彼女は、手軽なコミュニケーションが苦手だけれど。 #あの日のLINE
彼女と仲良くなったのは、もう5年も前のことになる。
大学のひとつ年下の後輩である彼女とは、学部も所属するサークルも全然違ったので、大学時代はほとんど話したことがなかった。
とあるきっかけで顔見知りになったけれど、あえてふたりで約束するような関係には発展せず、「友だち」と言うよりは「知り合い」と言った方がしっくりくるような、「また話そ〜!」という言葉が社交辞令のまま終わってしまうような、その程度の付き合いだったと思う。
そんな彼女から、5年前のある日、突然連絡がきた。
「来週、家に泊めてもらえませんか?」
就職をきっかけに地元・関西から上京したばかりの私と、就職活動まっただなかの彼女。東京で面接を受けるときの「泊まる宿」として白羽の矢を立てたのが、私の家だったのだろう。
私自身、一人暮らしをはじめて間もなくてさみしかったのと、東京で就職活動をすることの金銭的・精神的な負担を実体験をもって理解していたこともあり、ふたつ返事で「いいよ」と答えた。
その日の夜は、彼女と、私の友だちと、私の3人で、渋谷の安い大衆居酒屋で飲んだ。春の終わり、心地よい風が吹く夜だったと記憶している。話は想像以上に盛り上がり、ゲラゲラと笑いながら、気づけば夜中の2時を回るまで飲んでいた。
大学時代のくだらない失敗談について、これまでの恋愛について、就職活動について、仕事について。話すことは山ほどあった。
屈託のない笑顔が、可愛いなと思った。
ちょっと生意気で図々しいところが、好きだなと思った。
人に気を遣わないフリをして、実は気を遣っているところが、私と似ているなと思った。
それから、彼女はことあるごとに私に連絡をくれるようになった。
「最近調子どうっすか」
「明日も泊まりに行っていいですか?」
「内定、決まりました!」
仲は急速に深まり、彼女が就職で上京してからは、そのスピードはますます加速していった。
上京し、編集者としてのキャリアを歩みだした彼女とは、次第に一緒に仕事をするようになった。ときには激しくケンカをし、ときには涙を流して励ましあい、ときには真剣に語り合って、ときにはバカみたいに笑いながら朝まで遊んだ。
気づけば彼女は私にとって、数えるほどしかいない「親友」と呼べる存在になっていた。
彼女は2年前、地元である関西へと戻っていった。距離は離れてしまったけれど、今でも関係性は変わっていない。
*
彼女は、かなりの「アナログ人間」である。
ここでいうアナログ人間とは、ITツールを使いこなせない、という意味ではない。コミュニケーションにおいて、手触りのある感覚を大事にし続けている、という意味だ。
「人と人とのつながりを簡単に済ませたくない」と思っている彼女は、大切なことを、絶対にオンラインのコミュニケーションで済ませない。
誕生日や結婚などのお祝いの言葉、心の底からモヤモヤしたことなどは、会ったり、手紙を書いたりして、ていねいに、ていねいに伝えたい人なのだ。
毎年、私の誕生日の「翌日」には、彼女からこんなメッセージが届く。彼女のこだわりが垣間見える連絡で、私は毎年、誕生日の次の日を、密かに楽しみにしていたりする。
インターネットでかんたんに繋がれる今の時代だからこそ、私たちは、SNSやLINEなどの連絡ツールを使って、自分の思いを、誰かに「即時的に」伝えている。
その気軽さはたしかに便利だけれど、それは、自分の持つ感情を、吟味することなく相手に伝えてしまうことを可能にする。大切な気持ちは、手軽なコミュニケーションに、ついつい流されていってしまうことがある。
でも彼女は、大切な自分の感情は、きちんと大切にし続ける。そのために、手軽なコミュニケーションツールを使わず、ていねいに思いを伝えていくのだ。
そういった彼女の姿勢を、私はとても好きだな、と思っている。
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そんな、SNSやLINE、メッセンジャーでの「手軽なコミュニケーション」を好まない彼女だが、唯一、彼女と私が諸連絡以外で「LINEでしか」やりとりできないことがある。
それは、おたがい、どうしようもなく辛くてたまらないときの連絡だ。
仕事でキャパオーバーになりそうなとき、パートナーとの関係がうまくいかないとき、何がなんだか悲しくてやりきれないとき、不安に襲われてしまったとき。
彼女と私は、行くあてのない気持ちを、たがいに送り合う。
私から送ることもあれば、彼女から送ってくれることもある。
気持ちが溢れてしまったときに、口で伝えるよりも文章の方が言いたいことが言える私たちは、電話よりも文字でのコミュニケーションが向いていると思う。
まるで会話をするように、私たちは言葉を交わす。シームレスに言葉を投げかけられるLINEでなければ、このコミュニケーションは成立しない。
連絡において、大切にすべきものは時と場合によって違う。
顔を見たいのか、顔を見たくないのか。話したいのか、文章で伝えたいのか。即時的に伝えたいのか、少し待ってほしいのか──。
私たちはありがたいことに、グラデーションがあるコミュニケーションの手法を選べる時代に生きている。
そして、私と彼女にとって、おたがいの溢れた気持ちを受け止め合うのは、いつだってLINEなのだ。
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「できるだけ傷ついてほしくないし、できるだけおだやかに健やかに過ごしてほしいし、とにもかくにも幸せでいてほしいとめちゃめちゃ思うのです。」
2年前の誕生日に、彼女から、こんな言葉を書いた手紙をもらった。
この言葉は、私の人生におけるお守りで、そして私も、彼女に対してまったく同じことを感じている。
半年ほど前、彼女からSOSの連絡がきたときに、私は彼女からもらったその言葉を贈り返した。今その瞬間に、どうしても伝えたいことだったからだ。
友だちであり、仕事仲間であり、ライバルであり、同志であり、おたがいの幸せを願い合う私たちの関係は、さまざまなコミュニケーションで成り立っている。
これからも、そのときどきで必要な連絡手段を駆使しながら、おたがいを大切にしあえる関係であればといいなと、心から願う。
大好きなKへ。
辛いときは、また、LINEさせてね。
この記事は、LINE株式会社のオウンドメディア「LINEみんなのものがたり(https://stories-line.com/)」の依頼を受けて書き下ろしたものです。
#あの日のLINE #LINEみんなのものがたり
(編集:ツドイの今井さん)