謝辞(兼忘備録):業者になってからグル止めまで
記事をご覧頂きありがとうございます、業者と申します。
この度は無事卒業を迎えました事を皆様にご報告させていただきますと共に、このような状況下に関わらず全力で開催に協力してくださった関係者の皆様、配信を視聴してくださった方や現地来場してくださった方、本当にありがとうございます。
周知しております通り、わたくし業者はこの度関西、もとい神戸市宝塚近辺に移る事となりました。全国各地に事業所があるそうなので、本当にどこに行くかはわかりません。そのような可能性もあり、グル止めは最終回とまでは言い切れませんが区切りとさせていただく事になりました。半年の間でしたがいかがでしたでしょうか?mission.4はグル止め含むこれまでの集大成として取り組ませていただいておりますのでご都合つけば是非ご来場いただけますと幸いです。何卒宜しくお願い致します。
ここからはおそらくイベントの時間の関係上あまり詳しくお話出来なさそうですし、あまりそういうMCは得意ではないので、こちらに纏めておきます。この記事によってはグル止めがつまらないイベントになる可能性や別に言わない方が良かったのでは?みたいな話が多分に含まれますので純粋に踊りに来たい方や苦手な方はこの時点でそっ閉じして頂けたら幸いです。
目次
1."業者"になる前の話
2."業者"になった話(バンド開始)
3.某大学のdjサークルの部長になった話
4.サークル20年前の2代目部長と出会った話
5.クラブアルバイト始めた話
6.2018年
7.クラブアルバイトもう一回始めた話
8.コロナ
9.グルーヴを止めるな!
10.最後に
1."業者"になる前の話
業者になる前のお話をさせていただきます.
音楽ゲーム(太鼓の達人)にハマったのが私にとっての音楽人生の始まりだったといえます.当時難しい楽曲とされていた紅という曲からXJAPANにはまり,そのままsilent jealousyやSteb me in the back等にハマります.早くて激しい音楽にハマり,最終的にはきたさいたま2000からガバを知ります.そこから緊急作業用BGMで検索をするようになり,ナードコア,ガバやメタル等をたくさん聞くようになりました.その過程でbeatmaniaに出会います.最初に聞いた楽曲はhell scaperのDJ TECHNORCHさんのリミックスだったハズです.ここまで想いの詰まった楽曲を聞いた事が無かったので...だんだん過去の作品に遡っていると確か20.november経由からハウスにハマりだした記憶があります.あとはこのdjミックス経由ですかね,本当にいろんなジャンルが体形的に管理されているbeatmaniaだからコソ様々なジャンルを掘るようになりました.そこからDTMに興味を持ち始めたのは自然な流れだったように思います.確かこの動画とこの動画で本格的に目覚めたハズです.
とにもかくにも少しパソコンが得意な中二病を拗らせた業者(中学生)はFL studio9の体験版で本格的にのめり込んでいくことになります.
この時はついでにゲーム作れるようになることが前提でその上に曲作りがあったような感じです。しかし、音楽を本格的に意識するきっかけが最近解散しで大ニュースになったロボット二人組の2007年のライブ映像、とりわけアンコールの動画でした。綿密に組まれた演出、曲自体の完成度の高さ、何より楽しそうに踊り歓声を上げる人達を見て感銘を覚えました。この時ライブで使っていたソフトがAbletonだという話を知ってAbletonを買う事を決意します。
高校生入学くらいにAbleton Live8(スタンダード)を買って、高2にMacBookProを買って晴れて音楽を本格的にスタートすることになりました。
その時から大学のなってからサンクラの容量が上限に達するくらいまで"H@MP"を名乗り毒にも薬にもならぬ楽曲を投稿しまくっていました.それはそれで楽しかったですね....
