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人生の「回り道」を聞かれて、何を答えるか

「あなたがこれまでの人生で経験した"回り道"を教えてください」という面接官の質問に、就活生の頃の私は、うまく答えることができなかった。

それは行きたかった出版社の最終面接でのことで、今でも、その情景はありありと思い出すことができる。

結果は、不合格だった。


当時は「自分は"回り道"をしてこなかったんだ」とその人生の浅さを悔やみ、恥じ、そんな自分に対して少なからず劣等感のようなものを抱いていた。それは、「挫折をしたことがない」人が自身に対して抱くそれにも近かった、かもしれない。


そんな人生の「回り道」について、25歳の今、あらためて思いを馳せてみる。あれから4年、私は「回り道」をしてきたのかなあ、と。そもそも、「回り道」ってなんだったっけ、と。


「回り道」というのは、スタート地点とゴール地点があって、はじめて存在する。目的地にたどり着くための最短距離を取らず、遠回りや寄り道をすること、それが、回り道だ。

恋愛小説や映画で考えるとわかりやすいかもしれない。恋愛小説や映画なんてのは結局はどれも一言で表すと「ボーイミーツガール」なのだけれど、そのハッピーエンド(ときにはバッドエンド)に至るまでのさまざまなストーリー、紆余曲折──つまるところ「回り道」が、人々を惹きつける。

たとえば私が高校生の頃に流行った少女漫画の『アオハライド』や『ストロボエッジ』なんて、主人公たちが両思いになるまでにとんでもないくらい(本当に、とんでもないくらい!)の回り道をするけれど、そのじれったさや主人公たちの繊細な気持ちの移り変わりに、私たちは虜になった。


そんなことをぼーっと電車の中で考えていたとき、「ああ、"回り道"とはすなわち"物語"のことなんだ」というパラダイムシフトが、突然、訪れた。


佐渡島庸平さんの「純文学とエンタメを分けるもの」というnoteのエントリの一節に、こんなものがある。


いい物語は、ヒーローズジャーニーであると言われる。主人公は、旅に出て、課題を見つけ、そして課題を解決して変容し、戻ってくる。僕もその型を意識して、編集する。主人公がA→A'になるために、エピソードを考える


そしてこのnoteを思い出し、「主人公がA→A'になるためのエピソード」とはまさに「回り道」のことだな、と思った。

つまり「人生で経験した"回り道"を語ってください」というその面接官の問いは、「あなたの人生の中にある"いい物語"を教えてください」ということだったのだ。人生の中にある「物語的」な部分を見つけ出し、それを魅力的に語ることができるかどうか。それが、問われていたのか、と(もちろん違うかもしれない)。


きっと、それはどんな時間軸・どんな内容でもいい。

ある恋に関する「回り道」のことでもいいし、受験の「回り道」のことでもいい。旅に出て帰ってくるまでの「回り道」のことでもいいし、会いたかったアイドルに会うまでの「回り道」のことでもいい。

なんでもいいから、あなたは、どんな物語の主人公であるのか──「A→A'」になるための、どんな魅力的なエピソードがそこにあるのか。それを語る力を、面接官は知りたかったのではないか、と、今では思う。


人生なんて結局のところ、命を授かりその命が尽きるまでの膨大な「回り道」なのだから、そもそも回り道がない人間なんて存在しない。だからきっとこの問いは編集者としての「物語を見つける力」が試されていたのであって、当時の私が感じるべき本当の劣等感は、「回り道がない自分」ではなく、「物語的センスがない自分」だったのだ。

いろんな「回り道」に思いを馳せることは、編集者にとって大切なスキルなのだ、と思う、月曜日の夜。「通りもん」がお土産の中では一番好きです。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。