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いつだって、「できごと」より「考え」のほうが怖い

臆病なので、昔から意味もなく「怖い」と思うことがたくさんあった。

失敗することが怖かったし、ひとりぼっちになってしまうことも怖かった。時計の秒針が1秒ずつ時を刻むごとに「ああ、1秒ずつ死が近づいている!」と本気で考えこんでしまい眠れなかったこともある(今思うとヤバい)し、小学生や中学生の頃は、誰かに嫌われることが本当に怖くて、周りにいつも合わせるように生き、自分の意見をなかなか言い出せないような子どもだった。

その頃に比べると、今はだいぶたくましくなったなあ、と思う。失敗はなるべくしないように事前準備はしっかりして、それでも失敗してしまった時にはしょうがない次に生かそうと思えるようになったし、ひとりぼっち云々の前にそもそも人はひとりなのだと思うようになったし、時計の秒針を気にすることもなくなったし、人に嫌われることも怖くなくなった。

それはもちろん、今まで生きてきた中でのいろんな経験があってこそではあるのだけれど、ある本の中で出会った「ある言葉」が、自分の中で大きな影響を与えているなあ、と思う。

「いつだってそうさ、できごとより、考えのほうが何倍もこわいんだ」

大好きな本『この本が、世界に存在することに』の中にある大好きなセリフである。主人公のおばあちゃんが病気になり、もう余命いくばくもないという状況で、主人公が「死ぬことが怖くないのか」と聞いたときにおばあちゃんが言ったセリフだ。

死ぬのなんかこわくない。死ぬことを想像するのがこわいんだ。いつだってそうさ、できごとより、考えのほうが何倍もこわいんだ

このセリフをみた時、はっとした。怖がりな自分は、いつだって考えすぎていたのだということに気がついた。できごとに付随する考えが、怖がりな自分を生んでいたんだ、と。

実際、できごとというのは起きてしまったらもうどうすることもできないし、どんなことだって乗り越えていくしかない。そして不思議なことに、それを乗り越えるための力が備わっているのが人間というものだ。

「生きてたらいろいろあるよ。でもね、何年かたったらどんなことでも大したことじゃなかったって分かるから。人間はさ、そうやって毎回自分に裏切られながら生きていくしかないんだよ」

最近読んだ白石一文さんの『ほかならぬ人へ』という本の中にこんなセリフがあって、ああすごく的を得ているなあ、と思った。

辛すぎてどうしようもなくて、もう一生忘れられない、絶対に忘れやしないと思っていたことも、時が経てばその記憶は徐々に薄れていく。そんな時には自分で自分に裏切られたような気がして嫌気がさすけれど、でも、それでも前に進んでいくのが人生なのだと思う。

つまるところ、これから起きるかもしれない「できごと」に対して、考えなくてもいいこと、考えてもどうしようもないことなんて、たくさんあるのだ。

もちろん考えるということはとても必要なことだけれど、その「考えること」によって生まれる「怖さ」「臆病さ」が自分にとっていいものなのか悪いものなのかを考えてみて、それが後者であるのならば──「考え」は一度頭の中から追い出してみて、えいやっ! と飛び込んでみることを、今は大事にしたいなと思う。

いつだって、「できごと」より「考え」のほうが怖い。無駄な「怖さ」を感じるための考えなんて持っている必要はないし、そんな怖さを感じている暇なんてないと思うのです。

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あかしゆか
ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。