に協力してもらう
それができなければ、相手の行動は変わらない。という事です。
人の為は偽り
為になる事に、人が手を加えると、偽りになるそうです。仏教の教えだそうで。相手の為と良かれと思って手を加える事が、相手にとって偽りになってしまうこともあるよ。と言うこと。
ちゃんと会話して、相手の想いを知り、その行動をどこに結びつけるのか。
自分の事だけを考えず、他己的に考えていけるようになりたいですし、自他共にメリットの出る思考を、普段から出来るようになりたいものです。。。