高校生になり、大学を選定する上で様々なところを調べるわけですが、遊び過ぎたせいかアホ過ぎて通っていた高校の関連の大学に進学して適当に過ごそうとしていました……が、同じ県内にある某大学のチラシに"djサークル"の存在を確認し、アホが突然一念発起しアホ脱却を図ります。結果としてなんとか合格します。そしてこのdjサークルに入部した事で後々運命が大きく変わります。
2.業者になった話
djサークルに入部すると、そこはすでにアクティブな部員数が数名と潰れかけの状態でした。部長が軽音部にも入っていたのでそのままの流れで軽音部にも入部しました。軽音部には古くから本名ではなくソウルネーム(というかあだ名)で呼び合う風習(?)があります。あだ名を決める部会の数日前…スマホで調べつつ機材の配線をしていた所、なんかその配線は難しい所だったらしく、大学1年の時、院1年だった先輩(通称♀のブースカさん)に「すごい!業者っぽい!」と言われたのを部長が聞いていた為、あだ名決めの際に「業者」を提案されてしまいました。今では大変感謝しておりますが、当時は困惑しておりました。
そこからは業者として、同時期に入部した"まいける"と一緒に時にぶつかったりしつつも渡り合って行くなどをしておりました。彼と話していたのが"クラブでイベントができるような部活にしたい"、その時の状況を考えると卒業する時にできるかどうかみたいな雰囲気でした。その年の年末にtofubeatsさんがレジデントを務めるunbalancedというイベントを目当てにyebisu ya proへ遊びに行っていつかここでやれたら…なんて事を考えていたりいなかったり…
2.1 BEATRIO(バンド結成)
浮気性なのか音楽系サークル他にも入っていました。そのサークルというのが軽音のようで軽音でない、特殊な編成のバンドを主とするサークルでした。その時に会った"ぎふちゃん(岐阜出身なので)" "みっちー(名前から)" "業者(業者っぽい)"の3人で「ピアノ、ヴァイオリン、DJ」という謎編成のバンドを組んでおりました。それがBEATRIOです。時に箱のPAを困らせつつ、Abletonでライブするという夢を叶えつつ、それなりに楽しくやっておりました。人前でやると言うキッカケができ、曲を作る時に箱鳴りを意識するようになったのは間違いなくこの時の経験が生きています。メンバーの一人が就職で東京行くまではそこそこ元気に活動しておりました。
この活動の都合で"業者"のTwitterアカウントが作成され、だんだん後に引けなくなっていきます。(それでもこの時はまだ曲作る時はH@MPと線引きがしてありました)
3.某大学djサークルの部長になった話
部長は4年生になり、2年生が一人もいなかったdjサークルは1年生である僕らから選出される事になりました。そして僕が部長で"まいける"が副部長、キャラ的には正反対の(内面はかなり近い)二人がペアで引っ張っていく事になりました。予想以上に馬が合い、段々と部員数や部の規模が増大していきます。そんな中ダンスイベントのdjの案件が先輩経由で飛んできます、これが初めてのクラブでのdjだったハズです。選曲こそまずまずでしたがそこで沢山の経験をさせて頂きました。
その後は部の設備を拡充させつつ、なんとか部を拡大させようと流しそうめん用の竹を提供したり(?)、色々かけあったり遊びに行って挨拶して回ったり等してました。失敗したり大迷惑をかけたり借金作ったり等色々ありましたが少しずつ部員は増えて行きます。
4.サークル20年前の2代目部長と出会った話
色々活動していくうちに機材オタクとしても覚醒し、曲作りの際ミキシングをしていた経験からPAに興味を持ち始め、こっちの意味でも業者として活動していく事となります。その過程で曲作りやdjにとって避けては通れないのが"MIDIコントローラー"、岡山市内で突然そんなイベントが開催される事を遠巻きに聞きつけ、興味本位で参加の申し込みをします。King of Midicon fightersというイベントです。本当に興味本位で参加したのですが主催の方のリツイートの中に弊サークルが……それどころか2代目部長だった事が発覚、それがnarumo_toさんでした。学祭にも遊びに来てくださったり岡山の母(?)、Emotionの存在を教えてくださり、悲願のクラブでイベントをする事ができるようになりました。そして、その時DJの講師で参加されていたRABOさん、VJの講師で参加されていたnovuさんと出会って、ヲタパ やSssELFに遊びに行ってからアニクラの存在を知ります。
