柔らかなクッションを用意する
突然、「大丈夫ですか?」とその女性は声をかけてきた。
去年の秋、一番勢力的に働いていた頃、複業関連のイベントに登壇した直後のことだ。「あかしさんの働き方を聞いて、心配になって。こういうのって、実際に一度倒れるまでは、人に何を言われても気づけないものだと思うんですけど」と、その女性は続ける。
そのときの私は、ありがたいなぁと感じながらも、「全然大丈夫ですよぉ」とヘラヘラ返事をした。だって、そのときはまだ、大丈夫だったから。そして、そのときはそれからも、大丈夫だと思っていたから。
そんな私が実際に体調を崩したのが、今年の1月の終わりのことだ。
体調を崩してしまったとき、私は3回ほどカウンセリングに通った。精神的にもかなり落ち込んでいたので、信頼している方の信頼している先生のところへ行き、話を聞いてもらった。
その先生に、「何に気をつければ、こうならなかったんでしょうか」と聞くと、その先生は、笑顔でこう言った。
「一度こうならなきゃ、気づけなかったと思うよ」
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「一度、倒れてみなきゃわからない」。これが、実際のところなのだと思う。どれだけ自分の体に負荷をかけていようが、どれだけ自分の精神に負荷をかけていようが、それがギリギリの状態か、まだ大丈夫かだなんて、事前に判断するのは難しい。
お母さんに注意をされても子供がいろんな場所へ冒険に行きたがるように、ダメと分かっていても危険な恋に落ちてしまうように、「大丈夫かもしれないじゃん」「やってみなきゃわかんないじゃん」という希望を持ってしまう私たちは、失敗することでしか、身をもって学ぶことができないのだと思う。
その「やってみなきゃわかんないじゃん」という可能性を消してしまうのは、あまりにももったいなく、残酷なことだ。
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ただ、私のように実際に倒れてしまったとき、取り返しのつかないことになってしまっては困る。後戻りできない状態になってしまうのは、とても困る。
だから、そんなときに大切なことは、きっと、「柔らかなクッションを用意しておく」ということなんだろうな。
ブレーキが効かなくて事故を起こしてしまったときにも、その突っ込む先が、コンクリートなのか羽毛ぶとんなのかで、全然自分に与えるダメージが変わってくる。そのクッションになり得るのが、周りにいてくれる、自分のことを思ってくれる、大切な人たち。
私はパートナーや同僚をはじめとする、さまざま人の言葉がクッションになって、比較的はやく回復することができた。大切な人を、大切にしていてよかったなぁと、心から感じた。
「予防的に休む」なんて無理じゃんね。だって仕事は楽しいし、やりたいことはいっぱいあるし、まだまだ若いんだから。失敗することを恐れて挑戦できなくなるのは悲しい、そして失敗して後戻りできなくなるのも悲しい。だから失敗しても大丈夫な状態を作ることが、自分の挑戦心を殺さずにいるために必要なことなのかもしれない。
私も誰かにとってのそういうクッションでありたい、そして私にとってクッションになりえる人々を、大切にしていきたい。そんなことを思う、水曜日の夜なのでした。
ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。