「ほかならぬ」について思うこと
人生わりとポジティブに生きているタイプなのだけれど、ひとつだけ悩みのようなものがある。それは、「ほかならぬ」という感覚が本当にわからない、ということ、だ。
私はとある原体験があって、できるだけ「だけしか」という感覚を意識的に排除しながら生きている。「この人しかいない」「この人だけだ」と思うことは人生のリスクだと考えていて、それは、その人に裏切られた時やその人がいなくなってしまった時に自分は立ち直れなくなってしまうのではないか、という自分の弱さの現れでもある。
だから恋愛や仕事においても、ちゃんと心から好きにはなるし真剣に取り組んではいるのだけれど、心の奥底では「この人じゃなくてもいい」「この仕事じゃなくても生きていける」「ほかならぬ人なんて存在しない」と思いながら生きている。自分が傷つかないために、自分の感覚を麻痺させているのだ、と思う。
そんな私を見て、友人や昔の恋人たちには「冷めた人間だね」とよく言われていたし、自分自身冷めた人間でいることに何の抵抗も覚えはしなかった。
でも最近、結婚する友人や仕事における最高のパートナー、もしくは最高の仕事を見つけている人たちを傍目に見ていて、「この人は(この仕事は)ほかならぬものだ」と思えることに対して、純粋にいいな、と憧れの気持ちを抱いている自分に、ふと気がついた。
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ちょうどそんなことを考えていた時に、とある人から白石一文さんの『ほかならぬ人へ』という本をおすすめされた。この文庫本のあとがきが最高だからぜひ読んでほしい、と言われたのだ。
「あとがきが最高」という文脈でオススメされて、もちろんその人(尊敬している人だ)に「最高」と言わしめさせるそのあとがきにも興味はあったのだけれど、それよりも私は「ほかならぬ人へ」というそのタイトルに心を奪われた。私は普段、課題解決型の読書をしないのだけれど──その時はじめて、「ほかならぬ」という感覚を切に理解したくて、自分の中にあるモヤモヤを解決したくてその本を手にした。
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結果的にその本を読んでも、「ほかならぬ」という感覚がどういうものなのか、その感覚を見つけるためにどうすればいいのか、については何も答えを得ることができなかった。
けれど、本の中でひとつ、印象に残ったセリフがある。
ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ
ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないという明らかな証拠がある──。たしかに私の周りで「この人しかいない」と思えている(であろう)人は、共通して理屈じゃなく直感で、と言っているような気がした。
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結局のところ、当たり前の結論になってしまうのだけれど、私は心の底から「この人しかいない」「ほかならぬ人だ」と思える人にはまだ出会えていないのかな、と思う。そしてそういう自分をはやく脱却したい、とも思っている。
「ほかならぬ」と思える人に出会えなくてもいいやと思っていた自分に比べて、「ほかならぬ」と思える人に出会いたいなと思っている自分は、ずいぶんと人間らしくなった、と思う。
やはり、「この人しかいない」と思えることは、「この人になら裏切られてもいい、傷つけられてもいい」と思える人がいることは、とても素敵なことだな、と思うのだ。そういう人に出会えるかどうかはまだ分からないし、出会えないのかもしれないけれど──いつかそういう人に出会える希望を捨てずに、これからの日々を過ごしていたいな、と思う。