ヲタパ はその時既に100人前後は押し寄せるモンスターアニクラで、客として遊びに行った結果、すし詰めのお客さん、大声を上げるオタク、VJの映像表現、出まくる酒、すべてに面くらってしまい、高校生の時に話を合わす程度に見ていたアニメにもう一度のめり込む、VJの勉強を本格的に始める等だんだんと影響されてきます。
香川のSssELFでは綿密に練られたマッピングややはり盛り上がりまくるお客さんや映像表現(JULY & Varkaさん、kwjmさん、もちろんnovuさん等)、出まくる酒やU-TAさんのあまりにグルーヴなDJやエレキャットさんのナードコアに面くらいまくります。
多分2017年くらい、この時点を契機にいろいろ変わり始めます。
5.クラブアルバイト始めた話
部活としての活動範囲を広げ、音楽をたくさん効く修行の為にもこっそりクラブでバイトする決意をします。最初に受けたのがエビスヤプロ。当時はクラブの業務が良くわかっていなかったのもあり、音響をやりに来た旨伝えると落とされました(今考えるとそれはそう)。しかし、そのまま当時岡山で二番目に規模が大きく、チャラ箱としては有名なMARSの店長に相談し、二つ返事で雇っていただく事になります。とはいえ思われているよりは平和で接客やドリンク作りつつ乗り込みで来たVJや卓を触る、岡山のDJと仲良くなる等諸々広がりました。TOP40 をあんまり掘れていなかった上、お客さんもそんなに呼べなかったのであまりDJとしてはアレでしたが楽しかったですね...
6.2018年
この年は本当にいろいろな事がありました。まず本格的にVJを持ち込もうと講師にnovuさんnarumo_toさんを招いてVJワークショップを行ったり、4年生になり研究室配属の為、引き継ぎをした際揉めてしまったり等ありました。未だにその時の事やそれからの事も申し訳なく思っています。
また岡山のクラブ界隈にも大きな変化があった年でした。数える限り4件のクラブ、またはそれに準ずる施設が潰れたのです。まずは倉敷のNABU。バンド時代にお世話になったREDBOXの社長に誘われてイベントを一回やる事になったのですが一回切りで終わりました。次にBAR LUNA。かねてからヲタパーティの会場だったクラブです。この時点で会場の選定があり、次回ヲタパは月から火星、つまり働いているMARSで開催される事になりました。カラオケの為ディスプレイが増強され計7か9スクリーンで映像が投影さていたのでかなりド派手な回でもありました。(誰かがレイヤーさんのケツ揉んでいる現場を見てしまってチャラ箱らしさも出ていましたが...)ちなみにこの時にれびぃ君がいたらしく、アニオタとして開眼した彼と後に出会います。そしてこの時様々な事情でアニソンリミックスメインのイベントを任される事になります。それが”Subculimation”です。当時はヲタパのサブイベント的な位置づけで開催が決まり、諸々を僕がやる事になり戸惑いつつもやる事になりました。(その時実はアニソンリミックスはあまり掘れていませんでした...)その際研修も兼ねてゲストとして招聘させていただいたtakashimaさんにフライヤー等を渡す為に遊びに行ったのが"をたまぜっ!"でした。シンプルに面くらってしまってこの時にしっかりやろうとアニソンリミックスにハマった気がします。そしてSリメは無事開催し、主催としては大反省だったのですがdjのスタイルが大きく変わります。またこれをきっかけに本当に様々なイベントに遊びに行くキッカケになりました。また少しづつアニソン系DJとしても頑張る決意を胸にSet On Beats!という”ゆゆゆにおけるお墓(瀬戸内マリンドーム)”に出る事になり改めて頑張ろうとしたときですね....
七夕の日の7/7。自分の住んでいる町が沈みました。西日本豪雨災害で一躍有名になった真備町ですが、そこに住んでいたのです。その前日の7/6にBINGEというエビスヤプロのイベントに出演する為岡山に向かう途中、流石にまずいという事で辞退と帰宅を決定した次第です。この判断は本当に正解でした。山際に住んでいた為、土砂崩れにおびえつつサイレンの鳴り響く中過ごした一晩は強烈でした。
一夜明けたらそこは水浸しの世界。ご先祖様が100年前くらいの洪水で逃げ込んだ今の場所にある家までは浸水せずでしたが、農機具が全滅し4桁万円くらいの損害でした...が命あって本当によかったです。多分もう一時間遅く帰っていたら例の爆発に車が巻き込まれて普通に死んでいたと思います。(その爆発したアルミ工場のすぐ近くを通っていました。)
夏の炎天下の中片付けを行い、親戚のご協力もありつつ何とか復旧、せとびにも出てPicassoっちと出会ったり等していました。
夏が佳境に入り7月の末、MARSのシフト決めの際、今後の意気込みや次回Sリメ等のイベントの話も店長にしていたところ、店長は神妙な顔をしていました。そのすぐ後社長が入ってきて、MARSの閉店を告げられました。この時既にヲタパの開催等も決定していた為、正直板挟み状態であったので鮮明に覚えています。同時に箱打ちで何とかやっていたSリメも開催不能になりました。ヲタパとの関係がなくなってしまい、ある意味僕の一存で開催できるイベントになったのです。アニソンリミックスに今までのDTMで得た経験やバンドでの経験が活かせる、そして大阪であんなに面白い事をやっているという想いからなんとしてもこの楽しさを持ち込みたい!!と続行を決意します。その想いは2回目のゲストにをたまぜ主催のdioxxxさんを招聘させていただいた事と関連します。またせとびで友達になった徳島の友達からFuturing_Boyという思想が近いイベントを開催していたPicassoっち、VJとしても名をはせていたFAIZニキを読んで決意を新たにした覚えがあります。
そんなこんなで2018年は失意と決意の年でした。この事からサークルに注いでいた情熱をイベントに傾けるようになります。
そして年末に出演した性癖当てナイトこと性当夜をきっかけにいろいろ展開していく事となります。(この時も広島にたくさんの友達ができて大変感謝しております...やばきゅかナードヤード、予算の都合でどちらかですが遊びに行く予定です。)
7.クラブアルバイトもう一回始めた話
大学院に入り、Sリメをやりつつ某ドラッグストアのバイトで何とかする生活でした。そのバイトの休みがあまり自由が利かず、研究も相まってあまり遊びに行くことができなくなりましたが....またありがたい事に県外のイベントからも声がかかるようになり、djとしても幅が出てきた段階です。この年くらいにvdmxを買いました。Sリメ3回目で無理やり大勝負に出たのですが惨敗したのを今でも補填していたりしていました。イベント自体はかなりレベルが高く、楽しかったですね...
後は休みの日に神と和解せよさんに挨拶すべくac_acに無理やり遊びに行ってその際も東京の友達に良くしていただいた事ですね...本当に感謝しています。中でもLianosさんにはM3の時を含めて本当にお世話になりました...
秋、ちょうどM3に曲を出していたころイベントの度に出入りしていたエビスヤプロの社長から電話がかかり、クラブバイトをもう一度する事になりました。この時毎週のように案件があり、ドラッグストアのバイトをうまく休みつつ出演しておりました。そしてバイトの貯金をフルに使ってSリメ4回目を開催し、アニディメの復活に伴い岡山でもアニソンリミックスを流しても良い環境になりつつありました。この時2020年1月、中国で謎のウイルスが発見されたくらいですかね...この月末に東京のイベントに出演させていただいた際、Kento Watanabeさんに大変大変お世話になり、岡山に絶対呼ぶ的な約束をしたところです。
そして緊急事態宣言が発令されます。
8.コロナ
この時点で大きな心配だったのはエビスヤプロの危機でした。一度クラブの閉店を経験するとその時の空気を思い出されるのです。心なしか暗い社内で毎日のように会議が行われていて、その時に動画や配信、諸々の手伝いをする事になりました。
緊急事態宣言が開けて7月、少しコロナが落ち着き、6月の時点で箱を抑え、就活もしつつSリメをする事にしました。ただ配信するだけでは面白くなく、現状では来場したくてもできない方もたくさんいると考えました。
そこで投げ酒システムを導入する事にしたのです。この時最先端を行っていたのがMU2020を始めとする企画を行っていたMOGRAだったのでその思想に影響されたのは間違いないです。しかし、この時はエビスヤプロに貢献したい、もとい、箱がつぶれるあの空気を二度と味わいたくないという想いだったので、箱代に加え、ドリンク代で運営費を稼ぐシステムなのを重々理解していた僕はさらに投げ酒にアレンジを加え、注文時にパトランプを回るようにしました。わかりやすい上面白く、差別化が図れるとおもったからです。結果その時は来場者数は9人という結果に終わったのですが、5万7千円くらいのドリンク売り上げ(ただ差額と手数料あわせて1万5千円支払う事になりましたが....)で度肝を抜く事になります。(ステッカーの件は本当にすみません...配送する方のリストアップもステッカーの制作も済んでいるのですがなにせ配送料が....初任給入り次第送付しますので....)
またこのときK@keru氏目当てで遊びにきていたあろさんと友達になりました。この事が後に大事になっていきます。
就活もどうにか終了し、学生生活の仕上げとしてエビスヤでバイトしつつ研究しつつの生活を送ります。(この時とあるアーティストとお会いできたり本当に様々な経験をさせていただきました。感謝しかありません。)
9.グルーヴを止めるな!
ある日バンドのライブで昼の営業で夕方から深夜にかけてイベントをやらないかという声がかかりました。とにかく営業しなければならない箱の性です。おそらく育てるようにと集客にあまり期待せずこのような申し出があったのでしょう。最初は言われた通り地元の人をかき集めてそれとなくイベントをするつもりだったのですが・・・自分の身の回りを考えるとそんなのでウケるワケが無く、やはり自分の本領で勝負をかける事に方針を変えました。若い世代を中心にエビスヤプロの雰囲気を活かしたサブカル系イベントのコンセプトで、配信を前提としました。これはMU2020や、鮮やかなダンスという配信イベントを見た限りアニソンリミックスで括りすぎるのも良くないと判断したのと、そうでなくても行けると踏んだ為です。(また、ヲタク+他ジャンルという観点においては「をたまぜっ!」にも多くの影響を受けています。)そしてタイトルは日本語にしたいと思っていました。鮮やかなダンスの影響です。エビスヤプロと言えばというアイデア出しになり、電気グルーヴと関わりがズッブズブに深い箱、というか社長と石野卓球さんが中が良いのでグルーヴという単語を。これはそのままエビスヤプロにも置き換える事が出来ます。そしてカメラを止めるな!という強いワード、その時流行っていた映像研に手をだすな!のEasy Breazyをテーマに後輩のインターネットの化身byan君にフライヤーやロゴを依頼、(Sリメは4.5回目を除きUndershelf君に依頼していました。彼もすごく、そのまま東京のデザイン系の会社に就職を決めました。)音ゲーからJ-POP、アニソンまでなんでもかかっても良い、グルーヴをキーワードにしたイベントが誕生しました。オファーには中四国のグルーヴのあるDJ、とりわけ主催経験がありそうなDJをメインに呼ぶ事にしました。また、岡山からはエビスヤスタッフの後輩を中心に燻っている人を中心に選定しました。
最後の一人を選ぶ際にSリメで出会ったあろさんの創奏音楽祭のミックスを拝聴し、雷が走った想いでオファーをしました。イベントのオープンは人が入らないのがイベントあるあるなのですが、アニクラは少し事情が違い、最初から人がいるため、最初の空気作りに失敗するとお客さんが疲れてしまうという持論を勝手に持っていたのですがエモから空気を丁寧に作り上げる様を聞きこのDJしかいない!!とオファーさせて頂きました。その結果たくさんの方に配信を見て頂くきっかけになり、様々な地域からアソビに来ていただいたナイスパーティになりました。投げ酒は手数料を抑える仕組みになるよう変更し、前回のような参事は避けられるようになりました。このときの配信をchaosgrooveさんが見てくださっていたのを今でも覚えています。
エビスヤ側も想像以上の結果だったらしく、即日で隔月開催が決定し、土晩という大事な時間も貸してくれるようになりました。期待に応えるべく、影響を受けた鮮やかなダンス主催のガルフレさん(鮮やかなダンスF、スパオタFへのVJ出演がキッカケでお呼びできました)、2020年初頭に出演させていただいた神戸のKUSOPARTYの仕掛け人、leccoさん(その節は本当にお世話になりました。)、鳥取におけるバイブス、じゅしもさんや前回に引き続いて香川の大グルーヴU-TAさんをはじめとした回でイベントとしても育っていく様を実感しました。
そしてその時遊びに来てくださっていた東名a.k.aカレーメシさんにお願いして堂々の3回目を開催します...が、ご存知の通り緊急事態宣言の再発例や絶望的な程の感染爆発により遠隔での出演となってしまいました...が、あまりに詰まった想いの大きさにイタコDJしていた役割を半放棄して後半こっそり泣いていたり....また、有限会社無限で唯一岡山にお呼びできていなかった鷹匠氏をお呼びして、最後に直島で話あったリストをベースにDJしました。最終的にこの時見てくださった方は100名、配信が飽和した現状を鑑みるとすごい数字で、感謝の極みです。最後の最後まで60人もの方に見て頂いた回になりました。間違いなくこの回でグルーヴを届ける事が出来た自信があります。
そして修士論文を書き終え、4回目の卒業回を開催させていただく事になりました。
10.最後に
26年前djサークルの創部に携わり、部活動として押し上げてくれなければおそらく今何をしていたでしょうか、その時の感謝を込めてキッカケをくださったnarumo_toさん、その際に参加した機材イベントにいて、現在のDJや主催のキッカケをくださったRABOさん、VJの世界を教えてくださったnovuさん、様々な事がありつつも一緒に部を盛り上げてくださったサークル後輩の皆様、申し訳ないのですが全員というワケにはいかなかったのでその中でもIZU、dai2、byan。
主催として締めのdjをする事になった際、アニメを見るキッカケになる曲をたくさん作ってくださった中でも特に遊びに行った大阪のBasspotというイベントで(グル止めの同日にvol.11が開催されます。こちらも大きく影響されたイベントなので是非...!)食らってしまい、以来感情を追い求めるようになるキッカケになったdroplampさん、東京に遊びに行った際や楽曲においてもお世話になりましたKento Watanabeさん、Sリメに遊びに来てくださりグル止めにおいても大きなきっかけとなったarr→wさん、その時配信を見てくださり、本当にお忙しいところ(グル止め翌日の月曜もご出演との事で本当にありがとうございます...)快く出演を引き受けてくださったchaosgrooveさん、鮮やかなダンスF、スパオタFの帰りに一緒に車で帰った際、たくさんのグルーヴを共有できたAmana2さん。間違いなく業者として過ごした6年間のグランドフィナーレには十分すぎる方々です。
今回のグル止めには業者としての、いや、業者になる前の僕までのほぼすべてが含まれております。こんな情勢下でまだまだ予断を許さない状況であり、もしかしたら開催内容を変更しなければならないかもしれないような状況ではありますが、是非とも現地にて皆様にご挨拶出来たら幸いです。むろん配信でも投げ酒は雰囲気を壊さないようにパトランプ無しの上でやらせていただきますので、奮ってご参加いただけましたら幸いです。
おそらくグル止め以降はしばらくイベント等への参加は難しいと考えております。岡山にもいつ帰ってこられるか本当に不明で、さよならのはじまりと言えるでしょう。これから入る会社はおそらく多忙を極める印象ですので...最終回ではないとしていますが最終回になるかもしれません。しかし、いずれにせよグルーヴは止まらないでしょう。さよならは、はじまりでもあります。グルーヴという名のうねりは空気の振動でもTwitchの画面越しでも十分伝わる事がこれまでやってきてわかりました。グルーヴはどこまででも伝搬します。いずれ僕らの紡いだグルーヴが大きな波となって帰ってくる日を願って。
最後まで拙い記事をご覧頂きありがとうございました。すべての友人や先輩、後輩に感謝しております。これからも何卒宜しくお願い申し上げます。
業者